復興への祈り宮城県岩沼市は心の故郷東北関東大震災
− 2011.03.11(金) 14:26 M9.0 −
 午後から雪、ならば午前中に長野美専の卒業進級制作展(ホクト文化ホール/長野市)を見ておこうと9時に長野に向かう。作品は若さで溢れていた。特にテーマの選定に感銘した。帰りにデパ地下で惣菜と露天の花屋でチューリップの切花を買う。
@ 岩沼市の市街地(旧グリーンピア岩沼から) A 岩沼市の市街地(高舘丘陵三方塚から)
 明日、ロシア旅行に出発する姉を歓送すべく惣菜とチューリップを持って寄る。昼食をご馳走になっていると牡丹雪が降ってきた。積もらぬうちにと家路に着く。帰宅して直ぐに隣の姉宅に妻が惣菜を届ける。その時に小刻みの振動で大きく揺れる。
B 岩沼市の市街地(高舘丘陵五社山より) C ヒヌマイトトンボの発見地(岩沼市海浜緑地)
 東北関東大震災・・・・M9.0。仙台の顧問先や友人に携帯電話での連絡がとれたのは15日の夕方になってからだ。被害を受けるも無事だったので安堵する。住んでいた岩沼市の情報は皆無に近い。また、仙台空港近くには妻の友人が住んでいる。
D 二の倉海岸(岩沼市) E 貞山堀(岩沼市から石巻市まで続く)
 地震発生の一週後の18日夜、車で仙台に行く予定になっていた。新幹線も東北自動車道も一般道も何時になったら利用出来るか見当がつかない。
 長野に転居する前の17年は宮城県岩沼市(仙台市の南20km)で生活していた。16日の今日、デジカメを購入した2001年から2004年までの撮影記録を紐解き被災地からの報道に痛みを重ねる。第2の故郷、心の故郷の復興を切に祈る。
F 阿武隈川河口(亘理町) G 亘理町(亘理地塁山地四方山より
 被災地の思い出が次々と浮かぶ。居住地は、二木(同僚宅の借上社宅)、相の原(一般住宅、転勤先でご主人がお亡くなりになり家族が引き上げ)藤浪(お世話になった不動産会社の社長宅)であった。藤浪はR4とR6の合流地点で海岸まで8km。
H 新地町の田園地帯(亘理地塁山地鹿狼山より) I 新地火力発電所(亘理地塁山地鹿狼山より)
 宮城県角田市、福島県相馬市・いわき市は勤務した会社の工場があり何度も出張した。角田市は退職前の2年間の勤務地でもある。気仙沼市、南三陸市、石巻市、塩釜市は講演や経営相談で訪問した。矢本町、野蒜町、多賀城市、仙台市、亘理町、相馬市には顧問先もあった。
J 閖上浜(名取市) K 仙台港中央公園(仙台市)
 特に、野蒜町・多賀城市・亘理町・南相馬市(磯部)にある顧問先は津波の被災地そのものだ。事業所のみでなく社員もいる。気仙沼市・南三陸市・石巻市・塩釜市・多賀城市・亘理町は経営相談で回った事業所がいくつもある。
 当然ながら被災地報道の場所の多くに観光目的でも訪れている。奥羽山脈は隆起し海岸部は70cmほど沈んだとか、岩沼市から石巻市まで続く貞山堀は海浜湿地帯になってしまうのか。日本三景の松島湾の島々は・・・・。
ここからは掲載写真の説明です
 仙台平野の南部(仙南という)、仙台市太白区と若林区の南に隣接する名取市の次に岩沼市があります。岩沼市は福島県中通り続く国道4号と東北本線、福島県浜通りに続く国道6号と常磐線の分岐点、仙台から約20km、東京から333km地点です。
L 仙台市の市街地(太白山より) M 菖蒲田浜(七ケ浜町)
 【@〜B】横浜から転居した場所、サラリーマンから独立した場所が“宮城県岩沼市”です。西側(陸側)には仙台市から岩沼市まで標高300m前後の高舘丘陵と呼ばれる丘陵地帯が約20kmほど続いています。南から順に眺めた岩沼市の市街地です。
N 塩釜港(塩釜神社より) O 石巻湾野蒜海岸(奥松島大高森より)
 【C〜E】国道4号は太平洋から約8kmほど陸地に入った高舘丘陵沿いにあります。仙南の海岸は遠浅の砂地で防波堤や砂防林(松林)が続いています。その陸側に貞山堀(運河)があります。高舘丘陵と海岸線の中間辺りに仙台東部道路(高速道路)があり、ここまで津波が押し寄せたようです。
P 石巻湾桃浦港(大六天山より) Q 雄勝湾・雄勝町の市街地(硯上山より)
 【F〜I】仙南には亘理地塁山地という珍しい地形があります。その浜通り(亘理町、山元町)は宮城の湘南といわれるほどの温暖地帯です。海岸から2〜4km地点に国道6号と常磐線が通っています。隣県の新地町・相馬市・東相馬市同様に津波災害が大きかったようです。
 【J〜M】ここからは岩沼市より北側、名取市・仙台市・多賀城市・七ケ浜町までの海岸線は遠浅の砂浜です。防風林を直接乗り越えたり名取川を逆流した津波は貞山堀に流れ込み仙台東部道路を目安に仙台平野を呑み込んだようです。
 【N〜Q】塩釜市から牡鹿半島(石巻市)までの写真です。この地帯は北上山地の浜通りリアス式海岸の南部に位置します。南三陸市や気仙沼市に行っていた頃はデジカメがなく銀鉛カメラやポラロイドだったので撮影記録は殆ど残っていません。
 このように宮城県の浜通りを走馬灯のように綴ってきました。その多くが大津波と称される3mを超える10m近い巨大津波に襲われ一瞬にして壊滅状態になり今なお被災者の正確な数すら掴めない状況です。
 そして福島第二原子力発電所の事故、被災地の皆様にとっては地震・津波・放射能という大変な試練を負わされています。心からのお見舞いと復興に向けて激励の気持ちを捧げさせて頂きます。命ある限り幸せはつかめます。頑張りましょう。
 東北新幹線あるいは主要国道・東北自動車道が利用出来るようになったら仙台市の顧問先に伺い事業所の復興を通じ東北地方の再建に微力ながら尽力させて頂きます。
次の4枚は日本三景“松島”です
 松島湾に浮かぶ260余島の島々を一望できる名所が“松島四大観”です。それぞれから眺めた印象を表す言葉が、その名称になりました。
松島四大観;多聞山から“偉観”
 【多聞山からの“偉観”】松島湾(塩釜湾)の南部、七ケ浜町にあります。標高56mの八ケ森の景勝地で、中腹に多聞天像を安置する毘沙門堂があることより多聞山と呼ばれています。松島湾南部景観の好点を占め、その雄大さから“偉観”と呼ばれます。
松島四大観;扇谷からの“幽観”
 【扇谷からの“幽観”】松島湾の中央西部、毘沙門島近くの陸地に双観山(岩場)という展望台があります。双観山の奥の扇谷山からの眺めが“幽観”で松島湾全体が一望出来ます。手前の双観山からの眺め(写真)も異なった良さがあります。
松島四大観;富山からの“麗観”
 【冨山からの“麗観”】松島湾の北西部、仙石線陸前富山駅北の富山(117m)にある富山観音展望台からの眺めで、松島湾の南縁をなす諸島が盆景のように整然と点在する様子から“麗観”と呼ばれています。
松島四大観;大高森からの“壮観”
 【大高森からの“壮観”】松島湾東部、鳴瀬町宮戸島の中央部にある大高森(106m)からの眺めが“壮観”です。大高森展望台は360°のパノラマで、男性的な嵯峨渓(太平洋岸)と女性的な松島湾が眺められます。松島の形状を箱庭のように見られることから“壮観”と呼ばれています。
 このように素晴らしい自然財産があります。自然財産は心の財産です。人の持つ再生力に限界はありません。力まず明日を信じ、今日を精一杯行きましょう。永遠の人生のテーマソング“この空に生きる”を被災地の皆様にお届け致します。
この空に生きる
何処までも 何処までも
この空に 生きていく
泣いたらだめだよ 笑ってごらん
いつか心に 幸福がくるから
ランランラン ランランラン
ランランラン ランランラン
雲にのってやってくる
青空に 青空に
向かって生きる 木の芽を見よう
泣いたらだめだよ 笑ってごらん
いつか心に 幸福がくるから
ランランラン ランランラン
ランランラン ランランラン
風にのってやってくる
この大地に この大地に
人はみな 生きていく
泣いたらだめだよ 笑ってごらん
いつか心に 幸福がくるから
ランランラン ランランラン
ランランラン ランランラン
心の花が咲く日まで
ランランラン ランランラン
ランランラン ランランラン
心の花が咲く日まで
Midi 祈り  蝶と里山の浪漫紀行 
合掌