旅の未知草「芭蕉句碑めぐり」  
  細道を碑撮り馳せるや走馬灯  
  − 「奥の細道」旅中と思える期間に詠まれた作品を中心とした代表的な句碑(青文字;「おくのほそ道」掲載句) −  
   
 
 
湯殿山銭ふむ道の泪かな
 
 
其玉や羽黒にかへす法の月
 

 
月か花かとへど四唾の鼾哉
 
 
めつらしや山をいて羽の初なすひ
 
   「おくのほそ道」(出羽三山)元禄263-10日、「湯殿山」を詠む曽良の句。芭蕉「湯殿山」句碑の前に建つ。(山形県鶴岡市湯殿山神社)    「おくのほそ道」(出羽三山)元禄263-10日、「羽黒山」での作。伊豆大島に流罪となり果てた羽黒山第50代別当「天宥法院」を偲んで詠んだ追悼句。(山形県鶴岡市三山大愛教会)    「おくのほそ道」(出羽三山)元禄263-10日、「羽黒山」での作。「天宥法院」筆による「四唾図」(豊干禅師・寒山・拾得・虎の4人が眠る図)への画賛句。(句碑なし)。画像は天宥法院出身の岩根沢三山神社にあるご両親のお墓。    「おくのほそ道」(出羽三山)元禄2610日、「出羽三山」参詣を終え「鶴岡」に出て鶴岡藩士「長山重行邸」へ。ご馳走になった珍しい長茄子を褒めることで挨拶吟とした。(山形県鶴岡市長山重行邸跡)  
 
 
暑き日を海に入れたりもかみ川
 



文化元年(
1804)の象潟地震で海底が隆起し陸地化
松尾芭蕉の没年は
1694110年後)
 
象潟や雨に西施かねふの花
 
 
象潟の雨や西施かねふの花
 


        象潟三句文学碑

      象潟の雨や西施かねふの花

      ゆふばれや櫻に涼む波の花

      腰長や鶴脛ぬれて海涼し

 
腰長や鶴脛ぬれて海涼し
 
   「おくのほそ道」(出羽三山)元禄2614日、「鶴岡」での作。「曽良書留」では「寺島彦助亭にて」(酒田)とある。(山形県酒田市日和山公園)    「おくのほそ道」(象潟)元禄2615-18日(1689)、「象潟」での作。郵政省が芭蕉旅立300年を記念し「奥の細道記念切手」を発行、第7集にノミネートされ記念碑を建立。(秋田県にかほ市象潟駅)    「おくのほそ道」(象潟)元禄2615-18日、当時の象潟は「蚶満寺」の周りまで海水が満ちていた。「象潟や」の初案が句碑になっている。(秋田県にかほ市蚶満寺)    「おくのほそ道」(象潟)元禄2615-18日、象潟の句碑はいずれも「象潟自詠懐紙」の句形、「腰長や」は「汐越や鶴はきぬれて海涼し」の初案。(句碑なし)。(秋田県にかほ市象潟駅)  
  No.10    
  旅人 & 撮影者 福澤三雄(長野県東御市)