あれから半年宮城県仙南地域復旧進む被災地の日の出
− 2011.09.17(土) 晴 −
 かつての居住地、岩沼市のショッピングモール駐車場で仮眠、まだ寝苦しい暑さが車中に篭るので時々エアコンを入れる。

 午前4時半、グラグラっと揺れる。後で分かるが震度3、その1時間半後にもまた地震があった。

 朝焼けが綺麗なので、居住地近くの阿武隈川河川敷にある阿武隈公園に移動し日の出を見ることにした。
被災地の夜明け前 阿武隈川 国道6号 阿武隈橋下流左岸の阿武隈公園 4:45
 阿武隈公園(グランド)は、犬の散歩コースであった。また、阿武隈橋を挟んだ上流にはショートコースがあった。

 プレーした記憶が蘇る。転居の5年程前になるだろうか、閉鎖後は荒地に戻り蝶の撮影場所になった。

 満潮時なのだろう。浮遊物が上流に向かって流れている。水鳥も目覚め羽ばたいていた。 
阿武隈橋と製紙工場(上記撮影地より阿武隈川上流方向の眺め)
 太平洋からの日の出を見ようと急いで亘理方面から阿武隈川河口に架かる阿武隈橋に向かった。

 橋を渡り左岸の堤防上に駐車した。250mmズームで河口を眺めると大きな波が押し寄せ何となく怖くなった。

 かつて、満潮時に河口に来たことがある。潮の逆流速度は予想以上に早く、見ているだけで飲み込まれそうな思いがした。
阿武隈川河口 阿武隈橋下流側左岸よりの眺め
 最大ズームで撮影した画像を確認していたら・・・・釣り人のようには見えないが・・・・。

 もし釣っても土地の人なら絶対に口にはしないと思う。役員会議で、そんな話しがあった。
人影部の切り出し 河口の最大ズーム画像
 堤防上から阿武隈川河口左岸の防風林(松林)の上に朝日が昇った。

 この防風林の浜側にはコンクリートの防波堤が続いていた。その防波堤をサイクリングをした思い出がある。

 橋の上流側、津波の被害を受けたであろう家屋の修繕も大分進み近々に住めそうだ。(未だ電気は不通のようだ)
被災地の日の出 阿武隈川河口 5:16
 本日の“被災地、その後の紹介”は、亘理塩釜線の阿武隈橋から仙台港まで、そのうち閖上大橋から高砂大橋間は一部を除き初めてになります。

 ※亘理地塁山地は、阿武隈高地の北端に続く植物分布において南限と北限が交差する貴重な場所として知られています。
朝日に燃える阿武隈橋 背後の里山は“亘理地塁山地”
 南浜中央病院は、津波が襲った状況がテレビ報道されたので多くの方の記憶に残っていると思います。

 阿武隈川河口左岸北部、太平洋と貞山堀にはさまれた岩沼市の海浜地区です。

 ※貞山堀は、ここ阿武隈川河口から塩釜湾を抜け石巻まで約70kmに及ぶ太平洋の波を避けた海運運河です。
南浜中央病院 手前は貞山堀
 岩沼市寺島地区は津波に呑まれた水田地帯です。

 雑草で見えなくなっていることもありますが、後片付けが大幅に進み、被災状況をお知らせするにも右写真程度です。

 住宅も修理可能なものは、大分手が加わっているとの印象を受けました。家の周囲では野菜も作っていました。
岩沼市寺島地区 亘理塩釜線と太平洋の間に広がる水田地帯
 被災前も防波堤があり、海岸線は遠浅の砂浜でした。防波堤工事が進み、内側には大きな土嚢袋が無数に積まれていた。

 防波堤の内側に砂地、海浜道路、防風林、貞山堀という海岸構造になっている。

 写真は北を向いて撮っているので霞の先に仙台港、七ケ浜が薄っすらと望める。
二の倉海岸 海浜プールがあった太平洋岸
 巨大津波の状況はテレビ報道で見ただけ。それなのに防波堤の先から聞こえてくる波の砕ける音に恐れをなしている。

 実際に目の当たりにした被災者の方は一生瞼の底に焼きついているであろう。

 仙台平野の沿岸部は地盤沈下していると聞くが、この写真からは遠浅の海岸が消え陸地が隆起したかのように錯覚する。
砂浜が大きく抉られ形相が一変していた
 先月来たときは、パトカーが止まり警察官による手信号の交差点であった。先月中旬以降に電気が復旧したのであろう。

 防風林の流木が至る所に山積みになっているが、震災直後に比べたら後片付けは、かなり進んでいることが伺える。

 岩沼市での津波被害は、寺島・早俣地区と空港南部、特に住宅が密集しているのは玉浦地区の海岸寄りかと理解している。
早俣地区 二の倉海岸からの交差点
 早俣地区から、亘理塩釜線の1本海岸側にある直線道路で仙台空港をめがけ走る。

 撮影はしなかったが、水田地帯を海岸方向に抜ける水路、土砂で埋まっていたが一部掘り起こされていた。塩抜きが始まるのだろうか。

 こと、岩沼市の沿岸部に限って言えば、破壊された建造物を除けば後片付けはもう少し、早い進行に嬉しく思えた。
方々片付きこのような状況は余り残っていない
 これより仙台空港から閖上大橋までの名取市、閖上大橋から仙台港までの仙台市、その先多賀城市の一部を回り顧問先に7時に到着した。

 亘理塩釜線、仙台空港トンネルに入る右手前の空港敷地に小型飛行機が流されてきていた。

 飛行機の向こう側、藪の先が滑走路だが・・・・。
仙台空港敷地内に横たわる小型機
 前回も撮影した漁船だが、近くの閖上港から流されて来たのだろう。この先には電車も流されてきていた。

 新地(福島)で見た漁船はもっと大きかったが、片付け処理は自動車のようにはいかないだろう。

 この家は、開口部にコンパネが打ち付けられているのでリフォームすれば住めるのかな。
前回も撮影した漁船(分かっていたので手前で止まり撮影できた)
 亘理塩釜線沿いにある老人ホーム「潮音荘」、震災時は少なくとも1階は完全水没しているはずだが・・・・。

 ここで生活しておられる方、近くに高台はない。屋上非難で助かっただろうか。

 地図でチェックすると、海岸線から略800mの位置を北東に道路が走っている。
老人ホーム 潮音荘
 深沼海水浴場がある荒浜地区は、亘理塩釜線と海岸線の間に住宅地がある。何度か行ったことがある。

 防風林沿いに細い道があり、海水浴の季節になると道路脇に車がズラリと駐車していた。

 亘理塩釜線の西側は水田地帯で集落はポツンポツンとあったと記憶している。
道路で津波の流れが変わったのか道路脇の水田は抉られていた
 写真は、荒浜地区の新興住宅地で何年かの間に一気に家並みが増えたと記憶している。

 殆どの家が基礎を残し破壊され海岸まで見通せる状態になっている。海岸まで、こんなに近かったかと再認識させられた。

 写真に写っている道路は、住宅地内の市道である。点在して見えるのが防風林になる。
基礎のみが残る荒浜地区
 上写真の住宅地に車を止め、水田地帯から道路を挟み南西方向(名取川河口の閖上大橋方向)を写す。

 住人ならびに災害復旧車両しか通行できないが、切れ目なく走る通行車両は許可外車両と見受けられる。(私も含め)

 道路西側法面は、津波により抉られ数10cmの深さで雨水が溜まっていた。
亘理塩釜線の陸側・・・・沼地に化していた
 私が持っている東北地図はかなり古く、写真の建物が何であるか見当がつかない。

 グーグル地図で大凡の位置で判断すると“荒浜小学校”のようだ。この道を利用していた頃には無かったと記憶している。

 建物の向こうが海岸になる。手前は体育館のようだ。教室の窓ガラスは1階が半分以上、2階以上は殆ど残っている。
私立 荒浜小学校? 私がいた頃はなかったかも・・・・
 当時から中古車販売店があったことを記憶している。道路反対の西側に販売車両を並べ営業していた。

 中古車販売は店舗が無くても営業出来るので早くから再開されたのだろう。

 この辺りは、4月に見ている。道路の両脇にガレキの壁が出来ていて道路も走り難かったが、こんなに綺麗に片付いている。
中古車販売店が営業していた
 数100m先が七北田川の高砂橋だ。ここは仙台市宮城野区蒲生地区、蒲生干潟がある。

 いつか忘れたが蒲生干潟で自然の息吹が見られたとテレビ報道されていた。

 七北田川河口左岸に、山として認定されている日和山(海抜6m)がある。山頂はるか上方まで津波がかぶったのだろう。
蒲生地区 この先が高砂橋で仙台港になる
 蒲生地区、家の周囲の土砂を取り除いているお宅があった。もしかして新築住宅を計画されているのかな・・・・。

 復興計画は蚊帳の外、地域社会は独自で一歩一歩進んでおられる。政府は支援予算を決めるだけで後は地域に任せたらどうだろうかとも思えた。

 何処か違う場所の写真が混じっているんじゃないかと・・・・。
家の周囲の土砂を取り除いている
 仙台港を抜け多賀城市に行ってみた。4月に撮影している場所である。

 道路を挟んだ海側に、かつての顧問先がある場所だ。

 顧問先は再開のメドが立っているとは感じられない程の被災状況だ。
多賀城市 かつての顧問先の道路を挟んだ住宅街
 7時近くなったので顧問先に向かう。ジャスコ多賀城店の前を通り過ぎる。営業再開のメドは立っていない様子。

 仙台臨海鉄道(貨物専用)の高架線周辺を走りながら撮影した。震災の爪痕が感じられないほどに片付いていた。

 会議が終えたら塩釜・松島・石巻方面にと思ったが、気が重くなったので15時半に帰路についた。
仙台港に続く仙台臨海鉄道橋 すっかり片付いていた
− 合掌 −