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旅の未知草「芭蕉句碑めぐり」 |
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細道を碑撮り馳せるや走馬灯 |
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− 「奥の細道」旅中と思える期間に詠まれた作品を中心とした代表的な句碑(青文字;「おくのほそ道」掲載句) − |
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熊野神社 みさご島
江山水陸の風光数を尽して、今象潟に方寸を責。江の縦横一里ばかり、俤松島にかよひて、又異なり。松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなますに似たり。
祭礼
象潟や料理何くふ神祭 曽良.
蜑の家や戸板を敷て夕涼 美濃の国商人 低耳
岩上にみさごの巣を見る
波こえぬ契ありてやみさこの巣 曽良 |
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象潟や料理何くふ神祭 |
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あつみ山や吹浦かけてゆふ凉み |
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文学碑
初眞桑四にや断ン輪に切ン 芭蕉
初瓜やかふり廻しをおもい出つ 曽良
三人の中に翁や初眞桑 不玉
興にめてゝこゝろもとなし爪の味 玉志 |
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初眞桑四にや断ン輪に切ン |
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誰か分からないが、知人の親子を誉めた句とされるが・・・・「瓜は花と実が同時にある。花の盛りが実の盛りでもあるということ」。
ある本には、「花実相兼ぬる人」への挨拶の句とあるが、もし挨拶の句とすれば、あるいは親子などの風雅をたたえたものかとも考えられる。
私事になるが、顧問先の会長様(創業者)の社葬において弔辞のご依頼を受け、社長様(次男)との関係ならびに後継者育成への姿勢について本句を引用し事業継承の素晴らしさを披露させて頂いたことを思いだしました。 |
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花と実と一度に瓜のさかりかな |
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「おくのほそ道」(象潟)元禄2年6月15-18日、「おくのほそ道」には芭蕉2句・曽良2句・低耳1句が掲載されている。芭蕉以外の句をまとめた。(いずれも句碑なし) |
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「おくのほそ道」(酒田)元禄2年6月18-25日、「象潟から酒田に戻る帰路」での作。酒田に戻り門人達への挨拶吟。寺島彦助亭に招かれての句会か?(山形県鶴岡市塩俵岩) |
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「おくのほそ道」(酒田)元禄2年6月23日、象潟から再度酒田に戻り、「酒田」の「あふみや玉志亭」での即興発句会で詠んだ句。「玉志」は「鎧屋」ではないかという説がある。(山形県酒田市日和山公園) |
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貞享元年頃から死の元禄7年までの発句とされているが、参考にしている「芭蕉俳句集」(中村俊定校注)では元禄2年「初眞桑」の次に掲載されている。(句碑なし) |
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さわらねば汲まれぬ月の清水かな |
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小鯛さす柳涼しや海士がつま |
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稲つまや顔のところか薄の穂 |
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文月や加羅さけ拝む乃寿三山 |
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「おくのほそ道」(越後路)、「北中に宿をとり、きれいな清水に感動し、本句を残し旅立っていった」ということで「奥の細道三百年記念事業」(平成元年)で建立。(新潟県村上市北中芭蕉公園) |
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諸説あるが「曽良書留」によれば、「おくのほそ道」(越後路)元禄2年7月12日、「越後西頸城郡の浜辺」辺りでの作になっている。(新潟県糸魚川市室川医院) |
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「奥の細道」旅中「林徳寺」に立ち寄った際の作と伝承(句碑説明)。文学史的には元禄7年6月の作とされている。(新潟県新潟市林徳寺) |
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「おくのほそ道」(越後路)元禄2年(1689)、「西生寺」の即身仏「弘智法印」(入廷1363と最古)を参詣した折りに詠んだと西生寺に伝承、後に「松尾芭蕉参詣の碑」として建立との説明を受けた。(新潟県長岡市西生寺) |
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No.11 |
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旅人 & 撮影者 福澤三雄(長野県東御市) |
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