旗巻古戦場跡宮城県丸森町心の故郷の行方は・・・・
− 2011.05.21(土) 曇 −
 仙台出張は車で、5/20 pm21:00に家を出る。千曲ビューラインで軽井沢の追分で国道18号に乗る。安中から前橋で国道50号、桐生から渡良瀬渓谷を抜け日光、西街道で矢板から国道4号を北上する。会議終了後、5/21pm15:00往路を戻り5/22am1:00帰宅、往復で970km。
分厚い雲の狭間から朝日が 旗巻古戦場公園の全景
 暖かくなったので燃費が良く燃料計の1/2で316km、本宮で給油した。福島を抜け伊達に入る頃、曇空に明るさを感じ始めた。予定より大分早く着きそうなので白石から丸森に向かう。
戊辰戦争 旗巻古戦場跡史碑 心の故郷の標(蝶と里山の浪漫紀行のルーツ)
 出張前日、丸森に住む友人から“原発災害のお見舞いメール”を打った返信メールに“何時、非難指示が出ても良いように転居の準備を進めている”と書かれていた。そして、“生きているうちには戻れないでしょう”とも・・・・。
旧旗巻峠頂標 旗巻峠(現在の車道)の遠景
 そんなメールを見た後なので無性に旗巻古戦場跡に立ち寄りたくなった。宮城で生活した唯一の証が“蝶と里山の浪漫紀行”のルーツでもある当地にあるからだ。
 モニュメントに向かい、共に生活を送った家族(犬と猫)に合掌をする。近い将来、この地(旗巻峠)に立ち入ることが出来なくなる可能性のあることを告げる。
 旗巻峠を福島側に下る。そこは相馬市、一般車は通行自粛との看板があったので山側の道路で新地に向かい国道6号に出た。
国道6号線 福島県境の山元町付近 津波は国道6号/2km強を超えた(坂元地区)
阿武隈川河口付近の左岸に広がる水田地帯→地盤沈下で沼地状態、雨に濡れ災害直後を再現させたようだ
亘理・塩釜線の海岸方向(上写真の太平洋側) 車は農道沿いにガレキも随所に集められていた
被害家屋は災害時の状態のまま
 宮城県仙南沿岸部の東日本大震災の爪痕は深く、水田地帯は未だに手付かず状態であった。折りしも降り出した雨が震災直後の生々しさを再現させた形になった。
Midi 祈り   蝶と里山の浪漫紀行
− 合掌 −