-細道を訪ね描くや古希の旅-
下絵撮り(宮城県塩釜市) 奥の細道“塩釜”描き
2017.02.018(土) 晴
 東京八重洲を発った夜行バスは、夜も明けぬ5時前に仙台駅に到着した。仙石線で本塩釜駅で下車、外は真っ暗、東京のベーカリーで購入したパンで朝食を済ませ未明の街に向かう。
 
 6時前、日の出時刻には20分余りある。鹽竈神社博物館北の駐車場経由の道は初めて、鹽竈神社境内は改修工事中であった。鹽竈神社(左)と文化灯篭(右)。
 
 芭蕉・曽良が鹽竈神社を拝観したのは「辰ノ剋」、「千賀ノ浦」の日の出は眺めていない。私は、昨年の1月に次ぐ拝観、それも「卯の刻」・・・・真っ暗かつ寒い。千賀ノ浦(塩釜湾)と「芭蕉奥の細道碑」
 
 芭蕉・曽良が宿したのは、「宿、治兵へ、法蓮寺門前・・・・」とあり、この辺りになる。
 「法蓮寺」は廃寺、書院であった「勝畫楼」のみが朽ち残っている。廃寺は、後方の石段を登った奥になる。
 
 
 
 木造平屋建の「勝画楼」は18世紀中頃の建築、明治の廃仏毀釈で法蓮寺が廃寺、「画にも勝る」として取り壊しを逃れた。明治天皇の宿泊所、料亭として利用、雨漏りや腐食が進み昨年末(2016/12)に取り壊しが決まった。
画に勝り朽ちに勝てぬや勝画楼(塩釜)12.2017.spr
 年明けに解体が始まるとか、夏に来たら更地?。描いた病葉とて色も褪せよう。「病葉」(わくらば);三夏
色褪て病葉消ゆる勝画楼(塩釜)12.2017.sum 推敲
 
 
 
 上から「幻の様式灯台」(幕末の建造計画、倒幕で未完成)。文学碑、「おくのほそ道」(それより野田の玉川・沖の石を尋ぬ。「芭蕉船出の地」標近くに運河らしきものがあった。この辺りから松島に向かったのだろう。