塩田北条氏;福澤家の歴史補遺
2023513日 北条流福沢氏の里(4/17分の補遺5/13
 塩田の館
 「塩田の館」に、塩田北条氏の塩田城跡発掘調査からの出土品が展示されているというので行ってみた。草刈をされている方に「おたや」の場所を尋ねた。移住され10年未満だという方であったが断片的なキーワードに、それなら判りますと快く観光地図を取り出し説明してくださった。目的を話すうちに、歴史にご興味を持たれているようで「塩田福沢氏」つながりで「福澤家の歴史」にも興味を持たれ是非欲しいと言われた。
 おたや
 ひょんなことで、ある方のホームページで「おたや」の存在を知った。詳しく知りたくネットサーフィン、このページ以外にヒットする情報は皆無、場所を特定するキーワードは「前山寺近く」と「パノラマライン展望台」という小さな表示(かつてのものだろう)が写り込んだ祠の画像」のみ・・・・。
 場所は「前山寺の参道」に向かって立ち、その道を右手(西)に
35m行くとT字路に突き当たる。その正面が「おたや」である。
 説明板に、「塩田城にいてこの地を治めた福沢氏は、ここにお伊勢様とお坂木様を祭った。この地方では大切な史跡である」と書かれていた。「お坂木様」とは「村上氏」であろう。「お伊勢様」とは「伊勢神宮」(三重県伊勢市)であろう。→「天文13年(1544)、小県郡福沢顕昌、伊勢大神宮に同郡奈良本等の地を寄進す」とあり。
 「おたや」の意味が解らない。「(御)旅館」のことを「おたや」と呼ぶらしい。身近で探すと長野市川中島に「伊勢社」があり、「御旅館(おたや)祭り」で知られているようだ。参考までに記載したが、地元の研究者に明快な説明文を希望するに留めたい。
 御夜燈に刻まれた「慶應三年」は「明治」の前の元号である。「おたや」の建立時期か夜燈を新たに造った時期かは判らない。慶應年間の福沢氏と言えば、福澤家で言えば曾祖父の父から祖父世代の「福澤勇治宥時」「福澤源左衛門時粛」の頃になる。私的願望で当地を探索・主目的に訪れたのは、福沢顕昌(天文)もしくは福沢昌景(天文)、更に時を経た福沢政隆(天正)、事欲ば過去帳最古の「殿山洞源清」(明應)との願望でシャッターを切り続けた。編集時に分ったことで落胆を隠せない。
 前山寺
 前山寺は未完成の完成といわれる三重塔で知られ、過去に幾度となく拝観している。今回は、弘法大師が開き、鎌倉時代に長秀上人が発展させたという前山寺は、塩田北条氏の祈祷所ともなりました。という一文で異なる角度から観てみようと拝観した。
 塩野神社
 塩野神社の屋根付橋、昨年亡くなった兄と撮影参詣に訪れた思い出がある。「福澤家の歴史」編集の報告を兼ね立ち寄ってみました。