旅の未知草「芭蕉句碑めぐり」  
  細道を碑撮り馳せるや走馬灯  
  − 「奥の細道」旅中と思える期間に詠まれた作品を中心とした代表的な句碑(青文字;「おくのほそ道」掲載句) −  
   
 
 
鳩の声身に入わたる岩戸哉
 
 多くの青虫(菜虫)は華やかな蝶になって空に舞っていくというのに、この菜虫は秋になっても蝶にもならずに虫のままでいる。
 今は秋、大きな旅を終えたとは言うものの、芭蕉は相変わらず変態して羽化するわけでもなく、薄汚い黒衣のままでいる。それは胡蝶になれない己の真の姿なのである。

 この句に「如行」の脇は

    「種は淋しき茄子一本」であった。
 
胡蝶にもならで秋ふる菜虫哉
 
 
其ま

よ月もたのまじ伊吹山
 
 
こもり居て木の実草のみひろは

 
   元禄2年8月28日、「奥の細道」の旅を終え、「大垣明星輪寺」(宝光院)参詣の折りに詠んだ句。(岐阜県大垣市明星輪寺)    「おくのほそ道」(大垣)元禄2年8月21日頃、「大垣」の「近藤如行宅」にて詠んだ句。「奥の細道」という大きな旅を終えた気の緩みから欝症状になったようだ。(句碑なし)    「おくのほそ道」(大垣)元禄2年8月下旬、「大垣」の「高岡三郎亭」(大垣藩士)に招かれての挨拶吟。(岐阜県大垣市旧竹島本陣跡)    元禄2年9月4日、「奥の細道」の旅を終え、「大垣藩家老戸田惣水下屋敷」に招かれた際の挨拶吟。同席した如水の句「御影たつねん松の戸の月」が併刻されている。(岐阜県大垣市圓通寺)  
 
 芭蕉は9月6日に再び伊勢に向けて旅立つ。古来、その旅立ちへの心の準備を菊に託したという。

 9月9日は「重陽の節句」(菊に長寿を祈る日)。この日まで、そう日にちはない。早く咲かないと菊の節句(=重陽の節句/旧暦で菊が咲く季節)に間に合わない。

 芭蕉の発句で始まった歌仙、「左柳」の脇は

    「心うきたつ宵月の露」であった。


 菊は長寿延命の草花・・・・芭蕉は「山中温泉」で、
「山中や菊はたおらぬ湯の匂ひ」とも詠んでいる。
 
はやはやさけ九日もちかし菊の花
 
 
藤の実は俳諧にせん花の跡
 
 
隠家や菊と月とに田三反
 


芭蕉送別連句(伊勢詣)

秋の暮行先々ハ苫屋哉 木因 

萩にねようか萩にねようか 芭蕉
霧晴ぬ暫ク岸に立給へ 如行 

蛤のふたみへ別行秋ぞ 芭蕉 
 
蛤のふたみへ別行秋ぞ
 
   元禄2年9月4日、「奥の細道」の旅を終え、「大垣藩士浅井左柳亭」での歌仙発句。(句碑なし)    元禄2年9月、「奥の細道」の旅を終え、「関」から来た「維然」と会う。「維然」から俳諧の道に迷っての悩みを打ち明けられ(?)詠んだ句。(宮城県大和町吉岡八幡神社)    元禄2年9月、「奥の細道」旅を終え、「大垣の木因別邸」に招かれての作(芭蕉真蹟懐紙)。手持ちの芭蕉全句集では「かくれ家や月と菊とに田三反」(笈日記)になっている。(岐阜県大垣市水門川遊歩道)    「奥の細道」の「大垣大団円」(大垣でめでたく旅の最後を迎える)。蛤の殻と身とを引き剥がすように、また再び悲しい別れの時がきた。千住矢立「行く春や」と対をなす句。初案か。(岐阜県大垣市水門川遊歩道)  
  No.19    
  旅人 & 撮影者 福澤三雄(長野県東御市)