旅の未知草「芭蕉句碑めぐり」  
  細道を碑撮り馳せるや走馬灯  
  − 「奥の細道」旅中と思える期間に詠まれた作品を中心とした代表的な句碑(青文字;「おくのほそ道」掲載句) −  
   
 
 「玉祭」;魂祭は盂蘭盆会(715日を中心に13日から16日の仏教行事)。人はみな死んでも盆にはゆかりの者達に迎えられて魂が慰められるというのに、大盗賊の汚名を恐れて誰も長範の魂を慰めてやるものとて無いことだろう。一体何時になったら長範ゆかりの人々に盆火で暖かく迎えられることだろう。

 
715日、高岡を出立。牧童(金沢で入門し同行した北枝の兄)らがやってきて初めて一笑の死を知る。
 
722日、一笑の兄、俗称ノ松主催の一笑追善句会を願念寺で、相変わらず曽良の体調は悪く句会には遅れて参加かつ早退する。

 やはり、芭蕉は長旅の疲れ、一笑の死、曽良の体調不良等々で気弱になり本句を詠んだのかと私は思う。そうでなければ、「熊坂長範」が出てくるのは唐突過ぎる。

 
熊坂かゆかりやいつの玉まつり
 
 
秋涼し手毎にむけや瓜茄子
 
 
ちる柳あるしも我も鐘をきく
 
 
つかもうこけ我泣聲は秋の風
 
   「おくのほそ道」(金沢)元禄2715日、「加賀の国」(越中から加賀の国境)で詠んだらしい。石川県国江沼郡三木村生まれの盗賊「熊坂長範」を思い出しての一句。(句碑なし)    「おくのほそ道」(金沢)元禄2715-23日、「松玄庵」(斎藤一泉)に招かれて出された料理に感謝を込めて詠んだ即興の句。(石川県金沢市長久寺)    「おくのほそ道」(金沢)元禄2721日、「金沢」で加賀の蕉門「鶴屋句空」の草庵「柳陰軒」(宝泉寺境内)に一泊した際に詠んだ句。かつては存疑の部。(石川県金沢市宝泉寺)    「おくのほそ道」(金沢)元禄2715-23日、高く評価しつつも会うことなく他界した「小杉一笑」への追善句。曽良は「玉よそふ墓のかざしや竹露」を詠む。(石川県金沢市願念寺)  
 
 
心から雪うつくしや西の雲
 
 












 
 
風かをる越しの白嶺を國の華
 
 
しほらしき名や小松吹萩す

 
   金沢の蕉門の一人「小杉一笑」の「辞世の句」。芭蕉は、金沢で会えると楽しみに旅を重ねて来たが・・・・。(石川県金沢市願念寺)    元禄2723日、「奥の細道」旅中「金沢」で連句指導で「金石」に立ち寄った際に詠まれたとの説明あり。「曽良書留」によれば、「越後西頸城郡の浜辺」とあるが・・・・。(石川県金沢市本龍寺)    元禄27月、「奥の細道」旅中「北陸の中天」に麗しく聳える白山の姿を讃えて詠んだ句。元禄5年の中秋翁生存中に出版された「柞原集」(白山比盗_社奉納句集)の巻頭に記載。(石川県白山市白山比盗_社)    「おくのほそ道」(小松)元禄2724-26日、「小松」の「鼓蠣の館」で催された「山王句会」(芭蕉・曽良・北枝・鼓蠣等10人)で詠まれた発句。変則「七・五・五」。(石川県小松市建聖寺)  
  No.13    
  旅人 & 撮影者 福澤三雄(長野県東御市)