旅の未知草「芭蕉句碑めぐり」  
  細道を碑撮り馳せるや走馬灯  
  − 「奥の細道」旅中と思える期間に詠まれた作品を中心とした代表的な句碑(青文字;「おくのほそ道」掲載句) −  
   
 
 
蛤乃ふたみに別行秋そ
 
 
うき我をさひしからせよ秋の寺
 
 
西行の草鞋もか

れ松の露
 
 
旅に病て夢は枯野をかけ廻る
 
   「奥の細道」の「大垣大団円」(大垣でめでたく旅の最後を迎える)。蛤の殻と身とを引き剥がすように、また再び悲しい別れの時がきた。千住矢立「行く春や」と対をなす句。(岐阜県大垣市水門川遊歩道)    元禄296-9日、「奥の細道」の旅を終え「伊勢遷宮参拝」に行く途中、曾良の伯父の寺「大智院」に3泊した折りに詠んだ句。(三重県桑名市大智院)    元禄29月、「奥の細道」旅を終え、「大垣」で「西行松の絵」の画賛句。貞享5年作との説もある。(埼玉県深谷市路傍)    元禄7108日深更、南久太郎町御堂前の花屋仁右衛門宅の離れ屋敷にて、呑舟に墨を摺らせてこの句を詠んだ。「病中吟」つまり「生前最後の句」であり「辞世の句」ではない。(滋賀県大津市義仲寺)  
 
 
春にわれ乞食やめても筑紫か奈
 
 
當帰より哀は塚のすみれ草
 
 
なきからを笠に隠すや枯尾花
 
 
木曽殿と背中合せの寒さかな
 
   河合曽良の「辞世の句」、旅先の壱岐勝本で病死、勝本の能満寺に墓がある。故郷の諏訪、正願寺に分骨された墓があり、墓碑刻として辞世の句が刻まれている。(長野県諏訪市正願寺)    元禄62月の作。「奥の細道」出羽三山参詣の案内をした呂丸(後に蕉門、去来亭で急死)の辞世の句「消安し都の土に春の雪」と芭蕉の追悼句(本句)。(山形県鶴岡市島崎稲荷神社)    芭蕉の初七日に、其角を筆頭に門人43人による百韻俳諧が興行された。これを仕切った其角の発句。(句碑なし)/(上;芭蕉の臨終、下;滋賀県大津市義仲寺にある芭蕉の墓)    「義仲寺」にある芭蕉の墓と並んで木曽義仲の供養塔が立っている。境内に著名の本句、蕉門の島崎又玄の句碑がある。元禄49月(1691)無名庵に滞在中の芭蕉を訪ね詠んだ句。(完)  
  No.20    
  旅人 & 撮影者 福澤三雄(長野県東御市)