墓誌に代え;記念碑の建立 |
2023.9.13(水)晴 |
福澤家先祖代々の墓を繕い、祖父母から納骨される墓を、兄(廿二世代)が男兄弟3名連名で建立した。次男の兄は昨年亡くなり、青山の梅窓院に葬られている。私たち夫婦は納骨させて頂くことになっている。 |
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昨日(2023.9.12)、「墓誌」を消した「記念碑」(蝶棲庵の記)と「先祖追贈」;今迄の家系図の初代先祖は承応3年(1654)没であったが、福澤家のルーツ探究で明応2年(1493)没まで161年遡り、塩田城主福沢氏一族と寺島隆史先生から間違いないでしょうとのコメントを頂戴できたので追贈刻字をした。 |
記念碑 碑文 |
蝶棲庵の記 望月の牧なる原の深山辺に吾とたはぶる百種の蝶 三雄 預修 福知牧翅禅定門 美江子 同 西福玅雲禅定尼 東御市羽毛山 西野入重憲・栄子 二女 ------------------------------------------------------------------------------------------------- 先祖追贈 福澤家の歴史調査 繰出位牌より改める 福澤家伝承 鹽田城主一族 龍光院殿山洞源清大禅定門 明應二年丑五月二十日 令和五年八月十五日 |
先祖の墓 |
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この墓地は「福澤家」と「宮澤家」の個人所有墓である。墓地への考え方は、今回の「ルーツを調べる」ことで大きく変わった。それまでは「墓場」という観念でしかなかった。先祖代々の墓について父に訊ねることもなかった。「家系図の先祖墓エリア」(第一、第三、第四世代墓)で認識も止まっていた。「記念碑」刻字工事で墓誌石の取り外しに立ち会った際、初めて「家系図の先祖墓エリア」後方にある1基の石塔に気づいた。 |
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「龍光院殿山洞玄(源)清大禅定門」の墓 |
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「福澤家の歴史」調査で、墓地を 4-5 回訪れている。「龍光院殿山洞源(玄)清大禅定門」の墓を、その都度探すも指呼出来なく「消滅」したものと思い込んでいた。細字ではあるが確実に認識できる。ご先祖様に「見落とすな!我は此処に居るぞ!」と喝を入れられた思いをした。 |
新たな問題が発覚 | |||
繰 出 位 牌 |
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ご先祖様のお墓が存在していることは大変な価値がある。しかし、刻まれた戒名が「龍光院殿山洞源清大禅定門」ではない・・・・「源」が「玄」になっている。 繰出位牌と異なるのである。追贈供養として繰出位牌に基づき追贈位牌を新たに作ったのである。 あくまでも推測であるが、江戸時代に行った追贈法要で「戒名」が付けられ、それに基づき墓石も建てられたであろう。繰出位牌は、追贈法要より後の時代であろうと考えられる。 従って戒名は 「龍光院殿山洞玄清大禅定門」であろう 「源」・・音読み「ゲン」、訓読み「みなもと」 意味は、物事のおおもと、始まり。たずねる、さぐる等。起源・根源等、源氏を指すこともある。 「玄」・・音読み「ゲン」、訓読み「くろ、くろい」 意味は、奥深い道理、はるかに遠い等。玄学・玄孫等 仮に玄孫であったら塩田福沢氏の誰につながるであろうか・・・・ |
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追 贈 位 牌 |
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ここでは、先祖の誤りと追及せず「このまま」にして当考察記録に留める。 | |||
- 合掌 - |