碑撮り旅 ; 「奥の細道」北陸路(第3日目) |
2015.06.03(水) 雨 |
「海津温泉」(岐阜県海津市)4時前に起床、天気予報通り「本降りの雨」。朝食を済ませ4時10分発、この雨では「木曽三川・中洲」撮影は無理。「大智院」(三重県桑名市)に直行、4時30分着(日の出時刻4:33)、長良川沿いの堤防道路の路肩で明るくなるまで時間調整をした。 | ||
信濃の国は下桑原村(長野県諏訪市)に生まれた高野与左衛門は間もなく母の里(諏訪市中洲福島)へ養子、岩波庄右衛門正字を名乗る。12歳にして養父・義母が半月足らずで没、伊勢長島の伯父とされる「大智院」在住の縁者を頼る。20歳で長島藩松平良尚に仕官「河合惣五郎」と称し、28歳で当地「木曽川」と「長良川」の中洲に住むことから俳号を「曾良」としたのだ。35歳の頃から「芭蕉」との交友が始まったとされる。芭蕉に伴ない「奥の細道」行脚に出たのは41歳。この2年前には「鹿島紀行」にも同行している。62歳で病死。 | ||
【大智院】三重県桑名市 | ||
「せわしくも 奥の細道 碑撮り旅」の完結には、この「大智院」は避けて通れない。句碑86「行き行きて 倒れ伏すとも 萩の原」(ゆきゆきて たおれふすとも はぎのはら)、元禄2年8月5日、「奥の細道」旅中「山中温泉」にて詠んだ曾良の句。(句部分を拡大)、(芭蕉遺蹟大智院) |
【大智院】三重県桑名市 | ||
句碑87「うきわれを さびしがらせよ 秋の寺」(うきわれを さびしがらせよ あきのてら)、元禄2年9月6-9日、「奥の細道」の旅を終え「伊勢遷宮参拝」に行く途中、曾良の伯父の寺「大智院」に3泊、この句を詠んだ。後に「嵯峨日記」で「憂きわれを 寂しがらせよ 閑古鳥」とかえられた。「うきわれを・・・・秋の寺」の「秋の寺」は「大智院」をさす。石碑「蕉翁信宿処」の裏面。(句部分を拡大) | ||
次は「奥の細道むすびの地」(水門川遊歩道)、雨の中の往復4.4kmの道のり「芭蕉ゆかりの22句碑」と圓通寺・・・・雨の勢いは増すばかり・・・・どんな結末が待っているか(一瞬憂鬱さが過る)。 海津温泉から大智院へのルートは「揖斐川」と「長良川」の間を走り「長良川」を渡り「長良川」と「木曽川」の間を走った。夜明け前の薄暗りの中、堤防越えに溢れんばかりの水面を横眼に眺めると「怖い」ものを感じた。 復路は木曽三川を意識的に離れる国道258で大垣に向かう。「5:20「大智院」を後に「奥の細道むすびの地」(岐阜県大垣市)に着いたのは6:20と予定より1時間早い。 |
【奥の細道むすびの地】岐阜県大垣市 | ||
「おくのほそ道の風景地」に指定されている。「水門川」」は大垣と桑名を結ぶ運河で、永禄4年(1561年)大垣城主氏家直元が城池改築の際に開削したと伝えられる。 | ||
【ミニ奥の細道】岐阜県大垣市 | ||
「碑撮り旅」のダイジェスト版。平成25年6月14日(第1回)から満2年、今回は第21回目、大作です。 |
「奥の細道」全行程2,400kmを「四季の路」(2.2km)に見立て「奥の細道」旅中で芭蕉が詠んだ句から代表的な20句に「矢立初めの句碑」「蛤塚」の2句を合せ足跡をたどることができます。「旅程順」に並べかえた。 | ||||
【千住】東京都足立区 句碑88 | 【日光】栃木県日光市 句碑89 | 【遊行柳】栃木県那須町 句碑90 | ||
行春や鳥啼き魚の目は泪 | あらたふと青葉若葉の日の光 | 田一枚植て立去柳かな |
【須賀川】福島県須賀川市 句碑91 | 【笠島】宮城県名取市 句碑92 | 【平泉】岩手県平泉町 句碑93 | ||
世の人の見付けぬ花や軒の栗 | 笠嶋はいづこさ月のぬかり道 | 夏艸や兵共が夢の跡 |
【封人の家】山形県最上町 句碑94 | 【尾花沢】山形県尾花沢市 句碑95 | 【立石寺】山形県山形市 句碑96 | ||
蚤虱馬の尿する枕もと | 涼しさを我宿にしてねまる也 | 閑さや岩にしみ入る蝉の声 |
【本合海】山形県新庄市 句碑97 | 【出羽三山】山形県鶴岡市 句碑98 | 【酒田】山形県酒田市 句碑99 | ||
さみだれをあつめて早し最上川 | 有難や雪をかほらす南谷 | 暑き日を海に入たり最上川 |
【越後】新潟県(中越)句碑100 | 【市振】新潟県糸魚川市 句碑101 | 【那古】富山県(射水市)句碑102 | ||
荒海や佐渡によこたふ天河 | 一家に遊女も寝たり萩と月 | わせの香や分入右は有磯海 |
【金沢】石川県金沢市 句碑103 | 【小松】石川県小松市 句碑104 | 【那谷寺】石川県小松市 句碑105 | ||
あかあかと日は難面も秋の風 | しほらしき名や小松吹萩薄 | 石山の石より白し秋の風 |
【全昌寺】石川県加賀市 句碑106 | 【敦賀】福井県敦賀市 句碑107 | 【色の浜】福井県敦賀市 句碑108 | ||
庭掃て出ばや寺に散柳 | 名月や北国日和定なき | さびしさやすまに勝ちたる浜の秋 | ||
「大垣駅」までの往路(折返点;7:50)で「上半身は右肩から先」「背中は全部」「下半身は腹部から下」がずぶ濡れになった。出勤時間帯なのですれ違う人たちの視線が冷たく感じた。 |
【大垣】岐阜県大垣市 句碑109 | ||||
蛤のふたみに別行秋ぞ |
【水門川遊歩道】岐阜県大垣市 | ||
「住吉灯台」は岐阜県指定史跡、「船町港跡」は大垣市指定史跡」。その「住吉灯台」下に句碑112「芭蕉送別連句塚」があった。「秋の暮 行先々八 苫屋哉」(木因)、「萩にねようか 萩にねようか」(芭蕉)、「霧晴ぬ 暫ク岸に 立給へ」(如行)、「蛤の ふたみへ別 行秋ぞ」(芭蕉)。 |
【水門川遊歩等】岐阜県大垣市 | ||
「蛤塚」の後方に「木因白桜塚」がある。「谷木因」(たに ぼくいん)は大垣の廻船問屋の主人で「北村季吟」の入門、芭蕉とは同門の友人」で「奥の細道」(大垣)でも出てくる。句碑113「惜むひげ 剃りたり窓に 夏木立」(おしむひげ そりたりまどに なつこだち)。 |
【明星輪寺】岐阜県大垣市 | ||
大垣市に「金生山」(標高217m)という山がある。山全体が石灰岩で、良質な大理石・石灰岩が江戸時代より発掘されている。グーグルマップの航空写真で見ると痛々しく景観が損なわれている。 | ||
その山頂に「明星輪寺」がある。里からすれ違いもままならない急坂を1800m登る。本堂裏手の岩山(岩巣公園)には磨崖仏聖観音がある。レンズが曇り完全に使用不可、此処からは「60D+広角10-24mm」になる。 |
【明星輪寺】岐阜県大垣市 | ||
句碑116「鳩の聲 身に入わたる 岩戸哉」(はとのこえ みにしみわたる いわとかな)、元禄2年8月28日「奥の細道」の旅を終え、「大垣明星輪寺」(宝光院)参詣の折り作。(句部分の拡大) | ||
「明星輪寺」を下山したのは予定通りの10時00分、ここから名神高速で「義仲寺」(滋賀県大津市)へ、いよいよ「せわしくも 奥の細道 碑撮り旅」のラストシーンだ。 |
当初の計画では「本龍寺」(福井県敦賀市)から「義仲寺」(滋賀県大津市)を目指して移動、折角なので「比叡山延暦寺」を夜明け一番に考えていた。しかし、拝観時間帯という壁に阻まれ要領悪い3日目になっている。 | ||
【義仲寺】滋賀県大津市 | ||
「義仲寺」に着いたのは予定通りの11時40分、この後の家路を考え休憩がてら境内をくまなく撮影させて頂いた。(義仲寺の説明文) | ||
山門前は細道で車のすれ違いも間々ならない。山門右手の「巴地蔵堂」に切り替えしで幅寄せし通行車両の妨げにならないよう駐車した。 | ||
【義仲寺】滋賀県大津市 | ||
境内「朝日堂」の前にひと際大きな句碑があった。句碑117「行春を あふミの人と おしみける」(ゆくはるを おおみのひとと おしみける)、元禄3年3月の作。 |
【義仲寺】滋賀県大津市 | ||
「芭蕉翁墓」は、芭蕉の遺言通り「義仲寺」の「義仲公墓」の右隣りら設けられていた。 「義仲公墓」の左隣りには側室「巴御膳の塚」があり、更に左手に「又玄の句」があった。 |
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「島崎又玄」は伊勢の俳人で、「無名庵」に滞在中の芭蕉を訪ねた際(元禄4年9月)に、句碑118「木曽殿と 背中合せの 寒さかな」(きそどのと せなかあわせの さむさかな)を詠んだ。(芭蕉作と誤伝されていた) |
【義仲寺】滋賀県大津市 | ||
「巴塚」(巴御膳の塚)の後方に芭蕉の句碑がある。句碑119「古池や 蛙飛こむ 水の音」(ふるいけや かわずとびこむ みずのおと)、貞享3年の作。芭蕉作品中、最も「人口に膾炙した」(じんこう・かいしゃ)俳句中の俳句。 |
【義仲寺】滋賀県大津市 | ||
小生の「せわしくも 奥の細道 碑撮り旅」の「大団円」は・・・・この句。句碑120「旅に病で 夢は枯野を かけ廻る」(たびにやんで ゆめはかれのを かけめぐる)。「蝶」を追い求め里山歩き(蝶と里山の浪漫紀行)をしてきたが、年老いて野山を駆け巡ることが出来なくなった時を考え「バタフライガーデン造り」に余生をつぎ込む。正しくも「蝶狂人」の辞世の句として頂戴したいものだ。 |