史跡探訪 (長野県) 史跡・景勝・天然記念物めぐり
2015.11.29 (日) 曇
 同級会(中学)の幹事会(反省会)を武石(上田市)の「うつくしの湯」で行った。通常は別所温泉(上田市)の「あいそめの湯」だが、幹事長の提案(都合)でのことだ。武石は美ヶ原高原からの帰路で通過しただけ、地元には違いないが特段行くことのない場所だ。折角なので「史跡・名勝・天然記念物めぐり」をすることにした。
 史跡(其の壱)は「日吉神社」、ここは数年前の写真展のために撮影に行ったことがある。
 兄のテーマ「屋根付橋」(オハイオ)・・・・日本にもあるし長野県は多い方なので地元の屋根付橋を幾つか撮影した。
 
 
 史跡(其の弐)は「妙見寺の鳴龍」だ。これは「日本四方鳴龍」の一つ・・・・珍しいものだ。説明板
 ミーティングの前に立ち寄ったのが功をなした。「本日は法要のため見学はできません」という張り紙が山門に張り出されていた。
 
 「残念だなぁ」と境内で立ち尽くしていたら、奥さんが現れ「時間があるので・・・・どうぞ」とおっしゃってくださった。芭蕉の句碑めぐりで多くの寺社に拝観している“ご利益”かと合掌。
 説明板の写しだが・・・・「妙見寺の鳴龍」は、応仁年間(1467-1468)小沢根地籍(武石だが沢筋違い)より移転改築の際、本堂外陣(本尊のある場所を“内陣”といい、その外側の部分)の大天井に組み込まれたもので畳十畳分の大きさがあるという。
 龍は、狩野派の画家「秀山信尹」の筆により、上下二頭が画かれ、その龍頭の下で手を打つと見事な鳴龍を聞くことができる。(ご住職が法要の準備中で気が引けたので未確認)
 日本の東西南北四か所にあった鳴龍を「日本四方鳴龍」と称し、東は日光山(東照宮輪王寺本地堂)、西は京都相国寺(金閣寺、銀閣寺があるお寺)・・・・ここまで聞くと妙見寺はスゴイお寺さんだ。そして北は青森竜泉寺(焼失)で南は信州妙見寺。
 鳴龍の四方には、中国の唐の時代から伝わっている「孝行の手かがみ」二十四孝(中国において後世の範として孝行が特に優れた人物24人を取り上げた書物/代表的な登場人物も明らかになっている)が繊細なタッチで画かれている。・・・・事前に分かっていれば全て撮影したのに(泣き)
 
妙見寺本堂の欄間彫刻
 この後「うつくしの湯」へ、約束時刻の午前11時には20分強の余裕があったので入浴した。思いの外“いい湯”で大満足。反省会を終え銘々食事をオーダー、これまた予想外“見栄えも味もよし”で再来の価値あり。こんど「信州物味湯産手形」を買い利用してみよう。
 景勝は「お仙が淵」(巣栗渓谷)、紅葉シーズンも終え「武石観光センター」は閉店、駐車場に車を止め徒歩で
巣栗渓谷へ・・・・遊歩道には薄っすらと雪が積もっていた。渓谷の地質は調べても分からないが「柱状節理」っぽい岩肌だった。来年の蝶シーズン(ゼフ)に来てみる価値あり。
 最後は天然記念物の「武石」、地名は「たけし」、こちらは「ぶせき」と読みます。
 凝灰岩中に散在する黄鉄鉱(酸化鉄)の結晶が雨水で酸化分解し「褐鉄鉱」(水酸化鉄)になったもの。
 
 希に全く変質しない金武石と呼ばれるものもあるが、晶形の多くは6面体、五角12面体で、中には両者合体のものもあり大きさは1~30mm。なかなか見つけられない。見付けても天然記念物なので持ち帰れません。
 30分足らずの所なので「暖かくなったら」再来してみよう。ご近所でも探せば良い所が幾つもあるものだ。