川 柳 漫 画 集 (昭和四十二年度 第二巻抜粋)
2016.02.18 (木) 晴
    
   この「漫画集」の表紙に、「昭和42年度第二巻」(1967年)と記されている。約半世紀前に詠まれた川柳・挿絵ということになる。第一巻・第二巻・第三巻より抜粋し写真を撮らせて頂きました。その一部を掲載します。

 私の記憶(自身の出来事)を紐解く前に、日本史(!)を調べてみよう。
  ■ツイッギー来日、日本にミニスカートブーム到来
  ■東急・小田急百貨店が開店
  ■阪急千里駅(大阪)に自動改札機の第1号が設置
  ■東京キー局でカラーテレビ本放送開始
  ■GS(グループサウンズ)ブーム
  ■イエイエ族(レナウン)
  ■IC電卓(早川電機/シャープ)
  ■MG5(資生堂)
  ■アングラ(アンダーグラウンド)・核家族・ハイミス・ハプニング・フーテン族・ボイン
  ■マクルーハンの世界
  ■ブルー・シャトー/夜霧よ今夜もありがとう/この広い野原いっぱい/真赤な太陽/銀色の道/恋のハレルヤ
  ■黒部の太陽・007は二度死ぬ・風と共に去りぬ・夕陽のガンマン・パリは燃えているか

 えっ、私の事!
  ■電子部品の某社に在籍2年目(配属決定直後から浮気)・・・・武蔵美でグラフィックデザインに没頭
                              青山のデッサンスクール(週2回)
  ■横浜寮から本社・東京工場に通勤、しばらくして東京寮に転居
 
 この「漫画集」を拝見したのは、完成(昭和四十二年正月と記)後、そう経っていない時期だと記憶している。今日二度目であるが、鮮烈な記憶、そのままだった。保存状態が良く三部作すべて撮影させて頂きました。「旅の未知草(碑撮り旅編)」(芭蕉の句碑)より、抜粋した句碑を集約した「細道や碑撮りたずねて走馬灯」という写真集を編集中、また写真展も師走頃に計画中。欲言えば、句碑写真に句を添えるというのでなく、ズバリ「絵てがみ」風の作品展示ができたらと考えている。
   
 早速、姉に声を掛け伯父の遺品である「漫画集」を従妹に見せて頂いたということです。作者は、親父の妹の夫で「淡渉さん」という。難しい読み方で、書家・俳諧師・画家(趣味)である。「明治・大正・昭和漫画繪巻」(第一巻は歴史漫画、第二巻は川柳漫画)で昭和二十七年元旦とある。もう一冊は「○○漫画集」、そして本漫画集の三冊だ。他には水墨画集もあったが素人受けするものだけ撮影してきた。
   
 私は、絵心があるという(誰が?)。そもそも自称であり、自称「幻の画家」・・・・何処探しても作品がない!。武蔵美のグラフィックデザイン科を中退した理由も、デッサンの成績が悪かったからだ。多少、絵が描けても、(スマートな)イラストが描けないからだ。・・・・と言うことで、この企画も夢の世界の戯言で終わる可能性大だ。写真展は別にしても、生涯で取り組んでみたいテーマでもある。
   
 失礼だが、撮り始める前は「気に入ったものだけ・・・・」と思ってページをめくっていたが、結局のところ9割以上撮らせて頂いた。誇張と思えるほどの動きが激しい漫画、魅入るどころでなくパチリパチリと撮りまくった。色づけも素晴らしい。俳句と異なり川柳ってこんなに自由で面白いものとは思ってもいなかった。昨日、俳句の添削をお願いした兄との電話で、「お前が考えているのは、俳句より川柳の方が適している」と言われたばかりだ。
 撮影枚数は136枚、表紙や2枚撮りを除くと128枚、その2倍なので252作品だ。一枚一枚が陳腐化していなく可笑しい、撮影していて思わず吹き出してしまった。中には小島功・竹久夢二の画風に似ているものもあった。いずれにしても艶っぽく、多くの人に見て欲しいと思った。
 漫画の愉快さと川柳が合いまって楽しい。伯父さんとお話したことは余りない、こんなに剽軽な方だったかと懐かしく思う。現役引退後、こんなに愉快になる趣味を持てたらと羨ましく感じた。へたな横好き、平均的な人より道楽こいている者が羨むことが出来るとは素晴らしい。かつて、「同じ遊ぶなら、他人に羨まれる遊びをしろ」・・・・なんて、知ったかぶりのことを言っていた自分が恥ずかしくなった。
   
 お笑い芸人も、こういった「川柳・漫画集」から何かを学び自分の生き様に変えられれば、真の笑いをとることにつながると思う。どうも、笑われる芸人擬きが多いと感じる。私は見ることもないが、理容院に置いてある「マンガ本」も、こういうものであれば順番を忘れるほどに没頭するかも知れない。
   
 今日は、いいものを拝見させて頂いた。話は写真集に戻るが、全部とは言わないが「俳句」「川柳」「写真」等・・・・いろんな「取り合い・配合」を考え、ケース・バイ・ケースでいこうと思う。数が多い心が入らなく全体をマイナス方向に引っ張ってしまいそうだ。