被災地で 東北人の心の温もり に祈る
宮城県石巻市から福島県相馬市まで “東日本大震災から一年後” を訪ねる
− 2012.03.16 (金) 晴 −
 一週間前の大雪(30cm)の名残が残っている。車での出張はどうかと心配したが一年後の被災地を訪ねたいという思いに駆り立てられ15日の21時半に家を出た。翌早朝、岩沼の旧友Aさん宅で朝食を頂き石巻に向かう。
− 石巻市 −
 仙台東部道路の岩沼から三陸自動車道の鳴瀬奥松島まで高速道を利用する。3月末までは一般車も無料。
 石巻中心街の女川街道を通過するも商店街には被災の痕跡は殆ど見当たらなかったが・・・・。
旧北上川中洲にある石ノ森漫画館(内海橋八幡町側から) 地図;石巻市中央
 R398(女川街道)沿いの赤十字病院前を通過、R240(県道)との合流点で石巻漁港方向に右折する。
 石巻漁港を一見し日和大橋を渡り南浜町と門脇町に向かう。ここで凄まじい光景が目に飛び込んできた。
地図;旧北上川河口 日和山公園(石巻城跡)と石巻港の間にある南浜町の被災状況
石巻漁港(明神町) 石巻漁港内の水産会社の被災状況
 日和山公園(石巻城跡)は旧北上川河口右岸にある小高い丘で、その南側石巻湾に面した一帯は津波に流され跡形もなかった。ガレキの撤去作業が行われているが、いくら手が合っても足りないという状況だ。
 石巻漁港の埠頭に行ってみた。まだ手付かずといった水産会社がいくつか見受けられた。
 9時過ぎということもあるのか埠頭には災害対応の船舶が目立ち漁船の姿は目立たなかった。
 製紙工場脇の道路から東を眺めると大破した市営・県営住宅の先にガレキだけの南浜町が旧北上川まで広がっていた。
 被災地は何処も残酷さは同じ、そこにどれ程の家屋があったかで異なろうが全て消滅した後では悲惨さに甲乙は付けられない。
これから日和大橋(旧北上川左岸)を渡ります
石巻市立病院(右岸南浜町) 門脇小学校(右岸門脇町)
祢法寺(右岸門脇町) 日和山公園南下の住宅地(右岸門脇町)
 日和山公園に上る細い道がいくつも見えた。門脇町や南浜町の皆さんは、ここを必至で駆け上がったのでしょう。この辺りの道は城下町の名残があり狭くて入り込んでいたと記憶する。
 最初は門脇町から日和山公園に上り眼下に広がる被災地を・・・・そう考えていたが被災地を見て気力を失せてしまった。
 石巻駅から内海橋までの商店街には船員さん達で賑わった飲食店街もかつては多かったと・・・・経営相談訪問で伺った時のことを思い出した。皆さん、ご無事なんだろうかと人影のない被災地で合掌し被災地石巻を後にした。(被災地石巻は初訪問)
打ち上げられた漁船(旧北上川左岸川口町)
− 東松島市(旧矢本町) −
 前回この地を訪れたのは雨降りの早朝だったので粒子の粗い写真ばかりで被災状況は分かり難かった。
 住宅地の入口にガードマンが立ち大型ダンプが行き交っていた。やっとガレキ処理が始まったところと推察する。
 破壊された家屋の取り壊しは始まっていない。前回は水浸しだった住宅地もだいぶ乾いていた。
 ボランティアが入るのはもう少し片付いてからになるのだろう。当地も一見して新興住宅地と思える。
矢本海浜緑地東の住宅地(北上運河海岸側から)
ガレキの撤去がやっと始まった住宅地の被災状況
ガレキの撤去がやっと始まった住宅地の被災状況
 ここ矢本町には1年契約の顧問先があった。社長様は契約切れの2年後にお亡くなりになられた。
 ご契約の背景から大半の顧問先は深夜までかかる。家に戻るのは日が変わることも普通だった。津波の被害が大きかった亘理塩釜線と奥松島パークラインは通い慣れた道だ。
 それなのに「ここは何処?」と考え込んでしまうほどの様変わりした被災地もある。長野に戻らなかったら沿岸部に家を造った可能性が高いし沿岸部の道路上にいたかも知れないと思いながら被災地を回る。
地盤沈下が著しく雨が降れば湿地になる
− 東松島市(旧鳴瀬町) −
 矢本と同じ日に野蒜地区を訪れている。今回は奥松島パークラインで宮戸島の入口まで行ってみた。
 奥松島公園はガレキ置場になっていた。確か、この一帯には自由宅地があったはずだが・・・・。
地図;東松島市(野蒜) ガレキの一時置場になった奥松島公園
宮戸島との間に架かる松ケ島橋 野蒜海岸
松島野外活動センター跡地 奥松島パークラインと陸側の松林
 仙石線野蒜駅を同時刻に発車した運命の分かれ目になった上りと下り列車の話。前回は運良く高台で停車した下り列車を撮影した。
 野蒜小学校近くで脱線して“くの字”に折れ曲がった上り列車は悲惨さが激しかったので早々に撤去されたようだ。当地にも顧問先(津波が直撃)があった。前回から全く手付かずの状態なので気になる。
 宮戸島には松島四大観の一つ“壮観”という眺望で知られる大高森(海抜
105.6m)がある。行こうと思えば行けたが先を急いだ。
野蒜小学校(仙石線上り脱線列車は撤去済み)
− 七ケ浜町 −
 当地に行くのは初めてだ。現在ならびに過去の顧問先の社員様が多く住まわれている。
 また、多門山がある。そこからは松島四大観の一つ“偉観”の眺めがあるので何度も行ったことがある。
菖蒲田浜海水浴場 地図;七ケ浜町
菖蒲田浜海岸沿いの住宅地の被災状況
韮山(海抜13.6m)斜面の被災状況 県道R58の沿岸部被災状況
 仙台塩釜港や仙台新港から菖蒲田浜・阿川沼にコンテナが無数に流れ付いたという。環境豊かな汐見台は新興住宅地である。
 人口が少なく被災地としては知られていないが甚大災害地の一つである。菖蒲田浜の沿岸部は壊滅状態で犠牲者(津波の来襲予報で帰宅者が多かった)も非常に多かった地区だ。
 写真でも分かるように湾内の防潮堤(?)は数mと満潮対策程度のものだ。その内側に住宅地が広がっている。災害が起きて初めて「何故?」という場所が実に多いのが被災地の共通課題だ。
汐見台から阿川沼方向の眺め(水田地帯)
− 仙台市(宮城野区) −
 仙台新港の南側、七北田川河口左岸は自然環境豊かな蒲生干潟で知られる場所だ。
 顧問先の社長様に乗せて頂き被災状況を一度見ただけなので初めて訪ねる被災地といえる。
地図;七北田川河口周辺 七北田川左岸の中野小学校(宮城野区中野、仙台新港右岸壁)
流失した高砂神社 残された基礎から新興住宅地と推察出来る
中野小学校 津波と火災のダブル被災に遭った工場
 蒲生干潟へはロープが張られガードマンがいて立ち入りは不可能であった。砂浜を迂回しサーファーが10数人海に出ていた。
 泉ケ岳に源流を持つ七北田川の河口、甚大な被災地の中野地区は左岸、右岸は蒲生地区である。当地は津波に加え火災による被災地でもある。
 地盤は砂地、海岸線から約
3km以内は津波による甚大な被災地である。この地帯は共通して新興住宅地になっている。津波から避難するには10km以上内陸に移動しなければならない。
七北田川左岸河口部の罹災境界家屋
− 仙台市(若林区) −
 震災直後の日に訪問した激甚災害地の状況を比較掲載した。当地に限らずこの程度になっている。
 しかし、地域事情に寄るものか震災直後の状態と思える被災地も少なからずあるということを追記する。
塩釜亘理線 これより荒浜新地区 震災直後(11.04.06
荒浜小学校 住宅地(荒浜新)の被災状況
荒浜新は新興住宅地です
 一戸たりとて家が破壊され流失してしまったことに対しての痛ましさは同じである。被災者ではないが当地で生活した者としての感じ方は・・・・。

 コンクリート基礎のみが残る被災地、全壊家屋が点在して残る被災地、コンクリート基礎ごと流失してしまった被災地。この順で心が重苦しく痛んだ。

 コンクリート基礎だけでも残っていて欲しい。私の個人的な感想だがそんな思いを被災地で感じた。発生原因から津波は天災、原発は人災といえることを改めて考えたい。
地盤沈下で浸水した水田地帯
− 名取市 −
 名取川河口付近に架かる閖上大橋を渡り五差路を左折する。今回は名取川沿いの道で閖上地区に向かう。
 深い思いの目印を連続させることで記憶は蘇る。それが消滅してしまったことが痛ましさを増した。
名取川右岸沿いの閖上商店街 地図;名取市(閖上漁港)
お寺さんの墓地跡 広浦に架かる橋 手前の空地が朝市広場
何ケ所かに積み上げられたガレキの山 遠くに見える閖上中学校
 Aさん宅で朝食を頂きながら閖上港の朝市の話になったとき、奥様が「再開していますよ」と言ってくれたのを思い出し復旧の力強さを感じた。

 閖上地区のガレキ撤去は早くから行われている。復興構想(住民不在の構想らしく圧倒的に反対が多いようだが)も描かれテレビ報道で中身を知った。

 復興目標は是非とも当事者に主権を置いたものであって欲しい。傍は国であっても(価値観が違うのだから)支援者の立場に留まることが肝要かと感じた。
小塚原地区の被災状況
− 相馬市 −
 時間の都合で岩沼・亘理・山元地区は取り止め仙台東部道路の名取から山元まで高速を利用した。
 国道R6の相馬バイパスで磯部地区まで直行した。被災地に入る前に百尺観音像にお参りした。
地図;相馬松川浦 松川浦最南端に流れ込む日下石川の満潮防止用水門
磯部地区の被災状況 松川浦水産物販売センター跡
松川浦大橋(原釜卸売市場より) 原釜卸売市場の被災状況
 磯部は沿岸部の集落であり松川浦の最南端に位置する。被災地の水田にコハクチョウが10数羽いた。当地はコンクリート基礎も疎らに残る甚大な被災地。
 余りにも重苦しくなり被災地は望遠レンズで撮影するに止め立ち入ることはしなかった。当地にも顧問先があり、津波による浸水域の先端部に当り被害は少なかったようだ。
 県道
R74を走り松川浦に抜けた。サラリーマン時代に担当した事業部があるので松川浦のホテルで宿泊したり、その後には毛ガニを買いに来たこともあった。
原釜卸売市場の被災状況
松川浦大橋(原釜尾浜より) 原釜尾浜の被災状況
原釜尾浜の被災状況
原釜尾浜の被災状況
原釜尾浜の被災状況 相馬中核工業団地の被災工場
 大州松川浦ラインは通行止、原釜地区の被災状況を見てから仙台東部道路の山元から仙台空港まで高速を利用し仙台市のホテルに直行した。被災地走行は約360km、家からの往復を含めると1210km走行になった。
− 合掌 −