砥石城下(長野県上田市);城下町伊勢山
2023.10.01 晴
 塩田福沢氏が守る塩田城自落直前に起きた「砥石城崩れ」、妻の送迎の合間2時間を利用し「城下町伊勢山」へ行った。妻を送り届けた場所から車で20分の地なので滞在時間は1時間ある。ざっと下調べ、メインを「陽泰寺」とし、同伊勢山地区の通り道にある「庚申塔」と「飯綱城跡」を加えた3ヶ所めぐりである。
 城下町伊勢山と庚申塔
 「砥石城崩れ」は、天文19年(1550)に起きた村上義清と武田信玄の戦い、軍勢は村上方1,000人弱に対し武田方は7,000人、軍配は砥石城を守りきった村上方に挙ったことで有名な戦いとなった。しかし、翌年に真田幸隆の裏切りで落城した。その後、真田昌幸は砥石城下の伊勢山に城下町を整備し、館を構え政務を執った。
 天正
101013日(1582 ) 真田昌幸、湯本三郎右衛門慰に小県郡海野郷内の地等を宛行ひ、また、石井喜右衛門慰等をして知行を安堵せしむ、尋いで、三郎右衛門慰をして、上野羽尾に在城せしむ、「猶重恩之事者、羽尾改之上、何ニも相当ニ可置候条、伊勢山―令参上、可致訴訟者也」・・・・真田昌幸安堵状(信濃史料)
 城下町伊勢山は、庚申塔から陽泰寺までが「縦町」、庚申塔の両脇に延びる「横町」(旧上州街道)と中世から発展した城下町になっている。集落のシンボル的な庚申塔は鷹さ3mと県下でも有数の大きさ。
 望富士陽泰寺(海野氏の菩提寺)
 旧伊勢山集会所(飯綱城跡)