海野宿(長野県東信)北国街道と中山道の宿めぐり
− 2012.11.24 (土) 晴 −
 午後一番で地元の販売店にリコール(ハンドルの不具合)点検・修理に行く予定で庭いじりをしていた。郵便配達さんから手渡しで受け取ったハガキは喪中のお知らせだった。
 熊谷営業所に勤務していた20歳後半に私的お付き合いが始まった得意先のエンジニアのT.Iさんが月に脳内出血でお亡くなりになったとのお知らせだった。

 彼とは同じ歳、熊谷そして岩沼の家にも泊まりに来られた方だ。直接的な仕事上のお付き合いは東京に戻ってからだ。

 彼はマーケティングの師匠にあたる。お互いに、当時「遊軍」と呼ばれる特命業務に携わっていた。来週前半にお悔やみに伺うつもりだ。
海野宿は千曲川の右岸沿いにある
 北国街道の宿駅として1625年に開設された。

 出梁造りの旅籠屋「海野格子」と呼ばれる二階の出格子や卯建のある江戸時代の建物、それと共に明治時代以降の養蚕業の盛んな頃に造られた櫓のついた蚕室造りの建物が調和した町並みが特徴といえる。

 昨日は小雨の中で宿場祭りが開催されたようだ。そんな賑やかさも収まり静かな散策をリコール点検・修理の待ち時間で楽しんだ。
東西に続く650mの海野宿 東端にある白鳥神社(海野郷を支配していた海野氏の氏神)
 重機を乗せた大型特殊車両が通行した。千曲川沿いに一般道路があるのに・・・・途中からでも街の中に入れるので考えて欲しいものだ。

 東外れにあるお店の若奥様といろいろとお話しをした。先週の大内宿のことも話題にした。

 若奥様から比較にならないほどの客足違いでしょうと・・・・多ければいいというものでもないが商売面からだと問題でしょうね。
車道部の左側より西方向に左町並みを撮影
 リコール点検・修理の待ち時間に海野宿を散策することはリコール案内時から決めていた。販売店から徒歩10分程度なので時間潰しには時間的にも好都合だった。
 町並みの南側が日陰になり北側が日に照らされ白飛びするほどの強コントラストで逆光並みの写真になってしまった。

 何軒かのお店をのぞいてみた。昼食直後だったので何の飲食もしなかったし地元ゆえに土産品も買わなかった。

 駐車場のナンバープレートから、観光客は地元が中心で埼玉・新潟・群馬・栃木といったところだ。
歩道部より西方向に南側町並みを撮影
 私の住家は、最初の写真に写っている中央左手に広がる台地の上にあります。

 その台地は北国街道と中仙道に挟まれています。そんなことで、宿場はいくつもあります。

 シーズン(蝶)オフに、それらの街道筋にある宿場風景を撮影して歩きたいと思う。
歩道部植え込みより東方向に北側町並みを撮影
 中山道は碓氷峠を越え、軽井沢の外れの「追分宿」で北国街道と分岐する。

 その後、中山道は御代田町の「小田井宿」から佐久市の「望月宿」を経て
R142沿いに「茂田井宿」「芦田宿」「長久保宿」「和田宿」を通り諏訪・木曽に抜ける。

 一方、北国街道は「海野宿」の次は上田市の「上田宿」、坂城町の「坂城宿」、その先は善光寺を越え長野市豊野の「神代宿」を最後に上越「関川の関」に抜ける。
水路を跨ぎ東方向に北側町並みを撮影
 地図に無い「宿駅」もあるので調べてみたい。北国街道の「追分宿」から「坂城宿」、中山道の「追分宿」から「和田宿」までは30分以内の距離なので地元といっても良かろう。任してくだはれ・・・・。