被災地 (宮城県) 4年後の仙南沿岸部
2015.04.17 (金) 夕晴
 今回の「旅の未知草」、「忘れ物探し;「“おくのほそ道の風景地”を訪ね」は心配だったお天気も何とか苦にならない程度でおさまり楽しく過ごせました。最後の訪問地「雛が島」(宮城県塩釜市)を後にしたのは17時半(予定18時)であった。
 家への土産、折角なので美味しい海の幸も食べたい。そんな欲望を叶えてくれるであろうと「マリンゲート塩釜」に寄った。金華さば缶・鯨缶・地酒を購入、16時の夕食は問題あり(本食を欲するのは必至)・・・・。
   
マリンゲート塩釜   松島クルーズ「あすか」の入港   早や夕飯の「醍醐味丼」
 通り道なので「仙台港」に寄ってみた。苫小牧行フェリー「きたかみ」が停泊していた。北海道旅行(2002年6-7月)を思い出した。往路「いしかり」-復路「きたかみ」の船旅だった。「仙台港中央公園」から。
   
仙台港フェリー乗り場   仙台港中央公園からの仙台港の眺め
 七北田川左岸(仙台市宮城野区蒲生)の津波被災地に行って見た。殆ど取り壊されているが、未だに被災時のままの姿を残す建物も点在していた。
   
仙台市立中野小学校跡地   無残に残る住宅基礎部を葦が覆う   被災の痛ましさを残す住宅
 県道10号亘理・塩釜線(仙台市若林区荒浜)の海岸寄り、近い所で県道から500m程の所に「貞山堀」がある。海岸線までは900m程、ここにあった新興住宅地は消滅してしまった。
   
仙台市立荒浜小学校   非住居区域になっている
 県道10号亘理・塩釜線(仙台市若林区荒浜)の内陸寄り、ここは仙台平野の水田地帯になっている。土壌入替と区画整理は大分進んでいるが広大故まだまだ進行中だ。
   
仙台平野の水田地帯
 閖上港周辺(名取市閖上)はもとより閖上地区は・・・・難しい問題だと思うが「復興」を感じ取ることは困難な状態であった。
   
非住居区域になっている
 あれから4年、1秒として時の流れは止まっていない。被災地から遠く離れた地で生活を送っている者の記憶は着実に薄まっている。
 ここ被災地に立ち辺りを見回してみたら・・・・時を刻む音は聞こえても復興が進む足音は聞こえてこない。3月の写真展で「記録をお持ちであれば被災地の写真展を開いてください」とのリクエストがあった。
 今回の「旅の未知草」走行距離は「73km=953-880km」であった。