思い出の走馬灯(宮城県仙南沿岸部) ; 震災後の仙南沿岸部 |
− 2011.08.19(金)-20(土)雨 − |
新潟紀行の疲れが残るなか、定例の仙台出張、車で行ってきた。 今回の被災地視察は、今まで足を踏み入れてなかった福島県新地町釣師浜漁港、宮城県山元町坂元駅、宮城県仙台市名取川閖上大橋地区に重点を置いた。 走行距離972km(往539km、復433km)の殆どが小雨降るなかであった。往路を戻り、21日1時前に帰宅した。 |
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ヤマトシジミ シジミチョウ科 ヒメシジミ亜科 普通種なるも斑紋列がやや大きく綺麗だ |
家を出たのは7時半前、通い慣れた銅山街道で日光へ、ここから寄り道をするため日光街道を直進する。 目的地に着いたのは12時ジャスト、雨は本降りになっている。靴は勿論、ズボンも膝上までびしょ濡れだ。 ツマグロキチョウは夏型、こうなれば是非とも特徴的な秋型を撮影したい。ならば、秋シーズ中の出張も車になりそうだ。 |
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ツマグロキチョウ(夏型) シロチョウ科 モンキチョウ亜科 絶滅危惧U類(全国版) |
数km上流の“シルビアシジミ保護地”に移動する。(最初の場所も保護地ではあるが目撃できず。) ここにもツマグロキチョウが数頭舞っていた。シルビアシジミも数頭目撃できた。 撮影を終えR4を北上、宇都宮から矢板に入ろうとする頃、信号待ちをしていたら大きな横揺れにビックリ、妻に電話しニュース速報を聞く・・・・震度5弱! |
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シルビアシジミ シジミチョウ科 ヒメシジミ亜科 普通種(局所分布) |
【旗巻古戦場跡】(8.20早朝) |
白石で入浴し丸森に向かう途中、角田への峠道でイノシシの子供が路上で立ち往生・・・・ライトで目が眩んだのか。 白石で昨夜のうちに調達したマックバーガーで朝食を済ませ、5時前に旗巻峠に向かう。 この辺りも放射能が飛散している。農家の方がイモチ病の消毒薬を噴霧していた。 |
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旗巻峠 県道大内黒木線(宮城県丸森町と福島県相馬市)は蝶と里山の浪漫紀行のルーツ | ||
霧雨が降り、また5時前ということで殆どが露出不足、まぁ何度も撮っている場所なので証拠写真で十分。 そういえば、この慰霊碑は過去1度も主役としての撮影はなかった。 この辺り、熊が出没するので熊避鈴を腰に下げ駐車場から古戦場跡に行った。 |
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旗巻古戦場跡 明治戌辰の役 戦没者慰霊碑 | ||
巡拝記念植樹の“ミモザ・アカシア”、名取市の園芸店で昨年2本購入したが根付かず。 今年になって再トライで購入したのが根付き大きく育っている。 冬越しが心配なので地植えに躊躇している。宮城でも大雪の中で育ち黄色い花を咲かせたが長野は比較にならない程の凍結なので大丈夫だろうか。 |
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心の故郷 巡拝記念植樹(ミモザは根付かず現在の我が家で植樹育成中) |
【福島県新地町(釣師浜漁港)〜宮城県山元町(常磐線山元駅)】 |
旗巻峠を福島県側に下る。新地町の仮設住宅地を通り抜ける。早朝散歩をするご年配の人たち、被災の重荷を背負う後姿に胸が痛んだ。 R6を右折し新地町の釣師浜漁港に行ってみた。ここは被災後では初めてになる。 国道まで津波が到達した地域、国道から海側に曲がってすぐに全壊民家と漁船という痛ましい光景が目に入ってきた。 |
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国道6号近くまで打ち上げられた漁船(福島県新地町) | ||
かつて相馬にも顧問先があり、R6号でなく亘理から松川浦を抜ける浜街道を利用していた。 小さな漁港だが数回立ち寄った記憶がある。その漁港の姿が消滅していた。当然、通い慣れた道も寸断していた。 当地とすぐ北の磯浜にも海水浴場があった。民宿もあったような記憶がある。それら、全てが右写真のようになっていた。 |
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基礎だけが空しく残る壊滅状態の釣師浜漁港(福島県新地町) | ||
宮城県に入り、坂元駅に立ち寄る。第185話('04,12,19)ダブルAさんと旗巻峠・鹿狼山に行った時に丸森のAさんが出迎えてくれた駅だと記憶する。 すぐに駅だと認識できない程の破壊ぶりだ。カメラを構えた2名の方がいた。話しかけたが、東京から来られたという方は声が震え目が潤んでいた。 原発の件もあり、JR常磐線は廃線になるのだろうか・・・・。 |
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壊滅したJR常磐線坂元駅(宮城県山元町) |
【宮城県岩沼市沿岸部】 |
海水で漬かり稲作を諦めた水田に雑草が生えている。すぐに耕作は出来ないが草刈をしている農家があった。 ガレキの後片付けに手が付かない場所でも、修繕が進んでいる家屋も少なくない。 信号が点灯していないので、電気工事は終えていないように見受けられる。このキャラクターは妻も知っていたので震災前からあったと分かった。 |
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修復が進む民家(宮城県岩沼市阿武隈川亘理大橋左岸付近) | ||
阿武隈川河口左岸に広がる水田地帯、ガレキが散乱し全く手付かずかと見受けられた。 しかし、よく見ると手で拾えるガレキが分別されポリ袋(写真に移っている白い袋)に入れられている。 阿武隈川左岸堤防と亘理地塁山地が彼方に見える。この堤防の上にある堤防道路はマウンテンバイクで走ったこともあった。 |
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点在する白袋はガレキ処分を待つ分別ゴミ | ||
仙台空港近くの水田地帯、ここは地盤沈下で湿地化しているところだ。 古タイヤの置き場から流され運河の土手で堰き止められゴミ集積場化されていた場所も片付けが進んでいた。 流通団地、先月と違って各社とも片付けが始まっていた。何でこんなに着手が遅れたのだろうか。 |
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大分進んだガレキ処理(宮城県岩沼市矢の目橋付近) |
【宮城県名取市名取川河口付近(閖上)】 |
仙台空港から仙台港まで、沿岸部を走る亘理塩釜線、多賀城・松島・矢本の顧問先への通り道であった。 4月に仙台港から蒲生地区は見て回ったが名取川に架かる閖上大橋付近は通行止(現在は荒浜地区が一般車通行止)だった。 今回は、仙台空港から閖上大橋まで通行可能区間を見て回った。 |
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亘理塩釜線沿いの民家にぶつかった漁船(宮城県名取市牛野付近) |
話しには聞いていたが道路脇に漁船が横たわり異様な光景であった。 水田地帯は殆ど手付かずのようだが、予想以上に片付いていた。また、家の形も多く残っていた。 閖上大橋の袂に雛壇がダンボール箱に入れられ置いてあった。自衛隊もしくはボランティアの人が置いたのだろう。 |
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名取川に架かる閖上大橋の左岸部(宮城県仙台市若林区藤塚付近) |
閖上大橋を渡ると一般車は左折しR4に出るようにと交差点毎に表示が出ていた。 名取川左岸〜防風林の中に細い道があった。海浜公園、サイクリングロード、海水浴場があった。貞山堀も綺麗だった。これら全てが津波という巨大ブルドーザーで押し潰された。 そんな思い出の地を相馬から仙台まで、会議時刻までフルに使って走ってみた。 |
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亘理塩釜線 運転席より撮影(宮城県仙台市若林区種次付近) | ||
Midi 祈り | ||
− 合掌 − |