芭蕉句碑 高崎市内を中心に
 2014.11.14(金) 快晴
 顧問先の郡山営業所が10月に開設された。営業部員全員へのお披露目を兼ね営業会議・役員会議を郡山営業所で開催することになった。そこで「旅の未知草」は「糸魚川市から日本海沿岸を新潟市まで北上し、国道49号で郡山市」入りするコースを計画していた。
 出発の前々日の天気予報(大荒れ)で急遽計画変更、「高崎市内」と「宇都宮・白河・須賀川のワンポイント」ツアーに組み替えた。結果は「大当たり」・・・・通過する会津猪苗代は「積雪11cm」、ノーマルタイヤなので「どうなっていたか」と考えるとゾッとした。
 特筆しないが、句碑画像にマウスポインタを当ててみて頂きたい。リンクが確認出来たらクリックされると句碑の大画像(600×800もしくは800×600)を見ることが出来ます。(ご覧頂くに留め、著作権が小生にあることをご留意ください)
  
 - 群馬県高崎市 -
  【上野国一社八幡宮】高崎市八幡町
 現着6時でスタートすべく家を4時半に出た。設定済みのナビが全て消滅、日の出を待つ間に再設定する。
 6:15より撮影開始。早朝散歩のご婦人に声を掛けられ芭蕉談義に花が咲く。第1ポイントから大幅遅れ。
 
 句碑①「物いへは 唇寒し 秋の風」(ものいえば くちびるさむし あきのかぜ)/(芭蕉庵小文庫)、元禄年間の作(制作年次不明)。この句は「延命寺」(山形市)で出会っている。
 ところで、そのご婦人だが「芭蕉の句」がすらすらと幾つも飛び出てくる。曾良も好きだとか・・・・意気投合、何かの折にお話が出来れば幸いだが・・・・住む場所が離れ過ぎている。句碑めぐりも今回で14回目、述べ175~192の句碑(曾良含む)になる。ご婦人に勝てないまでも、じっくりと読み直し覚えておかなきゃ・・・・。
 
【瀧の宮神社】高崎市菅谷町  
 仙台出張で安中から前橋に抜ける県道10号、モスバーガー店の横にあるのでナビ設定は不要だ。
 方向は順光だが、句碑には朝日が当たらず逆光。LEDライトを持参しているので「碑文」を撮影した。
 
 句碑②「名月や 池をめくりて 夜もすから」(めいげつや いけをめぐりて よもすがら)/(あつめ句)、貞享3年8月十五夜、芭蕉庵にて月見の会を催し隅田川に舟を浮かべ句会を楽しんだときの作。この句は「大光寺」(柴田町)と「繁桂寺」(藤岡町)で出会っている。
  
  【妙見寺】高崎市引間町
 合併により榛名山も高崎市になっている。高崎市北部にも句碑は幾つもある。
 今回は時間的制約から、「妙見寺」を最北端部にして市内中心部に絞り込んだ。
 
 句碑③「春もやゝ けしきとゝのふ 月と梅」(はるもやや けしきととのう つきとうめ)/(真蹟自画賛・続猿蓑)、元禄6年春、自画讃を含む画讃の句。朝日が照らすも木陰で写真としては不満足だが「碑文」も撮影したので掲載する。「瀧澤神社」(仙台市)で出会っている。
【薬師堂轟家墓地】高崎市日高町  
 
 句碑④「凉しさや すくに野松の 枝の形」(すずしさや すぐにのまつの えだのなり)/(蕉翁全伝)、元禄7年5月11日、伊賀上野の雪芝亭での作。この句は初見になる。
  【もてなし広場】高崎市高松町
 国道7号(羽州浜街道)を北上し、山形と秋田の県境を超えた時、左手に「奥の細道三崎峠」なる標柱を見掛け急停止した。
 地図で調べると「三崎峠」は、当地より800mほど山側だが・・・・。
 
 句碑⑤「初時雨 猿も小蓑を ほしくなり」(はつしぐれ さるもこみのを ほしげなり)/(猿蓑)、元禄2年9月下旬(「奥の細道」の旅を終えての直後)の作。この句も初見になる。六感に染み渡る素晴らしい句だ。
【清水寺】高崎市石原町  
 高崎観音(白衣大観音)は「慈眼寺」、芭蕉句碑があるのは「清水寺」(せいすいじ)の本堂前を通過した先と、500数段の石段を下った所の2ヶ所。
 
 句碑⑥「観音の 甍みやりつ 花の雲」(かんのんの いらかみやりつ はなのくも)/(末若葉)、貞享3年、深川の草庵、病床から浅草の観音様を眺めての作。「藤木観音堂」(富岡市)で出会っている。
 此の句碑の石を見て思った。我が家の庭にある石に「二つ折りの恋文」を描いてみようと・・・・。
  【清水寺】高崎市石原町
 石段下は車で行こうかと思ったが運動がてら石段を下り、登りは一段飛び。
 滞在予定は20分だったが33分かかった。石段の参道は長かった。
 
 句碑⑦「草いろいろ 各々花の 手からかな」(くさいろいろ おのおのはなの てがらかな)/(笈日記)、貞享5年8月、「更級紀行」への出発に際し美濃の門人たちに発した留別吟。句碑の右後ろの「説明板」もご覧ください。この句も初見になる。
 「更級紀行」は「奥の細道」の半年ほど前でもあり、「奥の細道」への旅立ちの決め手も探れるであろう。地元でもあり、そのうちに「更級紀行」めぐりを計画してみよう。
【小祝神社】高崎市石原町  
 句碑撮影には地面に座り込まなければならないほど低位置かつ小さなものであった。
 隣の保育園児たちでにぎわっていた。神社前の小路はとても狭く
 
 句碑⑧「しはらくは 花の上なる 月夜かな」(しばらくは はなのうえなる つきよかな)/(初蝉)、元禄4年春の作。建立は新しいが「水月園」(下諏訪町)で出会っている。
  【館公民館】高崎市寺尾町
 よくもまあ「こんな場所」にある句碑を捜して来たものだ・・・・そんな所にある句碑だった。
 「奥の細道」旅中での作ゆえに尋ねる気持ちになった。
 
 句碑⑨「這出よ かひ屋か下の 蟇の聲(はいいでよ かいやがしたの ひきのこえ)/(おくのほそ道)、「奥の細道」旅中、尾花沢にて清風を訪ねた際の作。「みちのく風土記の里」(尾花沢市)の文学碑で出会っている。単独句碑としては尾花沢では見掛けていないので場所は異なるものの嬉しい出会いだ。
【定家神社】高崎市下佐野町  
 大まかな設定で近くまで来たもののナビに見放され困惑した。
 ヤマト運輸の集配センターがあったので場所を尋ねる。「あそこに看板が・・・・」と、またやってしまったと苦笑い。
 
 句碑⑩「松杉を 譽てや風の 薫る音」(まつすぎを ほめてやかぜの かおるおと)/(杉風真蹟書簡)、元禄7年夏、京都嵯峨の落柿舎滞在中の作とされる。芭蕉はこの年の秋に死去。判読困難ですが「碑文」拡大写真をご覧ください。「関東五社稲荷神社」(佐野市)で出会っている。
 句碑の撮影は「光線の方向と周囲とのコントラスト」に苦戦する。
  【火雷若獅子神社】高崎市東中里町
 
 句碑⑪「稲妻に さとらぬ人の 尊さよ」(いなずまに さとらぬひとの たっとさよ)/(己が光)、元禄3年秋の作。句碑建立は明治時代というが新しく感じた。この句も初見になる。
【八坂神社】高崎市新町  
 ここもナビ設定が出来なかったが「火雷若獅子神社」からの距離を誤り迷った挙句に「自衛隊前」信号に設定し無事到着。
 下の小画像クリックで「八坂神社・柳の茶屋」の説明板が拡大表示。
 
 句碑⑫「傘に おしわけみたる やなぎかな」(からかさに おしわけみたる やなぎかな)/(炭俵)、元禄7年、濁子・野坡らとの句会での作。芭蕉はこの年の秋に死去。この句も初見になる。
  【新町弁財天公園】高崎市新町
 ここは「新町弁財天公園」で、イベントも行われるようだ。
 専用駐車場がありトイレも整備されていたので助かった。
 
 句碑⑬「むすふより 早歯にひひく 泉かな」(むすぶより はやはにひびく いずみかな)/(新撰都曲)、「奥の細道」旅中、那須湯本での作という説もあるが不確定。そうは言うものの一見の価値あり、今回の目玉の一つ。この句も初見になる。
【慈願寺】高崎市下滝町  
 「木のもとは・・・・」とは「桜の木の下で花見を・・・・」という句だが、句碑表が藪に面しているので撮影に苦慮した。
 何とか「碑文」を撮りたいと四苦八苦した。
 
 句碑⑭「木のもとは 汁もなますも さくらかな」(きのもとに しるもなますも さくらかな)/(ひさご)、元禄3年3月2日、伊賀上野風麦亭での花見の歌仙の発句。この句も初見になる。
 高崎市内の句碑は此処まで、予定は12:40分だが約30分の余裕が出来た。これより「前橋南ICから鹿沼IC」まで高速で時間をさらに短縮させる。句碑めぐりにナビは(突き放すも)強い味方であることには変わりない。
 - 栃木県 -
  【城山西小学校】宇都宮市古賀志町
 「山形路」の句碑めぐりは2回、「月山・湯殿山」は時間的制約で組み込み難かった。
 句碑の所在が「小学校」と珍しいうえ「湯殿山」ときたら、これだけでも計画する価値がある。
 
 句碑⑮「語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな」(かたられぬ ゆどのにぬらす たもとかな)/(おくのほそ道)、「奥の細道」旅中、月山湯殿山に詣でての作。小画像クリックで「句碑説明板」がご覧いただけます。
【城山西小学校】宇都宮市古賀志町  
 電話番号でナビ設定した。その電話番号に携帯から「入校許可」を取り校庭と校舎前の句碑を撮影した。
 第5回の芭蕉句碑;「例幣使街道」周辺紀行時は鹿沼で日没、立ち寄ることが出来なかった。
 
 句碑⑯「湯殿山 銭ふむ道の 泪かな」(ゆどのさん ぜにふむみちの なみだかな)(曾良)/(おくのほそ道)、「奥の細道」旅中、月山湯殿山に詣でての作。2つの句碑ともに初見である。
 - 福島県 -
  【聯芳寺】白河市向寺
 国道4号「女石」の信号近く、数えきれないほど通っているが全て夜間の時間帯、ようやく立ち寄ることが出来た。
 
 句碑⑰「関守の 宿を水鶏に とはふもの」(せきもりの やどをくいなに とおうもの)/(何云宛真蹟書簡)、「奥の細道」旅中、須賀川での作。句碑の「説明板」、この句碑と次の句碑は当初計画に入っていた。
【神炊館神社】須賀川市諏訪町  
 帰路に立ち寄る予定だったが、明日の天気は当てにならないので何とか明るいうちにと時間短縮をした。
 16:00とやや露出不足だったが撮影を終えることが出来た。
 
 句碑⑱「うら見せて 涼しき瀧の 心哉」(うらみせて すずしきたきの こころなり)、「奥の細道」旅中、日光裏見の滝での作。文学碑の「碑文」と「説明板」はここをクリック。
 今回の走行距離は、「往路388km-帰路316km」したがって未知草距離は「72km」ということになります。最初のポイントに到着したのが5:56分、最終ポイントを後にしたのが15:56分。翌日の帰路に回そうかと思った「神炊館神社」を繰上げても予定の16:00分に4分早かった。
 前回の往路770kmに比べれば短距離、それも前橋南から白河まで高速を使ったので中味も凝縮出来たうえ、天気も快晴と充実した未知草になった。
 来月から3ヶ月は公共交通機関を使うので旅の未知草も限られてくる。それでも12月には、往路で「深川と千住」、会議後に「松島」を予定している。延期になった「糸魚川市から新潟市」は来年の雪融けを待っての紀行になる。夏には「北陸路から大垣まで」を回ってみたい。