下町文学散歩 東京下町の芭蕉句碑めぐり
 2015.12.18(金) 快晴
 冬期仙台出張(12月~2月)はマイカーでなく東京経由だ。今回は「東京下町の芭蕉句碑めぐり」だ。JRバス関東(小諸-新宿線)、佐久平(6:50)~新宿東口(9:37)、毎度のことで30分は平気で遅れる。100%の遅延なので時刻表に盛り込むべきだが、今回は33分遅れ、東京フリー切符の券売機を探したり所要で山手線目白駅に着いたのは10時43分(遅延を詠み込んでの予定は10:30)になった。
【富士見茶屋跡】(学習院大学)豊島区目白
 目白駅の改札から30秒という西門から入った。史跡散策コースの見学(血洗いの池→富士見茶屋跡(芭蕉句碑)→乃木館→北別館)を済ませ正門から出た。そこで「旅程表」「散策のしおり」を落としたことに気づき、正門から西門へと探し回る失態を犯した。旅程表は乃木館前、散策のしおりは西門近くで回収、最初から47分もの大幅ロス、日没時刻との関係で何処かで調整する必要がある。
 
 句碑①は「目にかゝる時や殊更五月富士」(めにかかる ときやことさら さつきふじ)、元禄7年(芭蕉翁行状記)の作。芭蕉は、この年の10月12日に51歳の生涯を閉じている。
【眞性寺】豊島区巣鴨
 
 「眞性寺」は、「江戸六地蔵尊」で知られる「醫王山東光院眞性寺」(真言宗豊山派)のお寺。ちなみに「江戸六地蔵尊」とは「旅の無事を祈るお守り役」(江戸の六街道の尊像)で、東海道の尊像として品川寺(第壱番)、奥州街道沿いの東禅寺(第弐番)、甲州街道沿いの「江戸三大閻魔の寺」として有名な太宗寺(第参番)、中山道の出入口の巣鴨にある唐銅製の座像がある眞性寺(第四番)、水戸街道沿いの雲巌寺(第五番)、第六寺は廃寺となり消滅した千葉街道沿いの永代寺・・・・「末っ子」かつ「永代」が廃寺とは皮肉なものです。
 さて本題の、句碑②は「白露もこぼさぬ萩のうねり哉」(しらつゆも こぼさぬはぎの うねりかな)、元禄6年秋(真蹟自画讃)、杉風の別邸採茶庵前の萩を見ての句とされる。句碑の背面には、杉風の「萩植てひとり見習ふ山路かな」が刻まれているとか(立入禁止)。
【関口芭蕉庵】文京区関口
 芭蕉が二度目の江戸入り後、1677年から3年間、当時の旧主筋の藤堂家が神田上水の改修工事を行っていて、これにたずさわり工事現場か水番屋に住んだといわれる。
 
 句碑③は、五月雨塚の隣りにある「古池や蛙飛びこむ水の音」(ふるいけや かわずとびこむ みずのおと)、有名な句故、既に13ヶ所で撮影している。庭園撮影に気を取られ未撮影句の「五月雨塚」/「五月雨に隠れぬものや瀬田の橋」(嚝野)がすっかり何処へ。その上、撮りまくった庭園撮影はハイコントラストでオール・スクラップ。
【慈眼寺】文京区小石川
 事前調査では、大江戸線春日駅より徒歩7分・・・・地下鉄の怖さが遂に現実のものとなった。出口(何故かA5がA1)を間違えると方向音痴になる。多分30分ぐらい徘徊・・・・揚句は「富阪警察署」に駈込む始末
 
 句碑④は「一しぐれ礫や降りて小石川」(ひとしぐれ つぶてやふって こいしかわ)、延宝5年、34歳の作。この年に俳諧宗匠(プロの俳諧師)として立机したらしい。この頃、神田上水浚渫工事の管理業務を請け負っていたらしい(前述の関口芭蕉庵)。よって、小石川後楽園や江戸川小石川上水、水道橋、関口大洗堰あたりを歩いていたのだろう。
 この後の予定は、「昌清寺」(文京区本郷)の「桜狩きくとくや日々に五里六里」(笈の小文)、未撮影句だが足腰がガタガタ、咳払いすると腰砕けするほど背中に稲妻が走る。既に遅延幅は72分と広がる。腰を据え、「春日駅」(三田線)近くで昼食を摂り「昌清寺」のパスを決め一つ先の「日本橋鮒佐」へと向かう。
 旅から戻って地図を見てびっくり、春日駅から水道橋駅(昌清寺)まで1駅、徒歩でも800m、東京の地下鉄は構内乗換に平気で1000mも歩かせる。田舎と違って都会の地下鉄移動は(今回のコース)“里山歩き”よりキツイ、都会人にとって毎日の通勤は里山歩きに匹敵する人も居よう。
 この後、「日本橋鮒佐」-「亀島橋」-「築地本願寺」-「法重寺」-「勝鬨橋」-「築地市場」、全て徒歩移動しても3kmに満たない。実際の移動といえば、地下鉄「三越前」(銀座線)「日本橋」(東西線)「茅場町」(日比谷線)「八丁堀」(日比谷線)「築地」、乗換にも歩くしその都度切符を買ったら170円×4回で680円、地元のレッツ号(市内ならドア to ドア)なら回数券2000円/11枚。
 これを考えると、仙人暮らしをしている我が家から里のスーパーまで歩く方が“安心・楽・安い”といえる。結論として「都会暮らしは何と不便なことよ」(終の棲家は田舎を選ぼう)・・・・。
【日本橋鮒佐】中央区日本橋
 
 句碑⑤は「発句なり松尾桃青宿の春」(ほっくなり まつおとうせい やどのはる)、延宝7年、芭蕉36歳、歳旦句。「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」と対照するとの解説もあり。(句盤拡大)(説明板)。
【亀島橋】中央区八丁堀
 
 句碑⑥「菊の花咲くや石屋の石の間」(きくのはな さくやいしやの いしのあい)、元禄6年秋、八丁堀にて。当時の八丁堀付近には海運の便から石屋が多かったようだ。
【築地本願寺】中央区築地
 
 句碑⑦
「春もやゝ気色とゝのふ月と梅」(はるもやや けしきととのう つきとうめ)、元禄6年春、自画讃句。この句碑も結構ある。当所は9ヶ所目である。
 東京(横浜含む)生活は約10年、「築地本願寺」は初めての場所、一度見てみたい所でもあった。
【法重寺】中央区築地
   
 築地本願寺の隣りのようだが・・・・お寺さんが普通のビル?

 晴美通りに面した(歩道沿い)の植え込みの中から句碑を見つけた。16時40分(日入時刻;16:30)なので植え込みの中は薄暗く露出不足、磨きを掛けた石碑なのでフラッシュは焚けない。LEDライトは荷物になるので持参していない。

 句碑⑧
「大津絵の筆のはしめは何佛」(おおつえの ふでのはじめは なにぼとけ)
【勝鬨橋と築地市場】中央区築地
 
 
 「勝鬨橋」は、夜景撮影を予定していた。「隅田川テラス」に降りて勝鬨橋の夜景を撮影した。17時、夕闇が迫るも全く寒さを感じさせない。
 この後「築地市場」へ、わずかだが営業しているお店に入って「特上握りセット+生ビール」で足の痛みを癒す。流石に築地の鮨は旨かった。
 さて、1月と2月の「旅の未知草」は・・・・高速夜行バスまで時間調整や翌早朝の仙台での時間調整を考えると、流石に老身には辛い。冬場の活動範囲(夜長)に制約があるし、仙台(ホテル)直行にしようか。東北新幹線が青森まで延伸したのを機に長野新幹線との接続が悪く顧問先に9時着は策なし。冬タイヤを装着しても車移動は無謀だ。