旅の未知草「芭蕉句碑めぐり」  
  細道を碑撮り馳せるや走馬灯  
  − 「奥の細道」旅中と思える期間に詠まれた作品を中心とした代表的な句碑(青文字;「おくのほそ道」掲載句) −  
   
 


「室の八島」 社叢の日出
 
入か
ゝる日も糸ゆふの名残かな
 
 
鐘つかぬさとは何をか春の暮
 
 
入あひのかねもきこへすはるのくれ
 
 
あらたふと青葉わか葉の日の光
 
   「おくのほそ道」(室の八島)元禄2329日、「糸遊に」と同じに詠んだ句。また「入かゝる日も程々に春のくれ」という句もあるが、いずれも草案か。(句碑なし)    「おくのほそ道」(室の八島)元禄2329日、「鹿沼」での作。能因法師の歌「山里の春の夕ぐれ来てみれば入相の鐘に花ぞ散りけり」(新古今和歌集)を下敷きにしたとの。(栃木県佐沼市種徳院)    「おくのほそ道」(室の八島)元禄2329日、「鹿沼」での作。高久の門人覚左衛門に与えた真蹟の色紙にあり。前句「鐘つかぬ」と同趣旨で詠んだ。(栃木県鹿沼市掬翠園)    「おくのほそ道」(日光)元禄241日、芭蕉の徳川政権への過度の賞賛がしばしば避難され推敲によって後句より改案された。(栃木県日光市東照宮宝物館)  
 
 
あらたふと木の下闇も日の光
 
 
剃捨てて黒髪山の故露もかへ
 
 
志はらくは瀧に籠るや夏の初
 


現在は滝裏へは立入禁止
 
郭公うらみの瀧のうらおもて
 
   「おくのほそ道」(日光)元禄241日、「青葉若葉の」の初案。「高野家」(五左衛門宅との説も)は、代々日光山輪王寺に仕えた旧家で真蹟句碑がある。新旧句碑あり、これは旧句碑。(栃木県日光市高野家)    「おくのほそ道」(日光)元禄241日、曽良の作。曽良は「奥の細道」旅立ちにあたり黒髪を落とし黒染めし・・・・今日は衣替えの日、曽良を印象的に登場させたく芭蕉の作との説も。(長野県諏訪市四吟碑)    「おくのほそ道」(日光)元禄242日、日光裏見の滝を見物し黒羽の地に向かう途中での作、玉生宿の「宿悪故」と玉生氏に頼み屋敷に泊まる。(栃木県日光市安良沢小学校)    「おくのほそ道」(日光)元禄242日、「裏見の滝」での作。同じく「ほとゝぎすへだつか瀧の裏表」とも詠んでいる。(いずれも句碑なし)  
  No.02    
  旅人 & 撮影者 福澤三雄(長野県東御市)