旅の未知草 払暁の鹽竈神社参詣
 2016.01.16(土) 小雪
 暖冬で降雪なし、仙台出張は車でも大丈夫だったが、切符手配の関係から前月に続いての東京経由。出張当日の未明に碓氷パイパスでスキーツアーバスの悲惨な事故があったばかり、妻も心配し体調を悪くした。そんな中での「旅の未知草」、早や夕食を頂き19時30分発の高速バスで上京、朝便はラッシュ帯のため30分遅れは通常、接続が心配で途中下車も考えたが「異例の15分前到着」。こりゃ待ち時間が多く大変、今度は正反対の頭痛、ところが中央特快が30分近く遅れた。最近問題視されているインフラ面での遅延だ。
 時間調整をして4時57分、定刻到着、日の出時刻(6:52)には時間があり過ぎるのでゆっくりと仙石線仙台駅に向かう。2番電車に乗り本塩釜駅に着いたのは5時58分、暗闇を照らす外灯を見ると何やら白いものが確認できる。予定では3番電車(仙台6:04→6:34本塩釜)で、上り本塩釜7:29発までの滞在時間は45分、早く着いたので30分の余裕。最遠地点の「鹽竈神社表参道」へと逆コースをとり、撮影条件の緩和を図る。
 
 それでも「表参道下の鳥居」に着いたのは6時20分、日の出時刻まで30分、ましてや曇り空、真っ暗だ。へたにストロボを焚くと逆に真っ暗画像になってしまう。荷物になるのでカメラは「TG-4」、カメラ任せの「自動撮影モード」、多分「プログラムオート」で「ISO_up」すればもう少し明るく撮れたと思うが「自信」(未経験)がなく全滅を恐れたので、露出不足のピンボケの「この程度」になった。
 
 200段余りの急な石段を登り「随身門」の前に立つ、地元の早朝体操仲間なのか刻一刻と人影が増えるも、その声は鹽竈神社の「払暁の社叢」(ふつぎょう/夜明け、しゃそう/鎮守の森)に消えてゆく。早朝の参詣は万の参拝に値する(それ程に心が静まり浄くなる)と感じた。
払暁に雪靴ひびく社叢かな
ふつぎょう
ゆきぐつひびく しゃそうかな
 「夜明け」前の鹽竈神社、表参道を登る参拝者の足音、「冬靴/雪靴」に施された「滑り止めの金具が発する金属音」、202段の石段を力強く踏みしめるゆえ一段と高く聞こえる。その音が静まりかえった「鎮守の森」にしみ入っていく。芭蕉が詠んだ「閑さや岩にしみ入蝉の声」を口ずさみ詠んでみた。
 薄明かりの中、神職・巫女さんが竹箒で本殿前広場の「掃き清め」をしていたり授与所も開いていた。「掃き清め」直後故、小石が敷き詰められた一画には撮影理由で踏み入ることは気が引けました。
 
 志波彦神社・鹽竈神社と二社が同一境内に鎮座している。鹽竈神社、別宮ともに左右本殿・拝殿があり境内には「文化灯籠」(おくのほそ道に記載)がある。
 
 境内を拝観していると徐々に明るくなってきた。それでも日の出時刻には10分以上ある。ちらちら小雪が舞う天気なので夜明け前の感じは続く。
   大写真は「廻廊」、小写真は「別宮本殿」と「枝垂れ桜」・・・・境内にある灯籠の灯りが消されるまでには時間がある。
 
 「鹽竈神社」の「左右宮拝殿」は権力者に崇められた武神、その右手にある「別宮拝殿」は庶民の信仰を集めてきた。また、境内外の末社もあり和歌の名所(歌枕)として知られる「籬島・曲木神社」もある。
 「志波彦神社」は、仙台市岩切から明治初期に「鹽竈神社・別宮本殿」に還祀され昭和9年着工で昭和13年に完成、昭和38年に市の文化財に指定された。  
 
 比較的装飾を抑えた「鹽竈神社」と趣を異にする「朱黒の極彩色漆塗り」の本殿・拝殿になっている。我国2861社中、わずか225社しかない「名神大社」という格別の崇敬を朝廷より受けていた神社。ただし、芭蕉が奥の細道の途次に立ち寄った際は「鹽竈神社」のみであった。
 
 志波彦神社の境内から「千賀ノ浦」(塩釜湾)が眺められる。参道の「芭蕉翁奥の細道碑」(クリックで拡大)は、寺社完成後の昭和36年に建立。「鹽竈神社」境内の「文化灯籠」脇に建てて欲しかったと思います。
 
 東参道(裏坂)を下った突き当りに「五重石灯籠」と「芭蕉止宿の地碑」ならびに「法蓮廃寺跡」(勝画楼)がある。参道途中で「子福桜」の“返り咲き”を見ることが出来た。小画像にマウスポインターによるロールオーバー効果で、大写真左手でフレームアウトした「五重石灯籠」が表示されます。
 
 「法蓮廃寺跡」(勝画楼)です。この先(裏手)に「勝画楼」(廃墟)がありますが行ってみませんでした。小写真をクリックすると「法蓮廃寺図」(拡大)がご覧いただけます。
 
 
 県道3号線の「東参道」(裏坂)から「表参道」(表坂)の「鹽竈神社・志波彦神社」側の歩道には写真のような文学碑が幾つもあります。大写真は「都のつと」(クリックで解説板)、小写真上は「源氏物語」、下は「伊勢物語」です。
 小写真は「七曲坂」を背に県道を挟んだ向かいの丘陵を撮影したものです。この辺りに「芭蕉翁晩鐘の碑」(愛宕神社)があります。→「旅の未知草」第19回「忘れ物探し」で記載しています。
 
 「表参道」(表坂)と「東参道」(裏坂)のほぼ中間に「七曲坂」(奈良時代に遡る古参道とか、史跡探訪なら歩く価値ありかも)があります。
 
 「東参道」から「表参道」までの間、夜明け前の暗闇で撮影出来なかった「文学碑」を撮るため「表参道」まで県道沿いの歩道を戻った。この間、ほぼ1時間、予定時刻を大幅に過ぎている。
 これは「おくのほそ道文学碑」である。他の文学碑と比べ違和感を感じる。何故、この文学碑だけ竹柵で囲む必要があるのか(同時期に同費用で造ったのに)・・・・正面からの撮影が出来ない。
 
 小写真をクリックすると解説板がご覧いただけます。
 
 「芭蕉船出の地」・・・・芭蕉が旅をした頃は、この場所まで港湾が入り込んでいたようです。運河は100m強先まで残っていますが、港湾までは600mほど、埋め立てられこの位置になっています。
 リミットに設定していた乗車時刻より3本後の仙台行に乗り顧問先には始業時刻直前に入門、その頃には降り出した雪で路面は白く滑りやすくなっていた。