旅の未知草 おくのほそ道(福島編)
 2013.09.20 (金) 快晴
 おくのほそ道(福島編)は8月の「旅の未知草」であったが、出発数時間前の入浴中に腰痛が激化し立てなくなり出張そのものを中止したので9月の道草になった。
 未明3時に家を出て「遊行柳」に7時半に着き朝食を摂った。

 境の明神手前に「泉田の一里塚」(日本橋から46番目/184km)が目に入り撮影した。
 
再訪の地「芦野の遊行柳」に立ち寄る(那須町) 泉田の一里塚
 国道294号(旧陸羽街道)の国境に「境の明神」がある。

 北上中なので、まず目に入るのは「住吉明神」である。神社手前の駐車場に車を止め探索する。
 
境の明神 下野(栃木)側 住吉明神(男神;中筒男命/外敵を防ぐ神)(那須町)
 那須町と白河市の県境を超えると「玉津島明神」があり境内に芭蕉句碑がある。

 国道294号を挟んだ右手に「白河二所関址碑」がある。
 
境の明神 睦奥(福島)側 玉津島明神(女神;衣通姫/国を守る神)(白河市)
 白河の古関跡が現在の白川神社周辺と松平定信が定めています。一方、この地にも関があったと述べています。歴史には疎いので今日今まで知りませんでした。芭蕉も「白河関跡」をこの地と勘違いしていたようです。(ある面では二所関に立ち寄ることが出来て結果的には良かったかも・・・・)
 境の明神、陸奥(福島)側の玉津島明神に幾つもの碑があった。

 最右側の小さなものが芭蕉句碑で「風流の はじめや奥の 田植え唄」と読めないこともない。
 
芭蕉句碑(画像Clickで拡大 白河二所関址碑(白河の関は二つある)
 予定では、次の目的地は「宗祇戻し」であるが・・・・「白河関跡」に向かわねばならないという「生理的事由」からコース変更が余儀なくされた。
 芭蕉句碑めぐりの第1回目は6月14日であった。黒羽を後に「境の明神」手前から「白河関」に回った。

 この時は下調べもなく句碑のことは頭から消えていた。
 
白河関跡(白河市) 白河神社(画像Clickで拡大
 白河関の森公園に芭蕉・曽良像と句碑(平成元年建立)があった。

 芭蕉「西か東か 先早苗にも 風の音」と、曽良「卯の花を かざしに関の 晴着かな」である。
 
芭蕉・曽良句碑(画像Clickで拡大 白河関の森公園
 白河関の設置年代は不明(白河二所関より古い)。平安中期には解消されていたという。芭蕉・曽良は「史跡めぐり」で立ち寄ったのだろう。
 実は「おくのほそ道」紀行の第1回目(6/14)の黒羽から仙台に向かう際に立ち寄っている。

 芭蕉「西か東か 先早苗にも 風の音」、上の写真の句碑を含め見落としていた。
 
芭蕉句碑(画像Clickで拡大)平成元年 青雲社建立 文学碑(画像Clickで拡大
 宗祇戻しは白河市街地を通る「御斉所街道」沿いにあるが分かり難いのでお隣の菓子店を目印にした。

 芭蕉句碑「早苗にも 我色黒き 日数哉」である。
 
 
宗祇戻し(画像Clickで拡大   宗祇戻し碑(画像Clickで拡大   芭蕉句碑(画像Clickで拡大
 「乙字ヶ滝」近くの「岩瀬牧場」は、明治13年、宮内省御開墾所として創建された最初の国営牧場であり、後の「牧場の朝」のモデルにもなった。福島遺産百選として明治・大正のロマン香る名所になっている。(鏡石町)
 
開拓当時を偲ぶ牛舎   ホルスタイン牛購入記念鐘 かつての畜舎内
 
とうもろこし乾燥舎   蔦に覆われた旧事務所 ホースファーム
 岩瀬牧場を後にし阿武隈川に架かる朱色に塗られた「乙字橋」を渡る。車の通行は余り無いので橋の上で一時停止をして車窓から眺めることが出来た。また、「乙字ヶ滝」を後にする前に徒歩で橋を渡り川上方向から滝を眺めた。やはり滝は川下から眺めるのが最高だ。
 週明けに通過した台風18号の影響で阿武隈川の水嵩が増していた。

 芭蕉・曽良は1689年4月29日に乙字ヶ滝を見てから須賀川8日間の滞在を後にしている。
 
乙字ヶ滝(日本の滝百選)(須賀川市) 瀧見不動堂(画像Clickで拡大
 4月29日といえば、私の結婚記念日にあたる。滝を眺めながら40有余年の過ぎし日々を想い浮かべた。

 芭蕉句碑「五月雨は 滝降り埋む みかさ哉」である。
 
芭蕉句碑(画像Clickで拡大   瀧見不動堂にある句碑広場
 須賀川市内では3ヶ所の句碑を見てまわる。グーグル地図を調べ理解した上でナビ設定し走ったはずだが、現地で順番を変えたこともあり状況が予想と異なり後々に苦労するハメになった。
 グーグル地図を調べ理解した上でナビ設定し走ったはずだが現着状況が予想と異なり後に苦労した。

 十念寺の墓石は3.11地震で倒れたままだった。
 
十念寺(須賀川市) 3.11の爪痕が残る
 正面の石門柱から境内に入ると右側に立派な句碑があった。

 芭蕉句碑「風流の 初めや奥の 田植歌」である。境の明神と字異いの句だった。
 
芭蕉句碑(画像Clickで拡大   十念寺の芭蕉句碑
 十念寺の境内で草取りをしていた老女に博物館への道を聞く。

 芭蕉句碑「五月雨耳 飛泉婦梨う川む 水可佐哉」・・・・漢字が並ぶ俳句としては珍しく感じた。
 
芭蕉句碑(画像Clickで拡大)須賀川市立博物館 芭蕉句碑(画像Clickで拡大
 地図上では「市立博物館」は「十念寺」の裏で敷地を抜けて行けそうだった。ナビで十念寺に着いた際に方角を見失い一方通行の細い道なので右回り左回りと抜け道を探し歩き回ってしまった。
 「芭蕉記念館」前の市役所駐車場に車を止め徒歩で「可伸庵跡」に行った。

 芭蕉句碑「世の人の 見付けぬ花や 軒の栗」である。
 
軒の栗/可伸庵跡(須賀川市) 「芭蕉句碑」「軒の栗文学碑左記リンクClickで拡大)
 須賀川までで略見終えた感じがする。次は福島市まで直行、途中でゆっくり昼食を摂り休憩としよう。そういえば「白河関跡」にいたとき、妻から「震度5強」の地震が福島沖で発生したので注意し無理しないようにと電話があった。過去にも仙台出張時に余震が重なることは結構あった。
 須賀川を出て略2時間、福島市の「文知摺観音堂」に着いた。除染作業中とのことで立入禁止になっていた。運良く車道から句碑が見えたので250mmズーム撮影した。日陰で露出不足が心配されたが何とかなった。周辺では普通に稲作が行われていた。スポット除染に疑問が感じられた。
 「文知摺観音堂」は30代の頃、相馬の事業所に出張した際に立ち寄ったことがある。

 芭蕉句碑「早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺」である。
 
文知摺観音堂(福島市) 芭蕉句碑(画像Clickで拡大
 「文知摺観音堂」を後にしたのは14時半、これから向かう「医王寺」も除染作業が行われているだろうかと思うと疲れがどっと出てきた。
 グーグルマップやナビでの医王寺表示は不明瞭で苦労したが実際に走ってみると迷わなかった。

 電車の駅名にもなっているだけあって立派なお寺さんだ。
 
医王寺(福島市飯坂温泉)
   境内には立派な句碑と記念碑が建てられていた。

 芭蕉句碑「笈も太刀も 五月に飾れ 紙幟」である。
 
芭蕉句碑(画像Clickで拡大 芭蕉句碑
 除染中でも拝観料を徴収するだけあって全観を勧められた。

 宝物殿内部は撮影禁止になっていたが通路から見える部分を館外撮影した。
 
芭蕉像   医王寺 瑠璃光殿(宝物殿)
 飯坂温泉街を通過する際に「飯坂温泉駅」前で渋滞停車した。

 車窓から250mmズームで撮影、文学碑は切出し拡大した。車から降りずにチェック出来た。
 
飯坂温泉駅前の芭蕉象/後方の欄干は摺上川に架かる十網橋(福島市) 芭蕉文学碑(画像Clickで拡大
 
田植塚前で記念撮影   法圓寺 田植塚と句碑(桑折町)
 法圓寺(桑折町)に着いたのは16時半少し前、「旅の未知草;おくのほそ道(福島編)」もクライマックスを迎えた。芭蕉を祀った「田植塚」そして芭蕉句碑「風流の 初やおくの 田植うた」を前に3回におよぶ「奥の細道紀行」の幕が降ろされた。この後、第二の故郷(岩沼市)に着いたのは17時40分。薄暗くなった「二木の松」(芭蕉句碑「櫻より 松は二木を 三月越し)を撮影し宿泊地の仙台に向かった。