旅の未知草 埼玉北部の芭蕉句碑
 2015.06.19(金) 雨
 梅雨真っ只中、雨降りが続いている。出張前日に立案、それも雨天決行の「埼玉北部編」だ。全国に何千もの芭蕉句碑・文学碑・塚などがある。句碑に限定した場合1位「埼玉」、2位「群馬」、3位「長野」らしい。
  【池上神社】上里町
 句碑①「はつさくら おりしもけふは よき日なり」(はつさくら おりしもきょうは よきひなり)、貞享5年春、「笈の小文」の旅中、伊賀上野の薬師寺にての作。(句部分拡大
 
【産泰神社】本庄市  
 調査時の印象、句碑の形がユニーク、刻字に色づけ等・・・・楽しみだ。
 句碑②
「しくるるや 田のあら株の くろむ程」(しぐるるや なたのあらかぶの くろむほど)、元禄3年、伊賀上野での作。
 
  【雛ヶ岡城跡】本庄市
 公園内の「塙記念館」前を横切り句碑がある「金毘羅神社」へ。
 句碑③
「むざんやな 甲の下の きりぎりす」(むざんやな かぶとのしたの きりぎりす)、元禄2年7月「奥の細道」旅中、「小松」にて詠まれた句。
 
 「児玉町」(本庄市)、「岡部町」(深谷市)に市町村合併で併合されている。古いナビのため目的地設定が出来なく苦慮、当日も右往左往した場所もあった。
【東石清水八幡神社】本庄市  
 句碑④「山路來て 何やらゆかし すみれ草」(やまじきて なにやらゆかし すみれぐさ)、「野ざらし紀行」旅中、「大津への山路」にて詠まれた句。
 
 この句を刻んだ句碑は長野県下でも見掛けている。牧歌的で田舎の風景にマッチした句だと思う。そんな観点から、この句を選んだような気がする。
  【百体観音堂さざえ堂】本庄市
 「成身院」の「百体観音堂」は天明3年(1783年)の浅間山大噴火の際の死者を供養するために建てられたらしい。「さざえ堂」とも呼ばれている。
 
 句碑は石段下の案内板の左下、草むらに斜め上向きになっている。句碑⑤「観音の 甍観やりつ 花の雲」(かんのんの いらかみやりつ はなのくも)、貞享3年、深川の草庵で病に耽っていた際の作。雨天で露出不足、マニュアルフォーカスになるのでどうもピントが合わせ難い。更に傘を差しての撮影なので手振れも起きる。
【摩訶池】美里町  
 
 句碑⑥「ほとときす 声よこたふや 水の上」(ほととぎす こえやよことう みずのうえ)、元禄6年4月29日、岐阜の長老宮崎莉口宛ての書簡(甥の桃印死去後の寂しさを綴っている)。(句碑部拡大
 摩訶池(伝説の池)は灌漑用水の溜池で弁財天を祀っている。ゴルフ練習場の駐車場の奥(池側)に弁財天が祀られ、句碑が並んでいた。小さな鳥居があったようだが地面に倒れていた。
  みか神社 】美里町
 当地は古くから柘けた地で、数多くの古墳が点在し埴輪や甕等の土器が作られていたといいます。「みか」は酒造り用の「大甕」のことで保存されているようです。
 
 句碑⑦「麦刈りて 桑の木ばかり 残りけり」(むぎかりて くわのきばかり のこりけり)作者不知/誤伝の部に属す。昭和58年建立というが、近年なのに何故「作者不知/誤伝」とされる句を選んだのだろう。
西大沢神社 】美里町  
 「西大沢神社」をナビ設定した。すぐ近くなのに「らしき建造物」が見当たらない。近くで見掛た方に尋ねると「全く違う場所」(大分離れている)を教えて頂いた。
 
 句碑⑧「川上と この川下や 月の友」(かわかみと このかわしもや つきのとも)、元禄5年秋、「五本松」(東京都江東区大島町、小名木川の川端)、名月の夜での作。
  【本郷西部集会場】深谷市
 
 「本郷西部集会場」は旧岡部町、本郷には3つの集会場があり最も分かり難い場所。ナビ設定不可、勘で走る。この辺りかと思う場所でごみ出し(?)に出たおばさんに尋ねる。少し先を指呼し確認して見てと教えられた。句碑⑨「花の影 硯に代る 丸瓦」(はなのかげ すずりにかわる まるがわら)、(もとの水)、存疑の部に属す。
 この後「愛宕神社」(深谷市普済寺)の「冬枯や 世は一色の 風の音」、(もとの水)、これまた存疑の部に属す句だ。岡部駅に車を止め「市内案内図」を見て頭の中に叩き込む。それでも所在不詳。徒労の末、諦める。近くにも「愛宕神社」はあったが句碑は見当たらなかった。(近隣に2つの愛宕神社があるようだ)
【雲雀塚】深谷市  
 
 句碑⑩「原中や 物にもつかず 鳴雲雀」(はらなかや ものにもつかず なくひばり)、貞享3年の作。
  【光厳寺】深谷市
 
 句碑⑪「御命講や 油のやうな 酒五升」(おめいこや あぶらのような さけごしょう)、元禄5年の作。「御命講」(おめいこう)とは、日蓮宗の法を説くための集会のこと。
【楡山神社】深谷市  
 
 「楡山神社」(にれやまじんじゃ)より鳥居左手方向に150mほど行くと「斉藤菊次郎」(どういう人か不詳)の顕彰碑がある。そこに並んで句碑がある。句碑⑫「冬こもり 又寄りそはん 此はしら」(ふゆごもり またよりそわん このはしら)、元禄元年冬の作。
 「楡山神社」は「深谷市原郷1994」(電話番号あり)と「深谷市原郷」の2ヶ所表示される。後者は「楡山神社前」という交差点信号がある。実際に神社があって句碑があるのは後者だ。
  【地蔵堂】深谷市
 
 国道17号深谷バイパス「諏訪新田」交差点の高崎寄り100m程に墓地あり、そこに(地蔵堂)句碑がある。句碑⑬「蓬莱に 聞かはや いせのはつ便」(ほうらいに きかばやいせの はつだより)、元禄7年元旦、江戸での作。
 「地蔵堂」と「住吉神社」は順番が入れ替わった。「住吉神社」に向かう  
 「住吉神社」には、二つの句碑がある。
【住吉神社】深谷市  
 「住吉神社」は深谷市宮ヶ谷戸という地所、「国道17号深谷バイパス」と「上武道路」のJCT的な場所近く、50年近く前に住んでいた頃は交通の便が悪い陸の孤島だった。
 
 まず一つ目の句碑は、句碑⑭「能見れは 薺はなさく 垣根かな」(よくみれば なずなはなさく かきねかな)、貞享3年の作。
  【住吉神社】深谷市
 
 そして二つ目の句碑は、句碑⑮「秋の野や 草の中行く 風の音」(あきののや くさのなかゆく かぜのおと)、(百歌仙)存疑の部に属す。
【吉祥寺】深谷市  
 
 句碑⑯「頓てしぬ 氣しきは見えず 蝉のこえ」(やがてしぬ けしきはみえず せみのこえ)、元禄3年夏、幻住庵で秋之坊(「奥の細道」で金沢で入門した金沢蕉門の一人)に示した句。
  妙光寺 】深谷市
 句碑は山門の裏手、柵に挟まれるようにしてあった。隙間からカメラを差し入れて「広角レンズ」で撮影した。句面は塀側かと思われるが確認のしようがない。
 
 句碑⑰「艸臥て 宿かる頃や 藤の花」(くたぶれて やどかるころや ふじのはな)、「笈の小文」、貞享5年4月11日、「八木」での吟。
【摩利支天堂】深谷市  
 
 「摩利支天堂」の「江原氏館跡」に句碑がある。句碑⑱「寒菊や 粉糠のかかる 臼の端」(かんぎくや こぬかのかかる うすのはた)、元禄6年の作で晩期傑作の一つ。(句部分拡大)(句部「寒菊や・・・・」の部分拡大)(芭蕉像)(句と像の間部分
 「旅の未知草」は110km(総走行距離940km-直行直帰走行距離830km)、来月?・・・・「埼玉北部」です。