碑撮り旅 「奥の細道」北陸路(第2日目)
 2015.06.02(火) 晴
【醫王寺】石川県加賀市
 
 
 句碑46「山中や 菊は手折らじ 湯の匂ひ」(やまなかや きくはたおらじ ゆのにおい)、元禄2年7月27日-8月5日、「奥の細道」旅中「山中温泉」にて詠んだ句。「醫王寺」参詣は7月28日。
【大木戸門址】石川県加賀市 句碑47 句碑48 句碑49
 石柱「大木戸門址」の左面に句碑48、右面に句碑49が刻まれている。句碑47「今日よりや 書付消さん 笠の露」(きょうよりや かきつけけさん かさのつゆ)句碑48「や万なかや 菊はたおらじ ゆのにほい」、句碑49「漁り火に 河鹿や波の 下むせび」(いさりびに かじかやなみの したむせび)
  【芭蕉の館】石川県加賀市
 
 
 句碑50行き行きて たおれ伏すとも 萩の原」(ゆきゆきて たおれふすとも はぎのつき)曽良、句51「今日よりや 書付消さん 笠の露」、句52「やまなかや 菊はたおらじ ゆのにほい」。
【泉屋の跡】石川県加賀市  
 芭蕉と曽良は案内役の北枝と「山中温泉」に7月27日から8日間「泉屋」に逗留。「泉屋」の当主は14歳の「久米之助」、蕉門に入り「桃妖」(とうよう)の号をもらう。
 
 句碑53「湯の名残 今宵は肌の 寒からむ」(ゆのなごり こよいははだの さむからん)、元禄2年8月5日、「奥の細道」山中温泉最後の日、桃妖への別れの吟。歩道側には桃妖の句碑54「旅人を 迎に出れば ほたるかな」(たびびとを むかえにでれば ほたるかな)ならびに「帋鳶切て 白根が嶽を 行衛哉」「行燈の 献立をよむ 涼かな」が紹介されている。
【あやとりはし】石川県加賀市
 
 
 大聖寺川がつくりだした「鶴仙渓」に架かる「あやとりはし」(いけばな草月流三代目家元勅使河原宏デザイン)、橋下の川床は「道明ガ淵」と称する景勝地。
【道明ガ淵】石川県加賀市
 
 句碑55「やまなかや 菊はたおらじ 湯のにほい」(やまなかや きくはたおらじ ゆのにおい)、元禄2年7月27日-8月5日、「奥の細道」旅中「山中温泉」にて詠んだ句。
  【蟋蟀橋】石川県加賀市
 「かがり吉祥亭」前の急坂で狭い道を「こおろぎ橋」へと下る。橋の手前右側の斜面に句碑がある。徘徊のすえ、「高瀬橋」迄行っていた。
 
 句碑56「かゝり火に 河鹿や波の 下むせひ」(かがりびに かじかやなみの したむせび)、元禄2年7月末「奥の細道」旅中、「山中温泉」で桃妖から「山中十景」の一つ「高瀬の漁火」(こおろぎ橋上流の高瀬河原で漁師が夜釣りで灯した明かり)の話を聞いての作。
【平岩橋】石川県加賀市  
 「平岩橋」の左岸側の欄干袖に芭蕉の句碑がある。
 
 句碑57「いさり火に かじかや波の 下むせび」(かがりびに かじかやなみの したむせび)、元禄2年7月末「奥の細道」旅中、「山中温泉」で詠まれた句。「山中温泉」はここが最期の予定だったが、徒歩から車での移動に変えたことから温泉口の「白鷺大橋」へと逆戻り。従って、次の「永平寺」に向かう際はこの「平岩橋」信号を再通過することになる。
  【白鷺大橋】石川県加賀市
 「白鷺大橋」の左岸側の欄干袖に芭蕉の句碑がある。「黒谷渓谷」の上に架かる「白鷺大橋」(黒谷橋中央より撮影)。紅葉の頃に来て見たくなる風景だ。
 
 句碑58「山中や 菊はたおらぬ 湯の匂」(やまなかや きくはたおらぬ ゆのにおい)、元禄2年7月27日-8月5日、「奥の細道」旅中「山中温泉」にて詠んだ句。
【黒谷橋】石川県加賀市  
 
 「鶴仙渓」(かくせんけい)の最下流で大きな淵をなす「黒谷峡谷」は絶景、そこに重厚なアーチ型の「黒谷橋」が架かっている。芭蕉はここが気に入り「行脚の楽しみここにあり」と言わしめた。
  【芭蕉堂】石川県加賀市
 
 「山中温泉」最後の撮影地、「醫王寺」で撮影出来なかった「桃妖」の句碑があるので楽しみだった。句碑59「紙鳶きれて 白根ヶ嶽を 行方かな」(たこきれて しらねがたけを ゆくえかな)。(句部拡大
【永平寺】福井県永平寺町
 芭蕉は「五十丁山に入て永平寺を礼す」と記している。新婚当時に父を誘って「高山→東尋坊→永平寺」+「越前焼・九谷焼」の一泊二日の旅をした思い出がある。(永平寺全景図
鐘楼堂 傘松閣絵天井(拡大可) 中雀門
瑞雲閣(大庫院) 仏殿 法堂
  【天龍寺】福井県永平寺町
 
 
 句碑60「物書て 扇引さく 余波哉」(ものかきて おうぎひきさく なごりかな)、元禄2年8月15日「奥の細道」旅中、福井の永平寺「天龍寺」にて「金沢」から見送りに同行した北枝との別れの吟。
【左内公園】福井県福井市  
 
 句碑61「名月の 見所問ん 旅寝せむ」(めいげつの みどころとわん たびねせん)、元禄2年8月12-16日「奥の細道」旅中、「福井」の「等哉」を訪ねた折の作。「芭蕉翁月一夜十五句」の「其の壱」「其の弐」。
  【玉江二の橋】福井県福井市
 
 句碑62「月見せよ 玉江の芦を 刈らぬ先」(つきみせよ たまえのあしを からぬさき)、元禄2年8月15日「奥の細道」旅中、敦賀での名月の晩「歌枕玉江の芦」を見ての作。諸説あるが花堂江端辺りになるようだ。(説明文
【朝六つの橋】福井県福井市  
 
 
 63「朝六つや 月見の旅の 明けはなれ」(あさむつや つきみのたびの あけばなれ)、元禄2年8月15日「奥の細道」旅中、「敦賀の阿曾武津の橋」で詠んだ「芭蕉翁月一夜十五句」のひとつ。
  【南条SA(上)】福井県南越前町
 新しい形のSAやPAが増えている。そんな一貫で「芭蕉句碑」が、業者口からも行ける。「湯尾峠」に句碑があると後日知る。通り道なので行けたかも。
 
 句碑64「月に名を 包みかねてや いもの神」(つきになを つつみかねてや いものかみ)、元禄2年8月15日「奥の細道」旅中、「敦賀での名月の晩」(湯尾峠)での作。「芭蕉翁月一夜十五句」のひとつ。(説明文
【南条SA(下)】福井県南越前町  
 「ひなが嶽」(比那ヶ嶽)は福井県越前市と南越前町にまたがる山、俗に「越前富士」(郷土富士)と呼ばれ山岳信仰の霊山として扱われ紫式部・芭蕉等から詠まれてきた。
 
 句碑65「あすの月 雨占なはん ひなが嶽」(あすのつき あめうらなわん ひながたけ)。元禄2年8月15日「奥の細道」旅中、「敦賀での名月の晩」福井での作。「芭蕉翁月一夜十五句」のひとつ。ちなみに、北陸自動車道には「芭蕉の句碑めぐり」なるものがあり11ヶ所のSA・PAに句碑が建てられている。
  【今庄町役場】福井県南越前町
 
 句碑66「義仲の 寝覚の山か 月悲し」(よしなかの ねざめのやまか つきかなし)、元禄2年8月15日「奥の細道」旅中、「敦賀での名月の晩」(燧が城)での作。「芭蕉翁月一夜十五句」のひとつ。「燧が山」は今庄町にある源平争乱期に木曽義仲の城(燧が城)があったといわれている。芭蕉は「木曽義仲」に一種の思い入れがある。「越前焼」窯元にも立ち寄りたかったが予想外に離れていたので涙を飲んだ。
【杉津SA(上)】福井県敦賀市  
 「北陸三県」は我が国有数の降雨地帯、中でも福井県の年間降雨量は2,700mm以上という多雨地域。加えて「仲秋の名月」の頃といえば秋雨前線が発達する頃だ。(説明文
 
 句碑67「名月や 北國日和 定なき」(めいげつや ほくこくびより さだめなし)、元禄2年8月14-15日「奥の細道」旅中、「敦賀」での作。「芭蕉翁月一夜十五句」のひとつ。
【杉津SA(下)】福井県敦賀市
 「杉津PA(下)」は「杉津PA(上)」より更に高い場所にある。眼下には「敦賀湾」が広がる。眺望の良さに加え夕日の名所として「恋人の聖地」になっている。
 
 句碑68「ふるき名の 角鹿や恋し 秋の月」(ふるきなの つぬがやこいし あきのつき)、元禄2年8月15日「奥の細道」旅中、「敦賀での名月の晩」(湊)での作。「説明碑」。「芭蕉翁月一夜十五句」のひとつ。(説明文)。「角鹿」(つぬが)は「敦賀」(つるが)の元の名前。
【金前寺】福井県敦賀市  
 「金前寺」(こんぜんじ)は、一旦は駐車場まで行ったが・・・・ここで良いのか不安になり大通りまで戻った。自販機の充填をしている店主の方に尋ねると「それが金前寺で芭蕉の句碑がある」と答えられた。
 
 句碑69「月いつこ 鐘は沈る うみのそこ」(つきいずく かねはしずめる うみのそこ)、元禄2年8月15日、「奥の細道」旅中、「敦賀金ヶ崎」での作。「芭蕉翁月一夜十五句」のひとつ。(刻字部拡大)(芭蕉翁鐘塚石柱)「金前寺」前の大駐車場は「金ヶ崎城跡」(敦賀城)。戦国の世、信長・秀吉・家康・利家等々が勢揃いした地。「金前寺」は金ヶ城落城・大決戦(織田信長と城主朝倉義景)の本営になりました。
  【氣比神宮】福井県敦賀市
 「氣比神宮」は、官幣大社かつ北陸道総鎮守、その大鳥居(日本三大鳥居)はかつて「国宝」だった。昭和20年、第二次世界大戦下、「敦賀空襲」で多くを消失した。
 
 「大鳥居」前の交差点先に、何やら「石碑と像」が見えたので行って見た。新内節(浄瑠璃の流派)の祖(初代は敦賀出身)「鶴賀若狭掾顕彰碑」(つるがわかさのじょう)があった。
【氣比神宮】句碑「なみだしくや」  
 
 句碑70「なみたしくや 遊行のもてる 砂の露」(なみだしくや ゆぎょうのもてる すなのつゆ)/真蹟短冊。左隣の「芭蕉翁杖跡」石柱に句71「なみだしくや 遊行のもてる 砂の露」(なみだしくや ゆぎょうのもてる すなのつゆ)、句72「月清し 遊行のもてる 砂の上」(つききよし ゆぎょうのもてる すなのうえ)/おくのほそ道。元禄2年8月14「奥の細道」旅中、「氣比の宮」にて詠まれた句。「芭蕉翁月一夜十五句」のひとつ。「なみだしくや」は「月清し」の初案。また、他に「月清し 遊行の持てる 砂の露」/其袋、なる句形も存在する。
  【氣比神宮】「芭蕉像」
 
 中央奥の木の下にある句碑が上の説明。右に芭蕉像があり台座に句73「月清し 遊行のもてる 砂の上」(つききよし ゆぎょうのもてる すなのうえ)。「芭蕉翁月一夜十五句」のひとつ。
【氣比神宮】「芭蕉翁月五句」
 右より句74「国々の 八景更に 氣比の月」(くにぐにの はっけいさらに けひのつき)、句75「月清し 遊行のもてる 砂の上」(つききよし ゆぎょうのもてる すなのうえ)、句76「ふるき名の 角鹿や恋し 秋の月」(ふるきなの つぬがやこいし あきのつき)、句77「月いつく 鐘は沈る 海の底」(つきいずく かねはしずめる うみのそこ)78「名月や 北国日和 定なき」(めいげつや ほっこくびより さだめなき)
  【氣比神社】「芭蕉と敦賀の月」
 「芭蕉翁月五句」碑の左隣に「芭蕉と敦賀の月」なる碑があり「芭蕉翁一夜十五句」より3句が紹介されている。
 句79
「山中や 越路も月は また命」(やまなかや こしじもつきは またいのち)、句80「月のみか 雨に相撲も なかりけり」(つきのみか あめにすもうも なかりけり)、句81「衣着て 小貝拾はん 種の月」(ころもきて こがいひろわん いろのつき)。(氣比神宮境内整備事業の一環として建之)
 「芭蕉翁月五句」と「芭蕉と敦賀の月」で「八句」末広がりかもしれないが、「芭蕉翁月一夜十五句」(荊口句帖)なるものがあるのだから「十四句」全て載せて欲しいものだ。
【市民文化センター】福井県敦賀市
 敦賀港に面した道路は車通りが少ない。そんなところに「市民文化センター」がある。句碑を撮影し、次の「西福寺」に向かい走り出してすぐ「べた踏み坂」があり道路中央から撮影した。
 
 句碑82「國ぐにの 八景更に 氣比の月」(くにぐにの はっけいさらに けひのつき)、元禄2年8月14日「奥の細道」旅中、「敦賀での名月の晩」(氣比の海)で詠まれた句。「芭蕉翁月一夜十五句」のひとつ。近くの海岸は、名勝「気比ノ松原」。芭蕉は、8月15日に気比の松原での月見を楽しみにしていたが宿の主人が言った通り「名月や」になった。
  【西福寺】福井県敦賀市
 山中温泉で芭蕉と別れた「曾良」は、芭蕉より先に「西福寺」に立ち寄ったらしい。通り道とはいえ「全昌寺」そして「西福寺」、同じ寺に芭蕉も追うように泊まるとは・・・・。
 
 句碑はないが「河合曾良文学碑」があるので立ち寄ってみた。「文学碑右側」と「文学碑左側」。大改修中で「立入禁止」になっていた。和尚さんにお願いし撮影許可を頂いた。
【常宮神社】福井県敦賀市  
 敦賀半島(立石半島)の若狭湾岸を走る。所々に撮影したくなる風景が広がる。「西福寺」を後にしたのは予定時刻16時30分より1時間強早いが天気が崩れてきそうなので気が気でない。
 
 句碑83「月清し 遊行のもてる 砂の上」(つききよし ゆぎょうのもてる すなのうえ)。元禄2年8月14「奥の細道」旅中、「氣比の宮」にて詠まれた句。「芭蕉翁月一夜十五句」のひとつ。風化し文字は全く見えない。ここまでで、「芭蕉翁月一夜十五句」(明らかになっているのは十四句)を、句碑で12句、文学碑で2句、一応制覇した。「月のみか」の句碑はなさそうだが、次の「本龍寺」には「衣着て」があり楽しみだ。
 【敦賀半島(立石半島)】予定外の立石海岸ドライブ
 
県道141号鷲崎(手)付近   立石漁港付近の海岸線
 「本龍寺」の電話番号と住所、交互にカーナビ設定したのに「何処まで連れて行くの」、30分弱の予定外の「道草」をした。古いカーナビゆえ「本龍寺」と「本龍寺開山堂」の区別がつかない。その上「立石漁港」まで案内されてしまった。解せないので、旅から戻ってグーグル・ストリートビューで確認、撮影した「鷲崎」付近から「本龍寺」(色浜)までは3km・・・・
【本隆寺開山堂】福井県敦賀市  
 
 句碑84「寂しさや 須磨にかちたる 濱の秋」(さみしさや すまにかちたる はまのあき)、元禄2年8月16日「奥の細道」旅中、「敦賀」(種の浜)にて詠まれた句。芭蕉曰く「種の浜は日本一の寂しさ」。(句碑脇の石柱
 あるはずの3句碑、「小萩ちれ ますほの小貝 小盃」「衣着て 小貝拾はん いろの月」「浪の間や 小貝にまじる 萩の塵」がない。案内表示しておいてもいいじゃん。「色浜」を訪ねる人の殆どは「芭蕉句碑めぐり」の旅人だよ。ちなみに本龍寺開山堂」は「民宿竹越前」、「本龍寺」は「豊漁丸渡船」前、この間100m余り。
  【観音寺】滋賀県米原市
 「観音寺」(かんのんじ)は、長浜城主「羽柴秀吉」と観音寺童子「佐吉」(石田三成)の出逢いの寺「三碗の才」として知られる寺です。
 
【観音寺】滋賀県米原市  
 
 
 句碑85「其のままに 月もたのまじ 伊吹山」(そのままに つきもたのまじ いぶきやま)、元禄2年8月下旬「奥の細道」旅中、「大垣藩士高岡三郎亭」(斜嶺)に招かれての挨拶吟。「其のままに・・・・」の前段に、「花にもよらず 雪にもよらず ただこれ孤山の徳あり」と附られている。
 2日目の撮影も無事終え「観音寺」を後にしたのは17時45分(予定18:40)と一時間早い。一般道を走り「海津温泉」(岐阜県海津市)に向かう。汗を流し、大駐車場での車中泊だ。(同様の車が10台ほど駐車していた)。間もなく天気予報通り雨が降りだした。明日は雨か・・・・気が重いなぁ。