馬のオブジェ 17年の歳月を経て
2005.5 → 2022. 3 
 オブジェ;表現への挑戦
 
 
 小画像は、黒姫高原で出合ったオブジェ(2005.05.05)である。宮城から長野に戻って1年が経った頃である。今から17年前、17年と言えば宮城で暮らした年月に匹敵る。
 競走馬に見るような前足を折り曲げての力強い動き、その雄姿をモデルにしての「オブジェ」作りに取り組んでいる。手探り状態ゆえどんなものが出来上がるか、またまた途中で投げ出してしまわないか・・・・
 自信に繋がった過去の造形
 米沢の法泉寺(直江兼続により創設)庭園にある土橋をモデル(左端)に、西の畑に作ったものだ。この程度までなら何とかなるであろうとの自信もある。そして「このオブジェ作り」が「人生最大の記念物」になるとは・・・・
 22、4日 材料収集 & 皮剥き
 
 
 ニセアカシアの伐採地より適材と思えるものを農道から見える台地の縁から拝借してきた。希望材は「白樺」であるが、手に入らないので雑木の皮を剥いで白木材にしてキシダレコールを塗付して使うことにした。栗色でなく白馬である。
 29日 材料の切断
 
 胴体部として500mmで切断、右画像の右端が有効、左2本は不要(別途利用)
 
 頭部として200mmで切断、右画像の右端が有効、左の長いものより200mmを取り二つ割として耳を作る。
 
 頸部として500mmで切断、右画像の右端が有効、左の長いものより輪切り10mm 2本を取り眼を作る。
 
 有効分で3部位のバランスを診る。頸部が若干長いように見える。胴体の下方、頭部の上方に僅か突き出せばこの長さで良さそうだ。
 脚部として500mm4本を必要とする。組立の過程で最適材を選び、取付時に切断する。ここでは「節と毛羽立」の処理を行った。
 
 
 頭部の余材より耳部として200mm 1本を切断し二つ割にした。お隣の工具箱より錆びついた鉈を拝借、錆び取り跡に研ぐという予定外の手間を掛け、キシダレコールを塗付した。
 
 頸部余材より輪切りにした10mm 2本にキトダレコールを塗付。右画像は予備材も含め乾燥中のもの。
 321日 完成へのイメージ
 
 取り付けの準備加工、そして一気に組立へと・・・・電動ドライバーのパワー不足で釘打ち取付に変更。ところが名残りの大雪で、またまた停滞に・・・・。
 325日 完成
 
 46日 余材で草食む牝馬を添える
 
 牝馬が並び、馬のオブジェも仲良し夫婦に・・・・この翌々日(48日)に何が起こるか知る術もない。
①発症4/8 14:30
 会議資料の投函・入荷カメラの引取りにと車のドアに手を掛けた瞬間に背後から金属バットで殴られたような激痛が走る。
②大動脈乖離と認識
 主治医の先生から「腹部大動脈乖離」の発症可能性ありと言われレクチャーを受けていた。→兎に角「
119」へ
③妻に「
119通報」を頼む
 上田市丸子から向かうとのこと、ほどなく到着、かれこれ
20-30分して市民病院に搬送される。
④市民病院での診察(
15:40-16:20
 救急隊員による「尿管結石」の可能性も捨てがたいとのこと。この間
40分ぐらい。
⑤ドクターヘリで佐久医療センター(空路所要時間は
5-7分)
 既に隣接の中央公園で待機していたドクターヘリで向かう。飛行時間は
5-7分。ここまで、意識は遠のいたり戻ったり、3回ほど死ぬと思った。
⑥佐久医療センター(16:40-50頃に到着)
 緊張した体を休ませる目的で眠らされる。手術の前に妻と姉が面会、妻が私の手を握り頑張れと・・・・手術は
17:30-22:50
⑦術後に意識が戻る
 「今日は
10日の朝です。ここは何処か判りますか?」・・・・先生の声に意識が戻る。
ICUから病棟へ
 一旦、待機した
2号室に移動(4/14)、手足の指先までしっかり動く、会話も普通、記憶も定か・・・・ICUから自己診断、後遺症はなさそうだ。4/15朝、左下1/4が見えないことに気付き先生に次げる。検査の結果「視野欠損」(脳梗塞)と診断される。
⑨妻からカメラの差し入れ(
4/14
 「消えた仲春」、タイトル画像は「小望月」(
14日目)満開桜の上に「ピンクムーン」が昇った。個室(東向き、南棟222号室)、4/16である。
⑩散り桜の下で記念撮影(
4/17) 散り桜命と思ひて拾ひけり
 「連休前に退院できます」と担当医の先生から聞かされていた。「細かな日付はリハビリの先生と決めます」と。リハビリの先生から桜を観に行きましょうと・・・・桜の下で「生きてるぞ!」また「ドクターヘリ」も撮りたいと希望した。
 
 428日 結婚記念日の前日に退院
 48日、顧問先へ資料を郵送・入荷しているカメラの引取りにと午後1430分に家を出るべく車へ・・・・車のドアに手を掛けた時、背中に激痛が走る・・・・「やった!△×□」(これが大動脈乖離と言うものかと)
 530日 蝶棲庵の一画に居場所を確保
 そして、611日、誕生日を迎えることが出来た。「75歳。後期高齢者」の仲間入り、生まれ変わりの人生は・・・・何年生きられるか解らないが「スローライフ」で臨もう。
             MP3  永遠の笑顔