旅の未知草「芭蕉句碑めぐり」  
  細道を碑撮り馳せるや走馬灯  
  − 「奥の細道」旅中と思える期間に詠まれた作品を中心とした代表的な句碑(青文字;「おくのほそ道」掲載句) −  
   
 
 











 
 
元旦に田毎の月そ戀しけれ
 
 
かけろふの我肩に立かみこかな
 

奥の細道行脚之図(森川許六筆)
 
おもしろやことしのはるも旅の空
 
   「奥の細道」の旅を計画した以降、元禄元年の作。朝な夕なに「奥の細道」の旅への想いで松島が心を占有している。そこに誰か恋する人が待っているかのように・・・・。(宮城県松島町雄島    元禄2年元旦の歳旦吟、昨年の「更級紀行」以降初めての正月。田毎の月の思い出が懐かしいことと、「奥の細道」への計画が述べられている。(長野県千曲市姨捨公園    「奥の細道」出発直前の元禄227日、大垣の木因門下の俳人「とう山」が泊まっている旅籠で開かれた曽良や此筋等を交えた七吟歌仙での発句。(宮城県白石市益岡公園    元禄2年正月、去来(向井去来;上方蕉門の第一人者)にこの句を送って「奥の細道」への出発を暗示したとされるが、その書簡は未発見。(句碑なし)図は「奥の細道行脚之図」蕉門十哲の一人「森川許六」筆、元禄六年(1693)。  
 
 
草の戸も住み替る代そひなの家
 
 
鮎の子のしら魚送る別哉
 
 
行くはるや鳥啼魚の目はなみた
 
 
いと遊に結ひつきたるけふりかな
 
   「おくのほそ道」(発端)・・・・・「月日は百代の過客(旅人)にして、・・・・杉風が別墅(採茶庵)に移るに・・・・本句・・・・面八句を庵の柱に懸置。(東京都江東区深川芭蕉記念館    「おくのほそ道」(旅立ち)元禄2327日、千住まで見送りに来た門弟達との別れを詠んだ句。別れの慟哭といったものが伝わらず「行はるや」を採用。(東京都足立区千住歴史プチテラス    「おくのほそ道」(旅立ち)元禄2327日、見送りの門弟達と別れ「草加」を経て「粕壁」で宿泊。三千里という初の陸奥長旅、芭蕉も曽良も不安で一杯だったであろう。(東京都荒川区素戔雄神社    「おくのほそ道」(室の八島)元禄2329日、「糸遊」は陽炎のこと。当地は「けぶりたつ室の八島」と呼ばれ、平安時代以降東国の歌枕として都まで知れ渡る名所。「煙」を詠み込む習わし。(栃木県惣社町大神神社)  
  No.01    
  旅人 & 撮影者 福澤三雄(長野県東御市)