碑撮り旅 「奥の細道」北陸路(第1日目)
 2015.06.01(月) 晴
 「奥の細道」北陸路の「碑撮り旅」は「旅の未知草」とは真逆方向、ならば妻孝行も兼ね数ヶ月前に計画を終えていた。妻のご機嫌を考慮したら何時になるか・・・・「梅雨入り前」にと2日前に「一人旅」として決断した。
  【親不知】新潟県糸魚川市
 予定を1時間繰り上げての出発(0:30)には理由があった。
 「親不知コミュニティロード」の展望台に着いたのは3時30分。懐中電灯で足元を照らし「夜景撮影の絶好地」に向かう。
「夜明空」を取り込むにはこの時刻しかない。
 
【海道の松】新潟県糸魚川市  
 「市振」に着いたのは4時前、日の出時刻は4:33、妻の手造り朝食を食べ時間調整。
 頭上の外灯を避け、何とか「海道の松」と「市振の宿場」、そして「市振海岸」に降り夜明けを撮影。
 
  【長円寺】新潟県糸魚川市
 
 前月の碑撮り旅のリベンジ、通常撮影では真っ暗・・・・技法駆使。句碑01「一つ家に 遊女もねたり 萩と月」(ひとつやに ゆうじょもねたり はぎとつき)、元禄2年7月12日、「奥の細道」旅中「市振の宿」にて詠んだ句。
【元屋敷】富山県朝日町  
 海岸沿いの集落路地に、「芭蕉句碑」がある。撮影終了を見計らうかのように手招きする老人がいて、文字が大きく彫りが深い理由(広場は水田で、道からも見えるように)を話してくれた。
 
 句碑02「わせの香や 分入右ハ ありそ海」(わせのかや わけいるみぎは ありそうみ)、元禄2年7月13-14日「奥の細道」旅中、「那古の浦」で詠まれた句。(説明文
  【徳城寺】富山県滑川市
 「徳城寺」の境内に、芭蕉七十回忌で川瀬知十らが建立した「有磯塚」(大画像)がある。
 芭蕉・曽良は滑川の旅籠「川瀬屋」に泊まった。川瀬知十は、その旅籠で生まれ育った当地の俳人。
 
 句碑03,04「早稲の香や 分け入右は 有磯海」(わせのかや わけいるみぎは ありそうみ)、元禄2年7月13-14日「奥の細道」旅中、「那古の浦」で詠まれた句。ケース入の「旧句碑」と「新句碑」が並んでいる。
【櫟原神社】富山県滑川市  
 滑川市の「まちづくり」の一つ、「なめりかわ宿場回廊めぐり」案内マップに「櫟原神社」境内に芭蕉句碑があることを事前調査で知っていた。「徳城寺」着で余裕が出来たので立ち寄った。
 
 句碑05「しばらくは 花のうへなる 月夜かな」(しばらくは 花のうへなる つきよかな)、元禄4年春の作。今回の「碑撮り旅」の対象は「奥の細道ゆかり」に絞っていた。
 「なめりかわ宿場回廊」案内マップに“芭蕉「奥の細道」と川瀬屋”がある。7月13日、滑川で宿った旅籠「川瀬屋」であり、1763年川瀬知十が著した「俳諧早稲の道」の記念に自家徳城寺に建立、1880年現地に寺・句碑ともに移転したという。話は変るが、この付近の富山湾は、「ホタルイカ群遊海面」で知られている。
 ナビに従わず好奇心に駆られ沿岸道路(県道2号)を走った。「しんきろうロード」(魚津漁港ミラージュランド)という表示があった。条件が整えば「この区間」で蜃気楼が見えるらしい。
  【水橋神社】富山県富山市
 「あかあかと・・・・」は、金沢から小松に向かう途中、「水橋浦」(富山市水橋はかつて水橋浦と呼ばれる港であった)で詠まれたとされることから当神社に句碑が建立された。
 
 句碑06「あかあかと 日は難面も あきの風」(あかあかと ひはつれなくも あきのかぜ)、元禄2年7月15-23日「奥の細道」旅中、「金沢」での作。
【海士ヶ瀬神社】富山県富山市  
 「水橋神社」境内に「海士ヶ瀬神社」があった。売薬行商に旅立つ人の安全祈願のお社として崇拝されてきた。「売薬行商」がくれた「紙風船」・・・・幼い頃の思い出が脳裏をよぎった。
 
 以前にも書いたと思うが、「芭蕉の句碑めぐり」は、単なる石碑撮影でなく「せわしく」碑撮りする中で「真のゆとり」(心の故郷)を取り戻せる。この歳になってこそ感じることだろうが“魅かれる”ものが多い。
  【放生津八幡宮】富山県射水市
 通学児童の交通安全に立ち会う父兄や交番の警察官が通学路交差点毎に見られた。到着時(7:25)に境内広場は所狭しの駐車場・・・・30分も経つと数台に、何だったのだろう。
 
 句碑07「早稲の香や 分け入右は 有磯海」(わせのかや わけいるみぎは ありそうみ)、元禄2年7月14日「奥の細道」旅中、「那古の浦」で詠まれた句。(説明文
 「放生津八幡宮」の本殿裏手(海岸方向)に「奈呉之浦」(越中萬葉名勝地)の石柱があり、道路を挟んで海岸が見えるので行ってみた。
【奈呉の浦】富山県射水市  
 「おくのほそ道の風景地」に「有磯海および奈呉の浦」と併記すればと思うのだが。
 
 「放生津八幡宮」裏手の港湾に降りてみた。富山湾を眺め左手の入江が「奈呉ノ浦」(小画像)。「放生津八幡宮」正面左手方向に入江がある。その陸地に「奈呉の江」なる地名がある。いろんな呼び名が付けられているが「放生津付近の海」を指している。(説明文
  【荒屋神社】富山県射水市
 「放生津八幡宮」から徒歩5分以内なので歩いて向かう。近過ぎると「方向音痴」になると3/4の確率で間違える。(生まれが“猪年”なので・・・・)
 
 句碑08「早稲の香や わけ入類右は あ里磯海」(わせのかや わけいるみぎは ありそうみ)、元禄2年7月14日「奥の細道」旅中、「那古の浦」で詠まれた句。1914年、呉州南伊佐衛門建立で二條基弘(公爵)書。(拡大
【有磯海(女岩)】富山県高岡市  
 「おくのほそ道の風景地」に登録された「有磯海の女岩」である。
 芭蕉が目指したのは「担籠の藤波」(現氷見市にある藤の名所=藤波神社)、万葉集に詠まれた大伴家持ゆかりの地(越中国司、5年間)。
 
 「有磯海」は、二上山(標高274m)の山裾が富山湾に没する「雨晴海岸」で白砂青松と日本海では数少ない遠浅海岸、「女岩」「男岩」「雨晴岩」(小画像右端の岩礁)等が秀景をなしている。小画像の先には立山連峰が見えるはずだが・・・・霞が強くて(霞は春の季語、文学表現で気象学的定義ではないというが)。
 旅程の最終確認に於いて「拝観時間制限」により撮影出来ない場所が数ヶ所あることが判明し急遽全行程を見直した。当初計画の「倶利伽羅峠」(この後の訪問地)を削除、金沢まで高速道路で更に時間短縮を図る。
  【兼六園】石川県金沢市
 
 「兼六園は上坂口」より入園、高齢者特典で入園料は無料だった。句碑09「あかあかと 日は難面も 秋の風」(あかあかと ひはつれなくも あきのかぜ)、元禄2年7月15-23日「奥の細道」旅中、「金沢」での作。(説明文
【兼六園の見所】石川県金沢市
花見橋と鶺鴒島 梅林 兼六園菊桜
七福神山 霞ヶ池と唐崎松 雁行橋
 「兼六園」は多分2回目かも、折角なので小走り(30分)見学。10時予定を15分過ぎで「長久寺」に向かう。
  【長久寺】石川県金沢市
 「長久寺」は、前田利春の三女で加賀藩初代藩主前田利家の妹「津世」の菩提寺。
 句碑の左は樹齢400年近くになる銀木犀である。
 
 句碑10「秋涼し 手毎にむけや 瓜茄子」(あきすずし てごとにむけや うりなすび)、元禄2年7月15-23日「奥の細道」旅中、「金沢」で詠まれた句。
【犀川大橋南詰】石川県金沢市  
 「犀川大橋南詰」信号より左岸上流方へ170m進む(一方通行路/下段)とベンチがある小広場(金沢市寺町5-1-32の犀川縁)があり句碑がある。
 
 句碑11「あかあかと 日は難面も あきの風」(あかあかと ひはつれなくも あきのかぜ)、元禄2年7月15-23日「奥の細道」旅中、「金沢」での作。
 来た道を「一方通行路/上段」を少し戻り、引き返すように「蛤坂」を上る。間口の狭い「成学寺」が右手に、句碑を撮影する若い女性が居た。境内は狭く撮影終了まで待機せざるを得なかった。
  【成学寺】石川県金沢市
 狭い境内の中央部に植え込みがあり句碑があった。
 植え込みを囲むようなロータリーには所狭しと車が止まっていた。
 
 句碑12「あかあかと 日は難面も あきの風」(あかあかと ひはつれなくも あきのかぜ)、元禄2年7月15-23日「奥の細道」旅中、「金沢」での作。境内に「蕉翁墳」があり、「右側が句面」になる。(説明文
【本長寺】石川県金沢市  
 「成学寺」から「願念寺」に向け寺町小路を歩いていた。さて目指す「願念寺」は何処だ・・・・この辺りのはずと探す。この辺りの裏手のはずだが山門は何処・・・・「芭蕉句碑」という小さな立看板を見つけた。
 
 現地で出合った予定外の句碑13「春もやゝ けしき調ふ 月と梅」(はるもやや けしきととのう つきとうめ)、元禄6年1月「許六(芭蕉十哲の一人、彦根藩士)の江戸旅亭で描いた俳画」の画賛。(説明文)句碑と句形が異なる。「奥の細道」とは別の句碑を現地で偶然に見掛た。
  【願念寺】石川県金沢市
 
 句碑14「塚もうこけ 我泣聲は 秋の風」(つかもうごけ わがなくこえは あきのかぜ)、元禄2年7月15-23日「奥の細道」旅中、「金沢」での作。山門左前の右側が句碑。(説明文①)(説明文②
【願念寺】石川県金沢市  
 
 「願念寺」は、元禄期の加賀藩を代表する俳人「小杉一笑」の菩提寺、境内には「一笑辞世の句」がある。句碑15「心から 雪うつくしや 西の雲」(こころから ゆきうつくしや にしのくも)。(説明文)。芭蕉は、一笑の才能に高く評価しつつも会うこともなく他界(36歳)されてしまい、さぞかし空しい思いであったろう。
  【本龍寺】石川県金沢市
 「本龍寺」には「芭蕉句碑」の他に、江戸後期に活躍した加賀の豪商「銭屋五兵衛」の墓がある。
 
 句碑16「小鯛さす 柳すずしや 海士が軒」(こだいさす やなぎすずしや あまがいえ)、元禄2年7月12日「奥の細道」旅中、「越後西頸城郡」にて歩行中の浜辺での嘱目吟。これとは異なる説(説明文
 新潟県糸魚川市にある「旅館玉屋」(芭蕉投宿)近くの「室川医院」にある句碑「小鯛さす 柳すゝしや 海士かつま」とは別に“「奥の細道」旅中と思える期間に読まれた作品の句碑”集に掲載する予定だ。
【小舞子海岸】石川県白山市  
 「小舞子海岸」(白山市湊町)は「日本の渚百選」の一つで夕日が美しいという。松林(防風林)の中に「小舞子児童公園」があり芭蕉句碑がある。小画像は句碑の先にある小舞子海岸駐車場と日本海。
 
 句碑17「ぬれて行や 人もおかしき 雨の萩」(ぬれていくや ひともおかしき あめのはぎ)、元禄2年7月26日「奥の細道」旅中、「小松」の歓生亭での(五十韻発句)挨拶吟。この場所は事前調査、ナビ設定で苦慮した場所だけあって「小舞子児童公園」脇まで着いても分からなかった。通り掛かりのご婦人が自転車を降り、句碑が指呼出来る場所までご案内してくださった。
  【芭蕉の渡し】石川県川北町
 渡し舟に乗り手取川を「木呂場」から対岸の「栗生」に歩を進めた。
 「明治天皇御休所公園」内に句碑が建てられている。
 
 句碑18「あかくと 日は難面も 秋の風」(あかあかと ひはつれなくも あきのかぜ)、元禄2年7月15-23日「奥の細道」旅中、「金沢」での作。(句部分の拡大)。今回の「碑撮り旅」では、本句「あかあかと・・・・」が最も多く6碑目だ。ちなみに2番目に多いのは「早稲の香や・・・・」で4碑である。
【白山比咩神社】石川県白山市  
 「白山比咩神社」(しらやまひめ)は北陸鎮護の大社で紀元前からの悠久の歴史を刻む由緒ある神社。
 句碑は北参道駐車場から鳥居をくぐり左手、社務所前にある。
 
 句碑19「風かをる 越の白嶺を 國の華」(かぜかおる こしのしらねを くにのはな)、疑義残る句とされるが(説明文)、元禄2年7月「奥の細道」旅中、北陸の中天に麗しく聳える白山の姿を讃えて詠んだ句。
  【那谷寺】石川県小松市
 「那谷寺」は「おくのほそ道の風景地」に指定されている。時間をかけて見る価値がある。30分の予定だったが45分滞在した。(予定より15分早い)。「句碑」「文学碑
 
 句碑20,21「石山の 石より白し 秋の風」(いしやまの いしよりしろし あきのかぜ)、元禄2年8月5日「奥の細道」旅中、「那谷寺」にて詠んだ句。句碑21は文学碑に刻まれているもの。曽良は前夜山中温泉で分かれ以降は芭蕉のみの「奥の細道」旅行となる。ここ那谷寺へは北枝(立花北枝;研刀師、ここで入門、芭蕉十哲の一人)と来た。北枝との別れは「天龍寺」(永平寺)、「碑撮り旅」2日目に予定している。
【那谷寺の見所】石川県小松市
山門 金堂華王殿 奇岩遊仙墳
奇岩遊仙墳と手前の池 本殿への石段下 右手の池 奇岩遊仙墳への石段
本殿への石段と大悲閣拝殿 三重塔と楓月橋 楓月橋から眺める奇岩遊仙墳
 「那谷寺」は「おくのほそ道の風景地」に指定されている。時間をかけて見る価値がある。30分の予定だったが45分滞在した。(予定より15分早い)。ただし、「庫裡書院と名勝指定園」「三尊石琉美園」「普門閣」「本殿」「鐘楼堂」等は拝観しなかった。
 「那谷寺」の拝観時間が16時30分ということに気づき、急遽「碑撮り旅」のコースを変更した。「那谷寺」を後にしたのは14時45分、この後の「全昌寺」も拝観時間(17時迄)に制限がある。その後は、大聖寺から小松に戻る。最後が「篠原古戦場」(加賀市)で18時30分着が予定。しかし、途中にタイムスケジュール外の「九谷満月」(九谷焼購入)と「御菓子城加賀藩」(お菓子購入)に立ち寄るので少なくても30分の短縮を図らないと日没になる。
【全昌寺】石川県加賀市
 
 元禄2年8月「奥の細道」旅中、「山中温泉」で別れた曽良が前の夜に泊まった。そして今夜は芭蕉が泊まる。たった一晩の隔たりに過ぎないのに・・・・「一夜の隔て千里に同じ」と曽良のいない寂しさを表している。(説明文
 「全昌寺」の境内は、正に「奥の細道」句碑の屋外陳列館だ。正面左端は大聖寺の俳人「二宮木圭」の句碑、隣りに「3句碑」、右側に「3文学碑」がある。
 小画像は大画像に写らない左方向にある「文学碑」(句碑22,23)で「句」も刻まれている。
 
     
 句碑24   句碑25(句面は右側)      句碑26 
        
 文学碑26,27      文学碑(深田久弥) 
 句碑22,23は、芭蕉真蹟を文学碑「大聖持の城外・・・・草鞋ながら書捨つ。」として刻んだもので、曽良の句22「終夜 秋風きくや うらの山」(よもすがら あきかぜきくや うらのやま)と芭蕉の句23「庭掃て いでばや寺に ちる柳」(にわはきて いでばやてらに ちるやなぎ)が刻まれている。元禄2年8月5-6日、「奥の細道」旅中、大聖寺の全昌寺」にて「曽良との別れ」として詠まれた句。句碑24「庭掃て・・・・」、句碑25は表に「者勢越塚」(芭蕉塚)、右面には読み取れないが「庭掃て・・・・」、句碑26は曽良の「終夜・・・・」、文学碑27,28は「はせを塚と曽良の句碑」なる文学碑で句27「庭掃て・・・・」と句28「終夜・・・・」が並んで刻まれている。
 「全昌寺」(このページ最上段)の大画像「山門」の右上「本堂」、右下「五百羅漢堂」であるが、その「五百羅漢堂」に納められている「五百羅漢像」(500像すべて揃っており、檜に彫刻、極彩色を施している)を3枚の合成画像にした。
 「全昌寺」本堂の一画に「芭蕉庵」(茶室)があり「芭蕉木像」(杉風作)や「掛け軸」(句碑に準じ句29,30「庭掃て・・・・」)を拝観させて頂いた。
五百羅漢像(説明文) 芭蕉像(杉風作は左側) 掛け軸
 「全昌寺」の拝観を終えたのは15時40分(予定に対し10分早い)、これから逆方向に向かい小松を目指す。
 大聖寺地所を後に、楽しみにしていた「九谷満月」で九谷焼のコーヒーカップ(2脚)とフリーカップ(2脚)、「御菓子城加賀藩」で3種の和洋菓子を買った。2店舗で30分は道草している。先を急がなくちゃ陽が暮れる。
  【多太神社】石川県小松市
 「多太神社」(きた)にナビは直接本殿へ導いてくれた。(駐車場の関係か)。本堂左手前に芭蕉句碑があった。急いでいるのでロスタイムが生じなく有難かった。(?)
 
 句碑31「あなむざんや 甲の下の きりぎりす」(あなむざんや かぶとのしたの きりぎりす)、元禄2年7月24-26日「奥の細道」旅中、「小松」にて詠まれた句。(説明文)「むざんやな・・・・」の初案だろう。
【多太神社】石川県小松市  
 予定より20分遅れ、「あなむざんや・・・・」の句碑を撮影したので「本折日吉神社」へ先を急いでも良かったが・・・・後ろ髪を引かれる思いで参道鳥居へと行ってみた。
 
 「芭蕉像」と句碑32「むざんやな 甲の下の きりぎりす」(むざんやな かぶとのしたの きりぎりす)、(説明文)の碑中には、供の曽良の句33「幾秋か 甲にきえぬ 鬢の霜」(いくあきか かぶとにきえぬ びんのしも)と北枝の句34「くさずりの うら珍しや 秋の風」(くさずりの うらめずらしや あきのかぜ)が紹介されている。
  【多太神社】石川県小松市
 
 ジャパネット・たかたの社長ではないが「さらに、さらに」であった。句碑35「むざんやな かぶとの下の きりぎりす」(むざんやな かぶとのしたの きりぎりす)があった。(説明文
【本折日吉神社】石川県小松市  
 疲れが出たのか記憶が曖昧だ。タイムスケジュール表には到着・出発時刻の予定に対し結果も書き込んでいる。画像データには撮影時刻も表示されているので照合すれば間違いない。(一部、訪問順が異なるが)
 
 句碑36,37「しほらしき 名や小松吹 萩すゝき」(しおらしき なやこまつふく はぎすすき)、元禄2年7月24-26日「奥の細道」旅中、「小松」の鼓蠣(こせん)の館で催された「山王句会」(芭蕉・曽良・北枝等10人)で詠まれた句。句碑36の拡大それらしき句部、句碑の右側に「芭蕉留杖の地」なる石柱、同裏側に句碑37「しおらしき・・・・」と鼓蠣の句38「露を見しりて 影うつす月」(つゆをみしりて かげうつすつき)がある。
  【建聖寺】石川県小松市
 「建聖寺」は、芭蕉が訪れた頃は
「立枩寺」(りゅうしょう)といっていた。芭蕉十哲の一人「立花北枝作」といわれる「芭蕉木像」と「芭蕉が背負ったつづら」を拝見。
 
 句碑39「しほらしき 名や小松吹 萩すゝき」(しおらしき なやこまつふく はぎすすき)、元禄2年7月24-26日「奥の細道」旅中、「小松」の鼓蠣(こせん)の館で催された「山王句会」で詠まれた句。「芭蕉翁」(何やら文字らしきものが確認出来るが)、「句碑」、(説明文)。
【菟橋神社】石川県小松市  
 隣りは「菟橋神社」(うはし)の結婚式場になっている。
 写真だと、右前の石が句碑のように錯覚して見えるが、句碑は木の枝で影になっている中央である。
 
 句碑40「志をらしき 名や小松ふく 萩すゝき」(しおらしき なやこまつふく はぎすすき)。元禄2年7月24-26日「奥の細道」旅中、「小松」の鼓蠣(こせん)の館で催された「山王句会」で詠まれた句。
  【中央緑地】石川県小松市
 「小松市役所」の並びにある「中央緑地」(工場跡地)に、「奥の細道三百年記念」(市制50周年)で、「奥の細道」途次、「小松」で詠まれた4句が建てられていた。
 
 句碑41「しをらしき 名や小松吹く 萩すゝき」(しおらしき なやこまつふく はぎすすき)句碑画像
 
句碑42「ぬれてゆく 人もをかしや 雨の萩」(ぬれていく ひともおかしや あめのはぎ)句碑画像
 句碑43「むざんやな 甲の下の きりぎりす」(むざんやな かぶとのしたの きりぎりす)句碑画像
 句碑44「石山の 石より白し 秋の風」(いしやまの いしよりしろし あきのかぜ)句碑画像
 時刻は18時、次は本日の〆なる「篠原古戦場跡」、約30分の道のりに加え夕方のラッシュ・・・・大丈夫かな?
【篠原古戦場跡】石川県柴山町  
 事前調査の段階で句碑の場所が特定出来ない場所は、ナビに頼ってはいけないと肝に銘じていた。
 地図およびストリートビューでは確認出来ていたが・・・・「やはり」だった。
 
 句碑45「むざんやな 兜の下野 きりくす」(むざんやな かぶとのしたの きりぎりす)、元禄2年7月24-26日「奥の細道」旅中、「小松」にて詠まれた句。
  【篠原古戦場跡】石川県柴山町
 「篠原古戦場跡」は「首洗池」で知られる。(説明文
 「首洗池」は悲話であり、今夜は(車中泊だと)夢を見そうだ。
 
 計画した「句碑」「風景地」を漏れなく撮り歩いた。ほっと一息・・・・時刻は18時34分(予定では18時40分)我ながらすごい正確さだと感心した。日没時刻は19時04分、天気は晴だったが夕闇はすぐ近くまで迫っている。
 この後の予定は福井県あわら市まで移動、「セントピアあわら」で入浴し道の駅「みくに」で車中泊だ。勿論、どこかで夕食を摂らないといけない。しばらく走ったら道路標示が、「あわら市25km」「山中温泉15km」、この差10km・・・・疲れ切ったこの時点では「東尋坊は中止」に100%賛成。それに、明日の「東尋坊」の次は「山中温泉」だよ。山中温泉「愉快リゾート山中グランドホテル」に電話を入れ宿泊希望を伝えたのは「山中温泉まで10分」の場所だった。「山中温泉」は(?)・・・・そりゃいい湯でしたよ。