芭蕉句碑 「日光街道+真岡」未知草編
 2014.06.20 (金) 晴
 5月の仙台出張「旅の未知草」として計画していたが出発前日に顧問先の都合で出張そのものが無くなった。従って計画一ヶ月遅れの芭蕉句碑めぐりになった。
  【日蓮宗妙音寺】佐野市大町
   「例幣使街道」周辺の芭蕉句碑めぐりで計画したが時間的制約で2ヶ所を取り止めていた。
 今回は、その「妙音寺」と「佐野東高」を最初に持ってきた。
 2時に家を出て「妙音寺」に着いたのは4時20分、梅雨空での夜明けだがLED補助光を用いて撮影した。
 芭蕉句碑、①
「静さや 岩にしみ入る 蝉の聲」(しずかさや いわにしみいる せみのこえ)/(おくのほそ道)、奥の細道旅中(5/27)、立石寺で詠んだ句とされる。
【佐野東高】佐野市金屋下町  
 早朝(5時前)に女子高(旧)に立ち入り不審者と思われたら・・・・。
 校門は少し開けられていた。誰にというのでなく会釈をして句碑を撮影させて頂いた。
 
 
 芭蕉句碑、②「ほとゝきす なくや五尺の あやめ草」(ほととぎす なくやごしゃくの あやめぐさ)/(葛の松原)、元禄5年の作。「芭蕉のあやめ塚の句碑」、栃木県下の句碑としては最も古い部類に挙げられる。
  【藤岡神社】栃木市藤岡町藤岡
   境内には幾つもの碑があった。鎮守の森に朝日があたり幻想的。
 芭蕉句碑、③
「市人に いて是うらむ 雪の笠」(いちびとよ このかさうろう )。貞享元年、抱月亭での発句。
 
 
【曹洞宗繁桂寺】栃木市藤岡町藤岡  
 「藤岡神社」から東に1km強のところに「繁桂寺」がある。
 藤岡神社を後にしたのは5時半、少し早いが撮影を終えたところで妻が用意してくれた朝食を頂いた。
 
 
 繁桂寺山門前にある「弁天池伝説の地」に芭蕉句碑がある。芭蕉句碑、④「名月や 池をめくりて 夜もすから」(めいげつや いけをめぐりて よもすがら)(孤松)。
 
 藤岡町と野木町の間には、広大な「渡良瀬緑地(谷中湖)」がある。南側を回り込むルートは、「栃木→群馬→埼玉→茨城→栃木」と目まぐるしく県境を越える。
【野木神社】野木町野木  
 
 「野木神社」の境内に円形の植え込みがあり芭蕉句碑が陣取っている。⑤「一疋の はね馬もなし 河千鳥」(いっぴきの はねうまもなし かわちどり)。この句は芭蕉の発句として伝来されるも、決定しがたく「存疑」として扱われている。幾つか見て回ったが初めての出逢いだ。
  【真言宗法音寺】野木町友沼
   下調べの時点では特筆すべき事柄が見受けられなく場所の特定もままならなかった。
 実際に来てみると「ムㇺ-」て感じの立派なお寺さんだった。
 
 法音寺の北西側に思川(足尾山地地蔵岳を水源とする渡良瀬川支流)が流れており、寺と川の間に「法音寺城址」があるようだ。寺の隣にあるので「法音寺城」というが関係はなさそう。
 
 山門の中に二つの門があり左手の中門の左側に芭蕉句碑(説明版)がある。⑥「道ばたの むくげは馬に 喰われけり」(みちばたの むくげはうまに くわれけり)。「道のべの」「道なかの」という同句がある。貞享元年41歳。
【真言宗泉龍寺】小山市乙女    
 
 北関東三十六不動尊十三番札所御瀧山明王院泉龍寺、通称「乙女不動尊」は、真言宗豊山派のお寺さん。石柱右内側に「乙女不動尊」があります。道路を挟み、国指定史跡「乙女不動原瓦窯跡」がある。これは国指定史跡で奈良時代の日本三戒壇の一つ「下野薬師寺」で使った瓦の瓦窯跡である。
 石柱奥の鐘楼を潜ると札所があり本堂は左に曲がった奥にあります。
 句碑を探し本堂の裏手まで行ってしまった。庭におられた住職の奥さま(?)に尋ねると、私の後を指呼されました。
 
 
 「乙女不動尊」にある芭蕉句碑は⑦「川上と この川下や 月の友」(かわかみと このかわしもや つきのとも)。元禄6年の作。句碑表面の変色は拓本コレクターによるものと思われる。拓本マナー(化粧落とし)というものはないのだろうか、このように肌荒れした句碑を見るにつれ不快な思いをする。
  【間々田八幡宮】小山市間々田
   「奥の細道」道中、初日は「春日部」泊、次は「間々田」泊。
 宿泊地「間々田八幡宮」とは、どんな所と期待を持って向かう。
 
 大鳥居社務所近くの駐車場でなく、ナビが案内する境内中央を抜け間々田中学校前近くに駐車し本殿右手から入らせて頂いた。よって、本殿から大鳥居へと逆順路になった。言い訳になるかも知れないが、ナビに案内させると正面より脇が多い。
 本殿から正面の石段を下ると左手に「厳島神社」がある。
 神社奥の太鼓橋を渡ると杉の根元に芭蕉句碑があった。
 
 
 芭蕉句碑は、⑧「古池や 蛙飛こむ 水の音」(ふるいけや かわずとびこむ みずのおと)、「奥の細道」道中で二日目の旅籠での発句はなかったのか・・・・天気も悪く疲れも酷かった(魚の目が痛むのかな/千住の発句より想像)のだろうか。
  【出世稲荷神社】真岡市荒町
   町内会の絆を強めるお稲荷さんという感じ、グーグル・ストリートビューからも伝わってくる。
 ネットで検索すると町のお祭りが盛大に行われているようだ。
 
 鳥居の左手に芭蕉句碑、⑨「鞍つほに 小坊主乗るや 大根ひき」(くらつぼに こぼうずのるや だいこひき)がある。芭蕉秀句の一つ、元禄6年50歳の句。亡くなる1年前の句である。
【大前神社】真岡市東郷  
 大前神社(おおさきじんじゃ)本殿前に、ド派手な「大前恵比寿神社」がある。
 平成元年完成の若宮社、日本一のえびす様だという。
 
 
 大前神社の「大国様」と大前恵比寿神社の「恵比寿様」、「二福神」と言うらしい。到着は8時50分、予定より1時間40分も早い。巫女(みこ)さんたちが掃除をしていた。手を止め大きな声で「おはようございます」と挨拶をしてくれた。
 句碑が何処にあるか探し回った。本殿を背に右手にこんもりとした植え込みがあった。
 石碑らしいものがあったので近寄ると芭蕉句碑であった。
 
 芭蕉句碑は、⑩「一聲は 江に横たふや ほとゝきす」(ひとこえの えによことうや ほととぎす)、元禄6年の句(芭蕉書簡)。句碑は明治3年建立で立派なものだった。時間は十分あったが「大前恵比寿神社」には寄らず次の「宝蔵寺」(宇都宮)に向かった。
【天台宗宝蔵寺】宇都宮市大通り  
 北関東三十六不動尊霊場、大通りに面した鐘楼門を入り中庭に車を止めさせて頂いた。
 右手に梵鐘(およりの鐘)があり隣に芭蕉句碑があった。
 
 
 声を掛けたが聞こえないらしく返答がなかったので一礼して句碑を撮影した。芭蕉句碑は、⑪「面白し 雪にやならん 冬の雨」(おもしろし ゆきにやならん ふゆのあめ)、貞享4年の作。
  【浄土宗慈光寺】宇都宮市塙田
   「赤門の桜」(彼岸桜)で知られる桜の名所、2008年に修復完成したもの。
 本堂周辺は工事中、工事の人に句碑の場所(池)を教えて頂いた。
 
 赤門の右手の小路があり駐車場の入口がある。駐車場は広く、赤門から本堂に続く石段があります。石段上部に大きな古木が張り出していた。桜の名所の御神木としての風格が感じられた。桜咲く頃に訪れるのも良いだろう。本堂は赤門と比べると規模は小さい。
 
 芭蕉句碑は本堂裏の庭園、池の畔にあった。⑫「しばらくは 花の上なる 月夜かな」(しばらくは はなのうえなる つきよかな)/(初蝉)貞享5年の作。
 
  【剣神社】矢板市長井
   句碑巡りの最後は仙台出張で毎回通っている日光北街道(黒羽街道)沿いの「剣神社」だ。
 地図には明確に記載されているがナビ設定に苦慮、でも心配はしていない。
 
 大凡の場所は分かっていたつもり・・・・しかし県道30号を行き来してしまった。現着11時38分、「これじゃグ-グルナビが拒絶するはず」。水田地帯を抜ける農道の脇を流れる「せんげ」(信州の方言/用水路とか小川の意)の内側、水田の畔に出来た「瘤」のような盛土の上に「芭蕉句碑」があった。
 芭蕉句碑、⑬「そのまゝに 月も頼まし 伊吹山」(そのままよ つきもたのまじ いぶきやま)。元禄2年の秋、奥の環曾道の旅を終えて大垣の門人を訪ねた折に詠んだ句。私の句碑めぐりの「旅の未知草」はまだ続く予定なのに此の句を前に複雑な気持ちになった。ここで妻が用意してくれた稲荷ずしでお昼にした。
 今回を含め句碑めぐりの未知草は「10紀行」、句碑の数は「113碑」と100を大きく超えた。今後も計画するので「200句碑」になったところで「旅の未知草写真集」(電子書籍)としてまとめてみようと思う。
  Midi 迷い道