吾妻峡(群馬県東吾妻町・長野原町);八ッ場ダムに沈んだ思い出
2023年10月23日(月)晴
 吾妻峡(八ッ場ダム下流吾妻川)
 国道145号「雁ヶ沢トンネル」を抜け直ぐに「雁ヶ沢一号橋を渡る。右折「吾妻渓谷」の表示、続いて「道の駅あがつま峡」が・・・・これより「八ッ場ダム」下に続く「旧国道145号」(廃道)へと回り込む。何軒か民家は残るも直ぐに一般車進入禁止のゲートが有り、手前右手に無料駐車場がある。ここから「八ッ場ダム」まで徒歩1,800mの吾妻峡遊歩道(側道)になっている。
 旧国道
145号は、2014924日に廃道になっている。ログハウスに住み始めたのは2011年から、それ以前は篠ノ井(長野市)に住んでいたので仙台出張は車で「鳥居峠」を越え「日光金精峠」経由で幾度も「旧145号」を走ったことがある。勿論「吾妻峡」も通過し思い出がある。湖底に沈んだ「川原湯温泉」も知っている。
 一般車通行禁止区域ゲート(横谷駐車場) ここより徒歩
 猿橋
 「猿橋」の中央部から眼下の吾妻川を見下ろす。岩礁を浸食した峡谷だ。放水は少しづつでないと・・・・
 樽沢トンネル(廃線JR吾妻線)
 旧145号は吾妻川左岸にある。右岸に遊歩道が見える。旧145号は八ッ場ダム関係者車両がたまに通るので、歩行者は側道を通行する。ガードレールから垂直下に吾妻川が流れている。恐々と真下を覗き込み撮影する。
 駐車場12:11、八ッ場ダムが見えたのは12:51、撮影しながらゆっくり歩いてきたので40分かかった。
 八ッ場ダム
 八ッ場ダムの場合は昭和22(1947)に大洪水をもたらしたカスリーン台風級の水害から利根川流域や首都を守ることを主目的として、利根川上流域の約1/4の面積を占める主要な支流である吾妻川に建設が計画されました。計画当初は、ダムのコンクリート量が減らせるため建設に適した狭い谷である、吾妻峡のほぼ中央部に建設が予定された。しかし、この地にダムを建設するためには、いくつもの問題を抱えていた。まず根本的な問題は、吾妻川の水質は魚が生息できないほどの強酸性だということ。草津白根山を源とする川からの流入が原因で、酸が金属やコンクリートを腐食させてしまうため、ダム建設には適さなかった。代替案として吾妻川の支流へのダム建設が検討されたが、貯水容量や水没物件などで問題があり難航。また、約340世帯が水没するため建設地住民の反対意見も多く、賛成派と町を二分する深刻な問題も起きた。水質問題は、昭和38(1963)に建設された草津中和工場から1日約55tの中和剤(石灰石粉)を川に投入し、約3km下流の品木ダムで中和反応促進と中和生成物の収容を行うことで解決。そして住民との長年にわたる協議の結果、ダム建設事業が開始しました。民主党政権時代の2009年には国からダム建設中止が発表されるなど紆余曲折もありつつ、ようやく運用開始となった。ダムの完成とともに周辺はどう変わったか・・ダム建設地を通っていたJR吾妻線と国道145号は高台に移動し、ダム湖を迂回する新ルートに。ダムのほぼ中央にあった「川原湯温泉」は、温泉、旅館、住宅ともに湖周辺の新天地へ移転。吾妻川中流にある約3.5kmにわたる渓谷。かつては歌人の若山牧水も訪れて歌を詠みました。ダムの建設予定地が移動したため、美しい渓谷は水没を免れた。総事業費は約5,320億円で日本のダム史上最高額となり計画から68年を要した。
 吾妻峡レールバイク「アガッタン」(自転車型トロッコ)
 廃線JR吾妻線の一部を利用した自転車型バイク
 吾妻峡(帰路の風景)
 八ッ場ダム湖
 八ッ場ダムは、令和元年101日(2019)から、ダムの本格的な運用を始める前に、実際に水を貯めてダム堤体および貯水池周辺の安全性を確認するための試験湛水が開始された。国土交通省関東地方整備局によると、この試験湛水は当初3 - 4か月かけてダムの水位を平常時最高貯水位(常時満水位)まで上昇させた後、最低水位まで降下させる予定であった。実際に貯水位を上昇させたり下降させたりして設備の安全性を確認したほか、流木を処理し、202039日に終了。翌10日から貯水に移行された。
 編集後記