信州の鎌倉 ; 東塩田・西塩田めぐり |
2018.11.07(水) 晴 |
10月22日に上山田温泉で中学生時代の同級会を開催した。幹事による反省会を「別所温泉」(信州最古の温泉、旅行会社選66位)の「相染閣;あいそめの湯」で行った。折角なので、9時過ぎに家を出て「信州の鎌倉」紅葉めぐりをし12時過ぎに到着、源泉かけ流し温泉に入浴し13時からの会合に参加した。 |
【塩田平地一望】 |
別所温泉は景行天皇の時代、日本武尊の東征の折りに発見されたと伝承。「別所」という地名が初めて歴史に登場するのは13世紀であり、その由来は「将軍塚」で有名な平維茂が戸隠の「活鬼紅葉」という鬼女の退治を北向観音に祈願して首尾よく退治に成功したため、この地に「別業」(別荘)を建て、別所と呼んでからのこと。 鎌倉の北条氏のひとり,北条義政が1277年に信濃国塩田荘に遁世し,それ以降50年余り3代にわたって北条氏がこの地域を治めました(塩田北条氏)。その間,鎌倉風の仏教文化が塩田及び別所の地に栄えた。別所を含む塩田平が「信州の鎌倉」と称されたのはこのためです。 |
【生島足島神社】 御柱街道東大鳥居 | ||
日本の中央として親しまれている生島足島神社。申年と寅年に御柱大祭(直近は平成28年)が行われている。生島足島神社は塩田22ヶ村の総鎮守であり、その祭りの規模は近郷では比類ない程で、華やかな祭りで、東山国有林から5尺5寸の大きな赤松を切り出しこの鳥居を抜け本宮へ牽かれて行く。 |
創建時期は不明、平安時代初期にまとめられた延喜式に「生島足島神社二座名神大」と載っている。中世未期以降には、「下之郷大明神」「諏方法性大明神」などと呼ばれ、武田氏や歴代上田藩主の保護を受けてきた。寛政11年(1799)に社名を生島足島神社に改められた。 |
生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られ、摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社です。 |
【長福寺夢殿】 | ||
平安時代創建の信州屈指の古刹。創建当初は、西隣に「神宮寺」(生島神の別当)、長福寺は足島神の別当。明治の廃仏毀釈により神宮寺は廃寺になる。八角のお堂は「信州夢殿」と称され全て奈良法隆寺の夢殿の二分の一に写し、瓦までもが奈良の物を使用するなど当時の匠の技が結集された昭和(昭和17年建立)を代表する建築。 |
【戦没画学生慰霊美術館 無言館】 |
無言館と信濃デッサン館は、東御市居住の作家、故水上勉さんの息子である窪島誠一郎さんが昭和54年(1979)と平成9年(1997)に建設・運営されている美術館です。信濃デッサン館は、村山槐多・関根正二など若くして病死した画家のデッサンを中心に展示しています。 |
無言館は、戦没画学生たちの遺作となった絵画・作品・絵の道具・手紙などを専門に収蔵展示しています。若い画家たちが才能を開かせる前に戦争で命を散らせてしまった。妻を誘い、改めて鑑賞に行ってみたいと思った。 |
【信濃デッサン館】 | ||
信濃デッサン館ならびに別館「槐多庵」は、平成30年3月15日をもって無期限休館になっている。その後、期間限定で開会するも「休館」には変わりない。 |
【前山寺三重塔】 「未完成の完成の塔」 | ||
独鈷山麓にある古刹で、本尊は大日如来。間口十間独鈷山麓にある古刹で、本尊は大日如来。間口十間、奥行八間の木造萱葺。弘仁年中(812)空海上人が護摩修行の霊場として開創したと伝承。当初古義真言宗として法相、三論両宗を兼ねていたが、元弘年中(1331)讃岐国善通寺より長秀上人が来止し、正法院を現在の地に移し、前山寺を開山したと伝えられる。塩田城の鬼門に位置し、その祈祷寺として、武将の信仰も厚かった。貞享年中(1684~)鶏足寺を離末し、京都の智積院末となり新義真言宗信州常法談林所として教学の殿堂であった。かつては四十数ヶ寺の末寺をもち、歴史のある寺として知られている。 |
「未完成の完成」と言われ、二、三重の柱に長押仕口がありながら、窓も扉もなく、また廻廊も勾欄もない。ただ長い胴貫が四方に突出して、うまく変化と調和を持たせている。相輪は鋳鉄製で、格狭間付露盤、伏鉢、請花、九輪、水煙、竜車、宝珠よりなる。内部には四天柱がなく、折上小組格天井とし、中央に須弥壇を置く。様式は、和様、唐様の折衷様式で、初重頭貫鼻が象化に移行する初期のものとして、時代の特徴がうかがわれる。 |
【中禅寺薬師堂】 | ||
中禅寺の創建は天長年間(824~34)空海が雨乞いの祈祷をする為に草庵を結んだのが始まりと伝えられています。その後、源頼朝、塩田北条氏などに庇護され寺運が隆盛したとも伝えられていますが永享年間(1429~41)、寛文5年(1665)、享保5年(1720)と火災にあい多くの堂宇、寺宝、記録などを焼失し詳細は不明な点が多いとされています。享保19年(1734)に祐精法印が中興開山し現在の本堂を建立しています。 |
【丸窓電車】 | ||
通学(高校時代)で利用した思い出の「丸窓電車」、終着駅の「別所温泉」に展示されています。 |