忘れ物探し 「おくのほそ道の風景地」を訪ね
 2015.04.17(金) 晴-曇り-小雨-晴(春特有の変り陽気)
 今回の「旅の未知草」は、どちらかと言えば「句碑」より「歌枕」(奥の細道ゆかりの地)だ。数日前から天気予報の行方を注視、12時までは「曇り」それ以降は「雨」・・・・福島までは何とか持つが宮城は雨だ。雨傘持参で覚悟の決行・・・・果たしてどうなるか?
  【崇禅寺】群馬県桐生市
 今日の日の出時刻は4時59分、逆算し家を2時50分に出る。現着は時間読みに自信があり5時00分だ。
 行程表では5時20分着なので、まずは朝食を済ませることにした。
 
 今回の句碑は、芭蕉の「病中吟/絶筆句」とされるもの。
 句碑①
「旅に病で 夢は枯野を かけ廻る」(たびにやんで ゆめはかれのを かけめぐる)。昭和63年建立と新しい。
 
 ここ崇禅寺にはもう一つの句碑がある。「旅に病で・・・・」の句碑がある石段の登り口左側にある。
 句碑②
「春の夜は 桜に明て しまひけり」(はるのよは さくらにあけて しまいけり)。(作句年代不明)

 崇禅寺は臨済宗のお寺さんで「天量庵」という名で懐石料理を頂くことが出来る。勿論、事前予約は必要だが、ホームページでいろいろ紹介されているが句碑のことには一切触れられていない。
 通過してきた(みどり市)大間々に戻り「いつもの仙台路」(国道122号/東国文化歴史街道)で「日足トンネル」越えで栃木県に入り「日光田母沢御用邸記念公園」の脇を大谷川に向け狭い道を下る。
【慈雲寺/憾満ヶ淵】栃木県日光市  
 史跡・名勝・天然記念物の指定に「おくのほそ道風景地」(松尾芭蕉が「おくのほそ道」に記した一群の名所・由緒・来歴の地から成る一体の風致景観)として平成25-26年に11県24件が新たに登録された。
 
 「慈雲寺」境内にある「憾満ヶ淵」は、男体山の溶岩を大谷川が造りだした景勝地である。従来の「史跡・名勝・天然記念物」と比べ「賛否両論」があるようだ。いずれにせよ「地方創生」に一役かっていることは事実。
   「憾満ヶ淵」(かんまんがふち)に沿って2ヶ所に「並び地蔵」(化け地蔵)という仏陀群がある。
 2ヶ所の石像を見比べると表情に違いが感じられる。
 
 芭蕉と曾良は、「裏見の滝」を見物した後、ちょうど昼時に「憾満ヶ淵」を見物している。大谷川(だいやがわ)の上流には「華厳の滝」「中禅寺湖」がある。
【八坂神社】栃木県那須塩原市  
 芭蕉と曾良は、千住を発ち「日光道中」「例幣使街道」を抜け「奥州道中」の「宇都宮-白沢-氏家-喜連川-佐久山-大田原-鍋掛-越掘-芦野-白坂-白河」を辿ったであろう。
 
 句碑③「野を横に 馬牽むけよ ほとゝぎす」(のをよこに うまひきむけよ ほととぎす)、「奥の細道」旅中、那須野辺りで詠んだのだろうか(未特定)・・・・「黒羽」から「芦野」の間、私的にはこの辺りが地理的に良さそうなので「常念寺」の句碑に代えようかと思う。
 「八坂神社」を後にし、東北自動車道の白河ICから本宮ICまでショートカットし「奥州安達ヶ原黒塚」に着く。
  【安達ヶ原黒塚】福島県二本松市
 
 ここ「観世寺」には芭蕉の句碑はなく、正岡子規の「涼しさや 聞けば昔は 鬼の家」(すずしさや きけばむかしは おにのいえ)(右上)句碑があった。見慣れた「蕉風」とは違う。
 
 
 「黒塚の岩屋」を二回りし「五重塔」(平成5年の築)を入れて撮影した。大画像の右側の石の向こう側に「芭蕉休み石」がある。小画像上の通路にある枠内は「夜泣き石」、下は「鬼婆石像」である。
 
 「観世寺」から阿武隈川河川敷へ、そこには「奥州安達ヶ原黒塚」がある。「平兼盛」が詠んだ「みちのくの 安達ヶ原の黒塚に 鬼こもれりと 聞くはまことか」・・・・「おくのほそ道風景地」として登録されている。「黒塚」は「鬼婆(岩手)」を葬った塚(墓)
 後で散歩中の方から、スカイツリーに合せ634本(平成25年11月)になるよう植え増したようだ。なお、遊歩道は昭和60年から「埼玉シンボルロード整備計画」で造られた。
 二本松の観光スポット「安達ヶ原公園」として建てられた「五重塔」(平成5年)も満開の桜をコンボさせると結構絵になるものだ。
  【文知摺観音堂】福島県福島市
 
 前回「文知摺観音堂」を訪れた際は「除染作業中」で立入禁止だった。そこで、今回の「旅の未知草」で撮影のやり直しをすることにした。
 
 望遠ズームでなく接写に近い撮影だと品質が高まる。句碑④「早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺」(さなえとる てもとやむかし しのぶすり)、「奥の細道」旅中「福島」での「陸奥の田植風景」を詠んだ句。
 ここ「長谷寺」にも「病中吟」なる「旅に病で・・・・」がある。現物を撮影してみないと分からない。そこに「期待」がありワクワクする。
  【長谷寺】福島県伊達市
 ここ「長谷寺」は、芭蕉の句碑より貴重なものがある。①保原陣屋にあった「門」を移築し山門にした。
 もう一つは「梅竹画碑」(熊坂適山・蘭斎合作画碑)だろうか。
 
 金剛山長谷寺は新義真言宗豊山派に属し、昔時より「中本寺常法談林所」と称し、学問修養の道場とされ伊達西根、東根66郷、小手の庄21郷の惣本寺としての寺格を持ち真言宗の本郡本寺という由緒あるお寺さんです。
 
 句碑⑤「旅に病で 夢は枯野を かけ廻る」(たびにやんで ゆめはかれのを かけめぐる)、「碑撮り旅奥の細道旅日記」の結び句にするつもりだ。
  【東光寺】宮城県仙台市
 この時期になると高森山の稜線が桜色に染まる「県民の森」の南側にある「東光寺」・・・・宮城に居た頃、何度となく前の道(奥の細道)が「それ」と知らずに通り過ぎていた。
 
 天気予報通り「宮城に入ると雨」が降りだした。意味があるか悩みながらも「賭け」に出て白石ICから仙台南IC経由長町ICまで高速を使い予定より1時間30分早く「東光寺」に着いた。
 長光寺には芭蕉句碑は無いが「どうしても寄りたい」理由があった。実は「おくのほそ道」という名前は「寺前の細道」からとられたのだ。「記念碑の背面」「碑文の拡大
 
 碑文抜粋「かの画図にまかせてたどり行けば、奥の細道の山際に 十符の菅有・・・・」。「かの画図」とは、仙台で世話になった「画工加右衛門」が描き渡してくれた絵地図であろう。
  【壺碑】宮城県多賀城市
 
 「壺碑」(つぼのいしぶみ)は、「那須国造碑」(栃木県)・「多胡碑」(群馬県)とともに「日本三古碑」とされる奈良時代の古碑。多賀城の創建や修造について刻まれている。歌枕「壺碑」として知られている。
 
 句碑⑥「阿や免草 足に結ばん 草鞋の緒」(あやめぐさ あしにむすばん わらじのお)、「奥の細道」旅中、「仙台」での作。肌寒いも雨が上がったので予定したコースを優先すべく「多賀城跡」は眺めるに留めた。
  【野田の玉川歌碑】宮城県塩釜市
 
 「野田の玉川」「末の松山」「興井」(いずれも「おくのほそ道の風景地」に登録)については、2月出張時に撮影している。顧問先に入る前の早朝での行動だったので時間的制約もあり「歌碑」は撮影していなかった。歌碑「夕されば 潮風こして陸奥の 野田の玉川 千鳥鳴くなり」(能因法師/新古今和歌集)。
【愛宕神社】宮城県塩釜市  
 
 塩釜市の住宅密度は半端ではない。すれ違いもままならない迷路の細道をぐるぐると走り、やっとのことで辿り着いた。ここには「煙波亭跡」があり「芭蕉翁晩鐘の碑」がある。碑文の最右行に「塩竈の浦に入相の鐘を聞」(この部分の拡大)というもの。
  【雛が島】宮城県塩釜市
 「雛が島」(まがきがしま)は、「おくのほそ道の風景地」に登録されています。
 年に一度だけ島に渡ることが出来ます。通常は赤い鉄橋に施錠がされています。
 
 芭蕉・曾良は塩釜に夕刻到着(私の方が数時間早いが気持ち的には同刻か)。「五月雨の空いささか晴れて、夕月夜幽かに、雛が島もほとせ近し」と記している。また、「わが背子を 都にやりて 塩竈の まがきの島の まもほど近し」(詠み人知らず)等、歌枕としても知られている。
 一夜明け翌18日(土)晴。早朝6時前にチェックアウト、顧問先に向かう途中で「榴岡天満宮」に立ち寄る。
【榴岡天満宮】宮城県仙台市  
 仙台市では「木の下及び薬師堂」と「つゝじが岡及び天神の御社」が「おくのほそ道の風景地」に登録されている。
 前者は月の「旅の未知草」で撮影している。
 
 ふるくから「歌枕」に読まれた名所で、芭蕉は「玉田・横野・躑躅が岡(つつじがおか)はあせび咲くころなり。・・・・薬師堂・天神の御社など拝みて、その日は暮れぬ。」と記している。
 
 句碑⑦「花咲て 七日鶴見る 麓かな」(はなさきて なのかつるみる ふもとかな)、貞享3年、尾花沢の鈴木清風の江戸屋敷で開かれた歌仙での発句。「句碑刻字」は読み取れるかな。
 
 句碑⑧「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」(あかあかと ひはつれなくも あきのかぜ)、「奥の細道」旅中、「金沢」での作。