牛伏川(長野県松本市) ; 仏式階段流路と牛伏寺 |
2014.06.05(木)曇 |
心臓の大手術から1年経った兄が同級会で別所温泉に来た。写真を撮って歩きたいとの連絡を受け計画を立てた。以前から話が出ていた「牛伏川仏式階段流路」に決めたが梅雨入り、大雨との予報が出ていたが決行した。 | ||
9時過ぎにピックアップ、三才山トンネルを越え、浅間温泉経由で10時半に到着した。 途中、小雨が降ったが松本通過時点で陽が射した。兄は「晴れ男」曇りでも一日持って欲しい。 |
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タイムスケジュールは、10時ピックアップにしていたので時間的余裕は十分にあった。 牛伏寺断層で知られる場所、大雨が降ると土石流の災害が絶えない。そこで明治・大正時代の治水工事に「仏式階段工」が採用された。 |
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治山治水工事が今日の観光資源になった訳だ。 「仏式階段流路」の観光コースに指定された区間は大正5年~7年に施工された延長141m、床固19段を中心にした牛伏川の区間だ。 |
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雨も降ってこないし兄の体調も良いとのことで、「連岳橋」から第2号堰堤までの牛伏川左岸を往復することにした。新緑の渓流、連岳橋(駐車場)は海抜975m、ひんやりと肌寒かった。 | ||
牛伏川フランス式階段流路(階段工)は、近代土木遺産として国内2例目の国指定重要文化財に指定(平成24紋7月)されている。約100年前の大正7年(1918年)に完成したものだ。 | ||
「牛伏川階段工」(床固19段)の上段(下小画像)に「内務省1号堰堤」(右画像)がある。 適度な水量なので川床に降り流路を撮影した。天井の空を除くと3面が石積みになっている。 |
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流れる小石に削られ最上段の画像のように石積みの川床がとても綺麗になっている。流石に削られたのではなく施工時から石積みにRが付いている。 | ||
右岸山肌を流れ落ちる「悪沢」は「張石水路」になっている。 それだけでなく合流点に生える樹木の根回りも「張石」が施されるという徹底ぶりだ。 |
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「階段工」は、治山治水工事を超えた「土木芸術」の域に達している。滑らかに磨かれた川床を流れる水音、これこぞ「水(吹)奏楽」だ。 | ||
「内務省2号堰堤」の上に立つ、右手の沢に「内務省5号堰堤」が見える。 左手の沢奥まで砂防施設が続くがここで引き返す。 |
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左手の沢を登り詰め、さらに登山道を上ると鉢伏山(某蝶で有名)に到達する。牛伏川流域(特に階段工周辺)は治山治水の一貫として「林相転換」も進められている。紅葉の時期はさぞかし美しいであろう。 | ||
「仏式階段流路」の見学に1時間強、ほぼ予定通りだ。連岳橋駐車場から750m下った所に「真言宗智山派金峯山牛伏寺」(ごふくじ)がある。ここは、県下屈指の規模と文化財を有する修験道の古刹である。 | ||
参道入口に「牛堂」がある。その牛は本坊奥「仁王門」の石段前に横たわっている。 当初「普賢院」(ふげんいん)だったが「牛伏寺」(ごふくじ)と改名された由来になっている。 |
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それにしても、専用駐車場から参道入口まで離れている。立て続けに歩き回って兄には申し訳ないハードなプランだ。(この後、句碑めぐりもある・・・・) | ||
長い石段の参道を登ると「山門」がある。 山門を潜ると「本坊」の左側、正面は通路になっているので魚眼レンズでないと撮影出来ない。 |
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「本坊」の前を失礼して横切ると「惣門」と「如意輪堂」がある。その正面には噴水がある池と庭園、「本坊」を超える素晴らしい建物だ。 | ||
小画像は「本坊」を通り過ぎ、振り向いて撮影したものだ。 左画像の中央は「如意輪堂」、左手に見えるのは「惣門」(普段は閉門)である。 |
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牛伏寺断層は、近年では西暦762年(841年とも)に起きたM7.5-8.5の地震で6-9mの断層が発生している。その後に開山されている。震災ではなく、幾度となく火災に遭っている。 | ||
境内の奥は一段高くなっている。石段を上ると「仁王門」があり、右手に「観音堂」その奥に「奥殿」右並びに「弁天堂」がある。「観音堂」に対比する小高い場所に「聖徳太子殿」と「厄除の鐘」がある。 | ||
信州髄一の厄除観音で、「観音堂」(厄除観音)で毎日4回のご祈祷が行われている。 | ||
本尊の厄除十一面観世音菩薩は、聖徳太子が42歳のとき厄除けを誓願して等身大の仏像を彫刻したもの。 33年に一度開帳される秘仏、次回は2017年、もうじきです。 |
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写真に人が写っていないのは避けて撮影したのではなく、この時間帯に境内にいたのは私達兄弟の2人だけです。 | ||
「奥殿」右隣にある「弁天堂」(大画像)と「如意輪堂」前にある「惣門」の彫り物(小画像)。 | ||
「牛伏寺」を後にしたのは、予定通りの12時20分。出発が50分ど早かったので大分ゆっくりと見ることが出来ました。この後は、いつもの通りの「旅の未知草」です。行先の諏訪は「奥の細道」随行者「河合曾良」の生誕地ならびに菩提寺「正願寺」があるところです。 | ||