福沢氏館跡・村上氏の遺構めぐり(補遺)
(長野県)
20230412日 (水)
 厚生連篠ノ井総合病院(南長野衣料センター)へ定期診察で行って来た。帰路、41日の「坂木村上氏の遺構めぐり」の編集中に判明した「福沢氏館跡」(坂城町網掛2899)の正確な位置に立ち寄ってみた。
 画像にマウスを当てるとロールオーバー効果で「集落の中央部」にマーカーが現れるので探して欲しい。
 青い防獣ネットで囲まれたブドウ畑、この周辺一帯が「坂木福沢氏館跡」とされる。
 上画像の防獣ネットの先が見通せる場所から[坂木福沢氏館跡」とされる場所を眺めながら「福沢川」の上流方向を確認した。前回はこの辺りで消えていると記したが、山縁の竹藪沿いに更に上方へと伸びていた。
 「びんぐしの里公園」の高台から「福沢の里」を見下ろした。ロールオーバー効果を施したで要確認。
 小雨が時々降るも気になるほどでなかった。ちょうど山桜も満開期で若葉とのコラボで萌える春の里山で眼の保養になった。少し寒かったが駐車場脇のお店でソフトクリームを食べ、通院帰りの一時の息抜き。
 塩田地方は、鎌倉幕府が滅亡するとともに北条氏にかわって村上氏の勢力下におかれた。村上氏はいまの坂城町を本據とした豪族であるが、塩田地方の支配権を握ると、重臣福沢氏を代官として塩田城に置き前進基地とした。福沢氏は室賀峠北麓の要衝福沢の出身であるとの定説。「北条福沢氏」と「村上福沢氏」の記録に65年の切れ目がある。「北条氏」は鎌倉で「平家」の流れ、私の実家の仏壇に納められている「位牌箱」を父親に見せてもらった記憶が残る。位牌には「平」の文字が記されていた。「塩田は信州の鎌倉」、「塩田の庄」は源氏の流れをくむ。「塩田福沢氏」には「北条福沢氏」と「村上福沢氏」が存在しても不思議でない。
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