秋の行楽 (長野県) 火のアート&和田宿
2015.10.10 (土) 晴/曇
 完全週休2日制なのか、TV等では平気で「3連休」と言っている。これは「明らかに」間違えである。そういう小生は「年休305日制」の青色申告事業者である。
 散歩を兼ね里の簡易郵便局まで封書の投函に行ってきた。
 伐採で空間が開け谷奥まで見通せるようになった。その斜面を谷底まで降りてみた。
 
市内「芸術村」で行われている「火のアートフェスティバル」会場
 
「芸術村」にある「登り窯」から立ち昇る黒煙
 
 「TG-4の深度合成」で撮影していると、妻が「何、撮ってんの~?」と覗き込む。風景撮影にも使える機能だ。
 白樺湖の紅葉には時期が少し早いだろう。何処へ行こうか・・・・思案の結果「和田宿」(中山道67宿中28番目)にしようということになった。そして、道の駅「和田宿ステーション」で「山のきのこ」を買い求め今夜は「きのこ汁」を食べたい。
 皇女「和宮」降嫁の宿泊地として幕府の拝借金を得て宿場の復興、その中心建物として再建された御本陣、後に和田村役場として使われた。役場移転に伴い解体、昭和61年より5年の歳月をもって往時の姿に復元された。
 
国史跡 和田宿 「本陣」
 裏話・・・・文久元年(1861年)11月に中山道を通る皇女和宮の降嫁ご一行(総勢1万人以上)が和田宿本陣に泊まることになった。この歳の3月に宿場の殆どが大火で焼失、宿泊地の指定返上を申し出るも認められず。幕府拝借金で再建。
 
和田宿 「本陣」 幾つもある和室
 「ふる里和田宿宿場まつり」は旧盆に行われ、神輿や時代行列などで賑わう。一度、見に来たことがある。「本陣」「脇本陣」以外を見るのは初めて、「黒曜石石器資料館」も見学したが掲載は割愛する。
 江戸時代後期、本陣1軒、脇本陣2軒、問屋2軒、木問屋1軒、旅籠屋28軒と茶屋44軒、宿内家数180軒余り。旅籠「大黒屋」は大火の後で建てられた6×7間の出桁造りの大型建造物。
 
和田宿 旅籠「大黒屋」
 旅籠「かわちや」は規模が大きく出桁造り出格子のついた代表的宿場建造物。「歴史の道資料館」になっている。
 
和田宿 旅籠「かわちや」
 脇本陣は本陣に次ぐ格式、和田宿には「翠川氏」と「羽田氏」の2軒があった。現存は「みどりかわ」のみになっている。
 
和田宿「上の問屋跡」 和田宿「脇本陣“みどり川”」
 
和田宿 旅籠「羽田野」(農家レストラン“かあちゃん家”)
 和田宿の旅籠「羽田野」は、現在「農家レストラン“かあちゃん家”」(蕎麦屋徳田)になっている。空腹も度が過ぎ、やや低血糖症状が・・・・ここでお蕎麦を頂いた。道の駅「和田宿ステーション」では「山きのこ」は売っていなかった。帰路のスーパーで買い、「きのこ」「ピーマン」「えび」の天ぷら、「きのこ汁」を、宮城の酒「浦霞」の肴にして飲んだ。