塩田神社 曽良の句碑
2021.09.17(金) 晴
 コロナウイルスの感染拡大を受け、8/27時点では全国で新たに24,187、緊急事態宣言が21都道府県、まん延等防止が12県、合せて33都道府県に発出されている、47都道府県の70%にも及ぶ状況で8月の仙台出張は自粛。その後徐々に減少し、昨日9/16日現在(宮城は9/12をもって解除)の感染者数は全国で新たに5,6921/4以下迄減少している。仙台出張は決算月でもあり欠席はあり得ない。そこでの決断は、「Door to Door」(泊らずの直行直帰)、9月恒例の実家産の葡萄を受け取りに出発日の午前に、途中の「曽良の句碑撮り」は無謀極まりない。
 塩田神社のある山口地区一帯は、その昔「塩田村」と呼ばれていました。神社はその名を残し、山口の集落のほぼ中央に建てられている。祭られているのは、「古事記」「日本書紀」にも登場する海神の「鹽土老翁神」です。約400年前の建立と言われる旧社殿は、平成20年地区住民によって建て替えられた。入口の鳥居は当時のまま残されている。かつてお祭りに使った芝居(塩田歌舞伎)の背景画や幕が、現在も保存されているようです。また、社殿の裏には下の曽良の句に詠まれた沼もありましたが、今は埋め立てられ遊園地になっています。
 塩田神社境内にある縦75cm、横48cmほどの石碑で、河合曽良が1702年頃(芭蕉は1694に没、この年には、去来が「奥の細道」を京都の書肆井筒屋庄兵衛から出版、曽良は1710壱岐勝本で没)献納したと伝えられています。曽良は上諏訪出身の俳人で、松尾芭蕉の弟子です。碑には「汐飛ぶや岩にこびつく沼の苔」という曽良の句が刻まれています。曽良が芭蕉の「更級紀行」の跡をたどって「姨捨の月」を訪ねた折、上諏訪の生家への帰途、塩田神社へ立ち寄ったのではないかと言われています。
 さて肝心な「葡萄」の件であるが、顧問先の人員増もあり昨年から2箱になっている。手土産にしていたのは、「巨峰」から「ナガノパープルとロザリオビアンコ」そして「シャインマスカット」と変遷してきた。そもそも「巨峰」は母の実家が始め拡げたという歴史の古い種類であった。「シャインマスカット」は高価なので予算上、僅か、大半は「ナガノパープルとロザリオビアンコ」、生産は昨年から前者の比率が高まり後者は減ってきている。姪が埼玉より通いでリンゴとともに育てている。そして、今回は「秘密の一房」を試食としてもらった。来年からJA長野で発売、今日時点では「無いことになっている新品種」、「新品種」は一房半で何と今回の2箱の代金に匹敵する超高級品、頂いた一房より顧問先「役員会」でお一人一粒、「話の種」として持参することにした。