鳥の海(宮城県亘理町) ; 仙南沿岸部の被災復旧状況 |
− 2011.11.19(土)曇 − |
雪が降らない11月の出張まで車で行こうと決めていた。間際の週間天気予報では大雨注意報が出るも今更変更出来ない。 被災地の撮影は出来そうにないので18日の夕食を済ませてから出ることにした。 20時出発予定を30分繰上げ家を出た。休憩なしで岩沼に着いたのは翌朝3時丁度。未だ雨は降り出していないので被災地撮影は予定通り出来そうだ。 |
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海側から見た亘理漁港市場(中央左の4灯周辺) 画面左手が鳥の海 |
岩沼で約1時間休憩し4時にR6を南下し亘理町に向かった。日の出は6時半頃、厚い雨雲が夜明けを一層遅く感じさせた。 R6から鳥の海に向かう途中に亘理塩釜線から相馬まで浜沿いの道路がある。その交差点にあるコンビニで一休みする。 それでもと相馬方向に車を走らせ長瀞地区まで行く。辺りは真っ暗で何も見えないが、路面の段差から感じ取れた。 |
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道路先の左手の建物は漁港市場である 漁船は津波で打ち上げられたものを集めたのだろう |
6時、ライトを点けないと被災地の道路は危険が多いので走れない。道路脇の家屋の被災状況も暗くて見えない。 鳥の海公園まで車で行けた。建物の5階ほどの高さに積み上げられたガレキの山が防波堤のように見えた。 道路ならびに周辺は想像をはるかに越えるほど片付けられていた。多くの皆様のご尽力によるものと頭が下がった。 |
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太平洋岸(海水浴場)にはガレキの山がいくつも並んでいた |
会議に遅れることは出来ないので夜明けを待たずに撮影を試みた。画像が荒れるのを承知でISO感度を1600に設定した。 撮影開始時のシャッター速度は1/10秒、絞りF3.5。フラッシュを使うと逆に暗くなる。一脚で固定しての撮影になった。 鳥の海公園を見て回った。ポツリポツリとコンクリート造りの建物が残るのみ、見渡す限り“河原状態”に化していた。 |
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基礎だけが残る築港住宅 頑丈な土台は津波で陸側が抉られている |
時折、ライトを点灯した車がやって来た。ガレキの近くで停車し、しばらくして走り去る。1台だけではない。 他の場所で以前見掛けた人達はカメラを持っていたので私と同じような人だろうと想像はつくが。 もしかして、被災者の家族が避難所から“お参り”に来られているのだろうか・・・・。 |
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老人福祉センター(?) |
鳥の海には“渡カニ”を買いに来たり“はらこ飯”を食べに来たり、亘理中学校の近くにある接骨医院には“カイロ治療”に通ったこともあった。 荒浜には“手作り蒲鉾店”があったと記憶する。多分食べたことがあると思います。 相馬に通じる街道筋には“いちご農家”が多い。この辺り一帯は温暖で「宮城の湘南」と言われている。 |
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亘理温泉「鳥の海」 |
全て津波に流されてしまったが、道路脇の敷地内に一株の白い花が咲いていた。撮影してはみたがブレ写真になっていた。 鳥の海周辺で気付いたこととして、殆どの電柱がまっすぐに立っている。 もし直していないのであれば、その理由を調査研究し復興に反映させる価値がありそうだ。 |
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一帯は鳥の海公園 |
ここに来るとき、私の前をトラックが走っていた。そのトラックが漁港市場に横付けしているが、この港は漁船の出入が復活しているのだろうか。 ここから相馬までの間には小さな漁港が数ケ所ある。写真には網らしいものが写っている。どうも部分操業していそうだ。 写真に写っている市場の先に“はらこ飯”が食べられる飲食店があった。 |
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亘理漁港市場 |
亘理中学校の建物、走りながらの確認でよく分からないがブルーシートは1階部分のみ。2階以上はどうなったのかな。 津波は一様な面状でなく渦を巻きながら押し寄せたのではと思える形跡が見受けられる。 理由は、中学校より内陸側でも全壊家屋が多くあるのに道路を挟んだ南側は床上浸水程度かなと思える建物も多くある。 |
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亘理中学校 |
阿武隈川河口右岸地帯に広がる水田地帯(亘理町荒浜地区)は区画整理が行われた後のように片付き整っていました。 これからの課題は塩分除去の仕事です。いろんな人達のご尽力でここまで復旧が進むと先が見えてきたかに伺えます。 何か嬉しさの涙が湧き出てきました。もうひと頑張りです。 |
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亘理町荒浜地区の水田地帯(撮影後手に仙台東部道路、画像左手先に阿武隈川河口の亘理大橋) |
右手道路の先に壁のように見えるのが仙台東部道路(高速)、その先は亘理地塁山地です。 道路上に2台の車が写っています。画面先の車の位置から画面左手の水田地帯を撮影したのが上記画像です。 2枚の画像比較でご理解頂けると思いますが、町全体も同じように片付いていました。 |
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上記水田地帯の7ケ月前(4月6日時点)の写真を参考掲載 |
以前より気になっていた“鳥の海”(亘理町荒浜地区)を見て2つのことを感じました。その一つは、何処の被災地でも同じことですが津波の怖さを改めて感じたということです。津波の災害はリアス式海岸特有なもので平野部では“想定外の災害”だったのではなかったのかとさえ思いました。そして二つめは、復旧の度合いです。思っていた以上に片付いていました。この状況をみて被災者の皆様も、きっと大きな元気を受け取って頂けたのではないでしょうか。私は、そう思いました。頑張ろう東北、頑張ろう宮城、そして頑張ろう第2の故郷、新天地で私も頑張ります。 |