おくのほそ道の風景地
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 「史跡・名勝・天然記念物」の国指定名勝に「おくのほそ道の風景地」(松尾芭蕉が“おくのほそ道”に記した一群の名所・由緒・来歴の地から成る一体の風致景観)として11県24件が加わりました。「せわしくも奥の細道碑撮り旅」(未知草編)の姉妹編として総括してみました。 
平成25年指定 平成26年指定
01草加松原 埼玉県草加市 05遊行柳 栃木県那須町
02ガンマンガ淵(慈雲寺境内) 栃木県日光市 08つゝじが岡及び天神の御社 宮城県仙台市
03八幡宮(那須神社境内) 栃木県大田原市 09木の下及び薬師堂 宮城県仙台市
04殺生石 栃木県那須町 10壺碑 宮城県多賀城市
06黒塚の岩屋 福島県二本松市 12興井 宮城県多賀城市
07武隈の松 宮城県岩沼市 11末の松山 宮城県多賀城市
15金鶏山 岩手県平泉町 13雛が島 宮城県塩釜市
14高館 岩手県平泉町 17本合海 山形県新庄市
19象潟・汐越 秋田県にかほ市 16さくら山 岩手県平泉町
20親しらず 新潟県糸魚川市 18三崎(大師崎) 秋田県にかほ市・遊佐町
21有磯海 富山県高岡市 19象潟・汐越に駒留島が追加 秋田県にかほ市
23那谷寺境内(奇石) 石川県小松市 22道明ガ淵(山中の温泉) 石川県加賀市
24大垣船町川港 岐阜県大垣市
 
その後「湯尾峠」「けいの明神」が加わり12県26ヶ所になっている 追加掲載要
草加松原】埼玉県草加市
 「おくのほそ道」で「漸(ようよう)早加と云宿にたどり着にけり」と記された草加宿。旧日光街道の綾瀬川沿いには、長さ1.5kmにおよぶ「草加松原」が延びる。曽良随行日記には「廿七日夜カスカベニ泊ル。江戸ヨリ九里余」と記されている。芭蕉は「前途三千里」の旅についての深憂・悲壮感を表現したかったのであろう。
百代橋 矢立橋 草加松原
松尾芭蕉像 河合曽良像 松尾芭蕉文学碑 「ことし 元禄二とせにや・・・・」

含満ガ淵(慈雲寺境内)】栃木県日光市
 日光東照宮を訪れた芭蕉は「あらたうと青葉若葉の日の光」と詠み、裏見の滝に赴く。その途次に奇勝「憾満ヶ淵」(含満ガ淵)に立ち寄った。その「憾満ヶ淵」は、男体山から噴出した溶岩によって出来た奇勝で、古くから不動明王が現れる霊地といわれる。
含満ガ淵 含満ガ淵 含満ガ淵
化地蔵 化地蔵 化地蔵
 
八幡宮(那須神社境内)】栃木県大田原市
 那須の黒羽では、那須与一が「屋島の合戦」の際に扇の的に向けて矢を放つとき「別しては我国氏神正八まん」と祈誓を込めたとされる「八幡宮」に参詣した。芭蕉の時代は「そう」伝えられていたので参詣した。しかし、与一が祈誓した八幡宮は殺生石近くの温泉神社であることが「それ」以降に判明した。
八幡宮(楼門) 楼門(表) 楼門(内側)
那須神社(鳥居・参道) 八幡宮(本殿) 八幡宮(金丸八幡宮ともいう)
殺生石】栃木県那須町
 絶世の美女「玉藻前」に姿を変えた九尾の狐が息絶え、石と化したとされる伝承をもつ殺生石。この地で芭蕉は「石の香や夏草赤く露あつし」の句を残した。平安時代末期に鳥羽上皇に仕えた二尾あるいは九尾の狐が化けたという伝説上の絶世の美女で玉藻御前(たまもごぜん)ともいう。
殺生石(全景) 温泉神社 教傳地獄
千体地蔵 殺生石(遠景) 殺生石
 
遊行柳】栃木県那須町
 「遊行柳」(清水流るゝの柳)、漂泊の歌人として知られる西行の歌に「道のべに清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」がある。これにより芦野の柳は「遊行柳」として広く世に知られる。西行にあこがれる芭蕉は、その地に立った灌漑を「今日此柳のかげにこそ立より侍つれ」と記し「田一枚植て立去る柳かな」を詠んだ。
遊行柳(夏) 遊行柳(夏) 遊行柳(夏)
遊行柳(秋) 遊行柳(秋) 遊行柳(秋)
黒塚の岩屋】福島県二本松市
 謡曲・歌舞伎で知られる安達ヶ原(観世寺)には、鬼婆の住家であった岩屋(笠岩)、出刃包丁を洗った地の池等が残っている。また、近くの老杉の根元には鬼婆の墓「黒塚」がある。「平兼盛」が詠んだ鬼婆の物語「みちのくの安達ヶ原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか」・・・・曽良は「古の黒塚はこれならん」と感慨深く記す。
観世寺の奇岩怪石 笠石 奇岩怪石
「みちのくの・・・・」 黒塚 鬼婆石像
武隈の松】宮城県岩沼市
 平安時代の歌人「能因」の古歌に詠まれた「武隈の松」(二木の松)を訪れた芭蕉は「桜より松は二木を三月越し」と詠み、その素晴らしさを称賛した。余談になるが「武隈の松」がある岩沼市は、2004年迄の17年間住んだ第二の故郷です。我が子(猫)のミミちゃんも岩沼生まれ、今年の秋に還暦を迎えます。
二木の松(武隈の松) 二木の松(夕暮れの松) 二木の松(夕暮れの松)
武隈の松(夜明けの松) 武隈の松(夜明けの松) 武隈の松(二木の松)
つゝじが岡・天神の御社】宮城県仙台市
 仙台を訪れた芭蕉は、画工北野屋加右衛門の案内で、「義経記」の歌枕「つゝじが岡」(榴岡公園)や、その一画にある「天神の御社」(榴岡天満宮)に詣でた。蛇足になるが「義経記」(ぎけいき)と音読み、中世・近世期には個人に対する敬意を表す意味で人名(訓読み;よしつね)を「音読み」する習慣があった。
榴岡天満宮 大鳥居 本殿
本殿前の参道 筆塚 芭蕉は勿論 諸俳人の句碑が並ぶ
 
木の下・薬師堂】宮城県仙台市
 東歌「みさぶらひ御笠と申せ宮城野の木の下露は雨にまされり」(古今集)で著名な歌枕「木の下」や、陸奥国分寺跡に伊達正宗が再興した薬師堂を巡る。仙台を後にする際「あやめ草足にむすばん草鞋の緒」を詠んでいる。(加右衛門に対する感謝の吟)
準胝(じゅんてい)観音堂と芭蕉句碑 準胝観音堂 陸奥国分寺薬師堂
陸奥国分寺跡 鐘楼 陸奥国分寺薬師堂仁王門
壺碑】宮城県多賀城市
 「壺碑」(つぼのいしぶみ)は「多賀城碑」とも言われ、陸奥国の国府(奈良時代)があった多賀城の入口に立ち724年の多賀城創建と762年の改修を伝える。書道史の上から「那須国造碑」(栃木県大田原市)、「多胡碑」(群馬県高崎市)と並ぶ日本三大古碑の一つとされる。
壺碑 壺碑 壺碑
多賀城碑 芭蕉句碑 芭蕉句碑「阿や免草・・・・」
末の松山】宮城県多賀城市
 「末の松山」を訪ねた芭蕉は、「松の間々皆墓原」という光景を目の当たりにして、恋を詠んだ歌枕の地が墓原と化している現状に無常を感じたという。三十六歌仙の一人「藤原元輔」が詠んだ「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山なみこさじとは」(後拾遺和歌集)の歌碑が「末の松山」の手前に建てられている。
末の松山寶國寺 末の松山・歌碑 末の松山・石柱
末の松山(日の出) 末の松山(朝日を外す) 寶國寺の裏の丘が「末の松山」
興井】宮城県多賀城市
 「興井」(おきのい)は、「わが袖はしほひにみえぬおきの石の人こそしらねかわくまぞなき」(二条院隠岐)など多くの歌に詠まれ、歌枕として有名であった。江戸時代に仙台藩は当地を整備し手厚く保護、現在は住宅に囲まれているが「池中に奇石磊々とする佳状愛す可し」(奥羽観蹟聞老志)と記された情景は今も残っている。
興井(裏?) 末の松山とコラボ 興井(裏?)
興井(表?) 興井(表?) 興井(表示板を持って表とする)
 
籬が島】宮城県塩釜市
 「籬が島」(まがきがしま)は、塩釜港内にある小島で歌枕として有名であった。島内に鹽竈神社の末社「曲木神社」(まがきじんじゃ)がある。芭蕉は「五月雨の空いささか晴れて、夕月夜幽かに、籬が島もほど近し」と記して、塩竈の浦の夜の風情の感傷に浸っている。島に渡れるのは「例祭」や「月次例祭」(毎月1日)のみ。
雛が島 雛が島 雛が島
雛が島 雛が島 雛が島
高館】岩手県平泉町
 「高館」は、頼朝に追われた義経が妻子とともに自害した居館があった場所。丘の頂上には義経堂(伊達綱村建立)がある。眼下に広がる夏草が風に揺れ光る様子を眺めた芭蕉は、奥州藤原氏の栄華や、この地に散った義経公を思い「夏草や兵どもが夢の跡」と名句を詠み、いつまでも懐旧の涙にくれた。
高館義経堂(たかだちぎけいどう) 義経公の木造 源義経公供養塔
芭蕉句碑「夏草や・・・・」 卯の花清水 北上川と秀峰束稲山
金鶏山】岩手県平泉町
 「金鶏山」は、中尊寺と毛越寺のほぼ中間に位置する信仰の山。奥州藤原氏3代秀衡が宇治の平等院を模して建立した無量光院の西側に一晩で築かせたとの伝説が残る。芭蕉は「三代の栄耀(えいえう)一睡のうちにして、大門の跡は一理こなたに有り。秀衡が跡は田野に成りて、金鶏山のみ形を残す」と紹介。
無量光院跡から眺める平泉象徴の金鶏山(東面) 頂きに続く小路 頂の経塚
源義経公妻子之墓 千手院  金鶏山(西面)
さくら山】岩手県平泉町
 「さくら山」は、藤原清衡の祖父安倍頼時が駒形峰を中心に1万本の桜を植えたと伝えられる場所。その「さくら山」は、どうやら「束稲山」のことらしい。北上川畔の高館から「さくら山」を望み、悠久の時の流れの中に置かれた人の営みの儚さを想い不易流行の考えを深めた。
高館義経堂から眺める「束稲山」 衣川橋付近から眺める「束稲山」
高館橋から眺める「束稲山」 柳之御所遺跡から眺める「高館丘陵」
本合海】山形県新庄市
 日本三大急流の一つ「最上川」は、「本合海」(もとあいかい)で新田川を併合し南北から東西へと90度流れを変える。白い断崖(八向山の八向楯)下に流れが激突して大きな渦が巻き舟人にとってこの上ない難所であった。芭蕉は、最上川の流れに身を委ね「五月雨をあつめて早し最上川」を詠んだ。
八向山と最上川 八向楯と最上川 八向山と最上川
芭蕉と曽良(新庄東山焼) 芭蕉乗船の地と最上川 芭蕉乗船の地
三崎(大師崎)】秋田県にかほ市・遊佐町
 「三崎」(観音崎・大師崎・不動崎)は、鳥海山の噴火活動で溶岩が西に下り日本海に至った場所。鬱蒼としたタブ林を抜ける「三崎山旧街道」は、芭蕉らが訪ねた往時の面影を今に伝えている。「曽良随行日記」には「吹浦ヲ立。番所ヲ過ルト雨降リ出ル。一リ、女鹿。是ヨリ難所。馬足不通。番所手形納。大師崎共、三崎共々」とある。
曽良随行日記「吹浦ヲ立・・・・」文学碑奥の細道 三崎山旧街道
不動崎と観音崎見晴台から象潟方面 大師岬と噴火跡
 
象潟・汐越・駒留島】秋田県にかほ市
 芭蕉は、象潟を訪ねることができた感動を「江山水陸の風光数を尽して、今象潟に方寸を責」と書きとどめている。象潟の愁いのある風景を中国の悲劇の美女西施と重ね、「象潟や雨に西施がねぶの花」と詠んだ。「東の松島、西の象潟」と評された景勝地も、芭蕉が訪ねてから120年余り後に象潟地震で隆起し陸地と化した。
象潟 蚶満寺山門 蚶満寺境内九十九島の碑
象潟 象潟 象潟の遠景(道の駅象潟ねむの丘展望台)
親しらず】新潟県糸魚川市
 北陸道最大の難所として知られる「天下の剣」、断崖絶壁と荒波が旅人の行く手を阻み、波打ち際を駆け抜ける際に親は子を忘れ、子は親を顧みる暇がなかったことから「親不知」(親不知駅-市振駅)、「子不知」(親不知駅-青海駅)と呼ばれるようになった。芭蕉は、市振宿でのことを「一つ家に遊女もねたり萩と月」と詠んでいる。
親不知記念広場から臨む海岸線 如砥如矢 愛の母子像
夕闇迫る海岸線 夜明け前の海岸線 親不知コミュニティロード展望台から臨む海岸線
 
有磯海(女岩・義経岩)】富山県高岡市
 「渋谿の崎」(当時の海岸線は現在より1~2km先)とも言われ、現在の雨晴海岸辺りになる。現在も奇岩の見られる景勝の地であるが、その昔は「崎」と呼ばれた如き、海に突き出た形状は失われている。芭蕉は「わせの香や分入右は有磯海」を詠んだ。
女岩 女岩周辺の浅瀬 氷見線の線路
義経岩 有磯海 「渋谿の崎」渋谿の磯廻
道明ガ淵(山中温泉)】石川県加賀市
 山中の湯につかった芭蕉は、その名湯ぶりに納得し「山中や菊はたおらぬ湯の匂」を詠んだ。到着して5日目に「鶴仙渓」の下流に架かる「黒谷橋」に出掛ける。この辺りは奇岩が列をなして淵に漂う水とのコラボレーションが素晴らしい。芭蕉は近くの平岩に座って思わず手を打ち「行脚の楽しみ、ここにあり」と一節うたったとか。
白鷺大橋 黒谷橋 道明ガ淵(川上)
道明ガ淵(川下) 鶴仙渓 こおろぎ橋
那谷寺境内(奇石)】石川県小松市
 芭蕉は「・・・・奇石さまざまに、古松植えならべて、萱ぶきの小堂、岩の上に造りかけて、殊勝の土地也」と紹介し「石山の石より白し秋の風」を詠んでいる。そそり立つ奇石に洞穴がいくつか開口し、石が織りなす自然の造形美(海底火山の跡)が周囲の木々や懸崖造りの本堂の外観と組み合わさり優れた風致景観を形成している。
奇岩遊仙境(蓮池) 本殿への石段 本殿・唐門
三重塔・楓月橋 護摩堂 奇岩遊仙境(楓月橋)
大垣船町川港】岐阜県大垣市
 「奥の細道」の旅を終えた松尾芭蕉が桑名行きの舟に乗った船町の川港。水門川(大垣と桑名を結ぶ運河)の北の貝殻橋と南の高橋に挟まれた部分と、それを囲む樹木の中に碑や灯台が立つ一画が指定対象になっている。個人的には、「愛宕神社」から「奥の細道むすびの地」までの2.2km全域を対象にしてもよいのではと思う。
「奥の細道」の旅を終え 芭蕉を出迎える木因 矢立の初「行はるや・・・・」 奥の細道むすびの地
船町の川湊 住吉灯台 大垣大団円「蛤の・・・・」
 
- 編集後記 -
 旅の未知草「せわしくも奥の細道碑撮り旅」・・・・撮影地に於ける滞在時間は「原則10分」、広い境内等の環境下でも「20~30分」。まして句碑を探す必要もない「おくのほそ道の風景地」(碑撮り旅の後半に知った)の場合は「通過撮影につき特別に時間をとらない」。そんな撮影条件下(天候、時間帯を選べない)で素晴らしい写真は望めない。(何やら言い訳じみた話になったが)ネットで検索した「写真」は、溜息が出るほど素晴らしいものがある。(言い訳後の負け惜しみになるが)ワンチャンス下での撮影だが、それなりに撮れていると思う。それでも幾つかは再訪・再撮影したいものがある。(各地の説明は、大垣観光協会様のパンフレットを参照)
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