宝蔵寺 岩壁に祀られる岩谷堂観音
2020.01.05(日) 晴
 
 普段から気になっていた上田市御嶽堂にある「岩谷堂観音」(龍洞山宝蔵寺)に行った。、平安時代初期の建立で信濃三十三観音霊場・中部四十九薬師霊場、また木曽義仲戦勝祈願の地ということを知った。
 急勾配の参道(石段)を登ると左手に「宝蔵寺」がある。義仲出陣に際し戦勝祈願で脇参道を馬足で駆け上がり山門前の桜の幼木に馬を繋いだとの伝承。その桜が「義仲桜」(義仲お手植えの樹齢800年の江戸彼岸桜)、山門が「馬大門」と呼ばれている。山門の両側には城壁を思わす石垣(寛政の大石垣)がある。
 
 約1,200年前比叡山第三代座主慈覚大師円仁によって開山、御本尊に大師御謹刻の聖観世音菩薩を安置。
 
 御堂(岩谷堂観音)の横、崖の割れ目に押し潰されるかのようにある建物・・・・「楓の前」。平家の猛将「平景清」(浄瑠璃・出世景清で有名な悪七兵衛)の寵妃「楓の前」が、ここに隠棲して景清と平家一門の菩提を弔ったとの伝承。右画像は「二尊堂」(薬師如来と阿弥陀如来を祀る)。また、義仲公の寵妃「巴御前」も「楓の前」同様、当寺で弔ったとの伝承もあります。
 芭蕉が詠んだ「景清も花見の座には七兵衛」(めっぽう強い平家の武将平景清はその名も悪七兵衛。しかし、花見の時には悪の字が取れて七兵衛になるのだろう。さあ、みなさん無礼講で花見と行こうじゃないか。)。我も、桜の咲く頃に再訪してみましょう。
 
 「楓の前」に設けられた急勾配の石段を登ると「月見堂展望台」がある。昨夜半に降った雪が残っていた。
 「依田川」と「旧丸子町」の家並みが眺望できる。
 
 [聖徳太子」は、仏教を厚く保護し日本仏教を広めた聖人として、宗派を超えて信仰されているため多くの寺に「聖徳太子像」を安置した御堂(板碑等)があります。
 「岩谷堂岩窟古墳」は、古墳時代後期の古代墓地で人骨だけでなく鉄剣や鉄鏃・銅鏡などの金属製品や糸を紡ぐための小型の車石製の紡錐車や刀子等々が発掘されたようです。落石が多いことから立入禁止になっていた。
 木曽義仲が馬で駆け上がったと伝承される「脇参道」を下り、「宝蔵寺・岩谷観音堂」を見返り本日の史跡探訪を終えた。
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