芭蕉句碑;秋田・山形の再訪紀行
2016年6月17日(金)雨/曇/晴
 天気予報は「雨」・・・・「象潟や雨に西施がねぶの花」、芭蕉・曽良も雨天下の旅、それに比べりゃ「萩と月」、夜道の長旅、スリップ事故だけは避けなければ・・・・残すは「五月雨よ」と百八十里超えドライブ。
【十六羅漢岩・出羽二見】山形県遊佐町
 
 句碑01「あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ」(あつみやまや ふくうらかけて ゆうすずみ)、元禄2年6月14日、「奥の細道」旅中「酒田」。吹浦は酒田海岸の地名、あつみ山は温海町にある温海岳、雄大な景色の中で温海山が夕涼みをしているという擬人化して詠んだ挨拶吟。「おくのほそ道」紀行文では順不同。(碑文部分
【三崎峠(大師三崎)】(おくのほそ道の風景地)秋田県にかほ市/山形県遊佐町
 「三崎公園」と「象潟」、雨が降って困るのは・・・・日本海から吹付ける横殴りの雨を日和山公園(酒田)で経験している。そこで、象潟からの帰路に予定していたものを先に回した。上段;奥の細道、下段;三崎峠
 十六日 吹浦ヲ立。番所ヲ過ルト雨降出ル。一リ、女鹿。是 より難所。馬足不通。 番所手形納。大師崎共、三崎共云。一リ半有。小砂川、御領也。庄内預リ番所也。入ニハ不入手形。塩越迄三リ。(「曽良随行日記」)
 象潟(九十九島);秋田県にかほ市
 上は蚶満寺山門前から駒留島を撮影、下は蚶満寺奥庭舟つなぎ石より九十九島を撮影
 水田に浮かぶ九十九島を撮影
 以下2枚は九十九島の中央を走る農道から九十九島を撮影
 縦置3枚のパノラマ撮影で九十九島の雰囲気を表現。(掲載ページに合せ天地トリミンクを施す)
 芭蕉・曽良ゆかりの島々;秋田県にかほ市
 
 象潟に着いたのは6時半、道中の雨も夜明けとともに上り、象潟駅の次に訪れた「能因島」からは鳥海山の山容も見え始めた。(説明板
 
 蚶満寺の駐車場に車を止め、羽越本線の線路沿いに「駒留島」(大画像)に向かう。蚶満寺の跡に行った九十九島の一つ「みさご島」(曽良が詠んだ「波こえぬ契ありてやみさごの巣」)。「みさご」とは「ミサゴ=魚鷹」のこと。蚶満寺の奥庭から眺められる。
 雨の象潟を覚悟しての旅、これまでに芭蕉句碑の撮影に約500もの寺社を参詣した。そのご利益なのか鳥海山の全貌は叶わないまでも青空が表れてきた。しかし、羽黒山・湯殿山は保証の限りではない。遠い象潟で満喫すべく長居した。鳥海山が「先を急ぎなさい」とばかりに雲隠れ、小雨が降って来たので九十九島で象潟を発った。
 芭蕉・曽良ゆかりの汐越(象潟市街地);秋田県にかほ市
 「汐越」とは、現在の象潟市街地で「二丁目汐越・三丁目汐越」に芭蕉・曽良の止宿の地がある。
 「汐越」「熊野神社」「象潟橋」と「蕉風荘」へと続く。

 小画像クリックで拡大


 画像は芭蕉・曽良の滞在記録を図示したものである。
 
 
 
 芭蕉・曽良が泊まった「向屋跡」と「能登屋跡」・・・・それぞれの画像クリックで説明板が拡大表示
 並びに「紅蓮尼生誕跡・紅蓮尼碑」、蚶満寺に「紅蓮尼碑」があり撮影したが掲載は省略。
 「象潟橋」並びの「熊野神社」に寄る。
 
 元禄の時代に・・・・神社の祭りで宿が女客でいっぱいであったとか・・・・ちょっと信じられない。芭蕉は、紀行文を「編集」するので・・・・曽良随行日記とて「?」があるかも知れない。曽良の「象潟や料理何くふ神祭」を詠んだ場所だ。(説明板
 
 芭蕉と曽良は、「象潟橋」(欄干橋)から「汐越」(象潟)を眺めたという。川の上流方向、青空の下に鳥海山の裾部が見える。小画像上は「船つなぎ石」を写し込んでみた。小画像下は熊野神社境内から象潟橋を撮影。
 芭蕉が「腰長や鶴脛ぬれて海涼し」を詠んだとされる「蕉風荘前の湾口」(汐越)に立ち寄ってみた。当時に比べかなり小さくなっているとか・・・・。
 一時は、この句は曽良のものとされた時期があった。
 
 
 象潟では蕉風荘が最期であった。小雨が降り出したので駐車場から撮影し、「唐土石」(象潟地震の足跡)を見ることなく羽黒山に向かった。
 蚶満寺;秋田県にかほ市
 駒留島を右手に蚶満寺の杜を眺める。中央左側に蚶満寺の山門が見える。この写真であれば、水田を水面に置き換えることは容易だと思う。別の機会に合成写真にして元禄まで遡ってみたい。
 蚶満寺では、(前回歩かなかった)「旧参道」で山門に向かった。昨夜の雨で芭蕉像周辺は池のようになっていた。旧参道の左手は九十九島、潟には海水が満ちていたであろうと想像しながら・・・・。
 
 蚶満寺さんには事前に電話を入れておいた。参拝時間は8時半から・・・・到着予定は7時、あちこち回ってきたら丁度8時半になっていた。
 象潟にある句碑・文学碑等;秋田県にかほ市
 
 「羽越本線象潟駅」にある文学碑。句碑02「象潟の雨や西施がねぶの花」(きさかたの あめやせいしが ねぶのはな)、句碑03「ゆふ晴や桜に涼む波の華」(ゆうばれや さくらにすずむ なみのはな)句碑04「腰長や鶴脛ぬれて海涼し」(こしたけや つるはぎぬれて うみすずし)、元禄2615-18日、「奥の細道」旅中「象潟」での作。「象潟や」「汐越や」の初案。「蚶満寺」所蔵の「自詠懐紙」(自筆)の拡大。(説明板
 
 「羽越本線象潟駅」にある文学(切手)碑。句碑05「象潟や雨に西施がねぶの花」(きさかたや あめにせいしが ねぶのはな)、元禄2615-18日、「奥の細道」旅中「象潟」での作。(切手;
 
 「蚶満寺」にある句碑と芭蕉像。句碑06「象潟の雨や西施かねふの花」(きさかたの あめやせいしが ねぶのはな)、元禄2615-18日、「奥の細道」旅中「象潟」での作。
 
 「蚶満寺」の前記「芭蕉像」の向かいにある西施像。その西施説明碑に句碑07「象潟や雨に西施がねぶの花」(きさかたや あめにせいしが ねぶのはな)元禄2615-18日、「奥の細道」旅中「象潟」での作。
 
 「蚶満寺」の奥庭にある古い句碑。句碑08「象潟の雨や西施かねふの花」(きさかたの あめやせいしが ねぶのはな)、元禄2615-18日、「奥の細道」旅中「象潟」での作。
 
 海苑「蕉風荘」の掲示板。句碑09「腰長や鶴脛ぬれて海涼し」(こしたけや つるはぎれて うみすずし)、元禄2615-18日、「奥の細道」旅中「象潟」の蕉風荘前の湾口で詠まれた句。「汐越や」の初案。余分な事かも知れないが、「切手碑」を建てるくらいなら、「汐越や鶴はぎぬれて海涼し」「象潟や料理何くふ神祭」「蜑の家や戸板を敷て夕涼」「波こえぬ契ありてやみさごの巣」の句碑・文学碑を建立して欲しいものだ。
 酒田に近づくに連れ空が明るくなってきた。早やお昼と思っていたが、心は羽黒山へと・・・・ヨッシャー
 羽黒山神社大鳥居;山形県鶴岡市
 島崎稲荷神社;山形県鶴岡市
 
 羽黒町手向の羽黒館裏手に島崎稲荷神社がある。そこに「呂丸辞世句碑」があるというので行ってみた。「図司呂丸」(ずし ろがん)は、元禄622日、京都の去来亭で急死した。彼は山形の俳人で、「奥の細道」で羽黒山を訪れた際に案内してくれた門人。(説明板
 正面に「呂丸辞世の句」、右面の左端に「芭蕉の追悼の句」が掘られている。呂丸の句碑10「消安し都の土に春の雪」(けしやすし みやこのつちに はるのゆき)、芭蕉の句碑11「当帰より哀は塚のすみれ草」(とうきより あわれはつかの すみれぐさ)。芭蕉の追悼句の右に「酒堂」「支考」の追悼句が並ぶ。
 追悼3句。馬上の右に「雁一羽いなてみや古の土の下」(酒落堂/濱田酒堂=医師・近江蕉門)、「死に来てそのき佐良支の花の陰」(野盤子/各務支考=蕉門十哲の一人)、芭蕉は「芭蕉庵」
 「奥の細道」羽黒山を訪れた芭蕉一行を案内してくれたのが呂丸(露丸)。近藤左吉(図司左吉)。山形羽黒山麓の手向村の人。羽黒山伏の法衣を染める染色業を営む。元禄6年2月2日、旅の空、京都で客死。芭蕉は追悼句「当帰よりあはれは塚の菫草」を贈る。呂丸宛書簡が2通残る。一通目は「奥の細道」の旅で呂丸と初めて会って世話をしてもらったことへの謝意。2通目は元禄5年2月8日。呂丸は、元禄5年9月に芭蕉庵を訪問し、このとき芭蕉から「三日月日記」の稿本を譲り受けている。芭蕉は呂丸に対して好感を持っていたようだ。尚、呂丸は「聞書七日草」という書物を残すが、これは羽黒山での芭蕉の教えを記述した書。 芭蕉の俳論「不易流行」が最初に着眼されたのはこの時の呂丸との対話の中といわれている。(伊藤洋「芭蕉全句集」Hp参照)
 芭蕉は呂丸(図司左吉)に送られ羽黒山から鶴岡城下の長山重行宅へ、芭蕉「めずらしや山をいで羽の初茄子」(めずらしや やまをいではの はつなすび)、重行「蝉に車の音添る井戸」(せみにくるまの おとそえるいど)、曽良「絹機の暮閙しう梭打て」(きぬはたの くれさわがしう をさうちて)、露丸「閏弥生もすゑの三ケ月」(うるうやよいも すえのみかづき)と歌仙を巻く。機織りの横糸通しの「梭/ひ」を「をさ」と読ませている。
 大進坊(宿坊);山形県鶴岡市
 
 300年以上の歴史を刻む塾坊の前に芭蕉「出羽三山句」碑がある。右より句碑12「凉しさやほの三日月の羽黒山」(すずしさや ほのみかづきの はぐろやま)、句碑13「加多羅禮努 湯登廼仁奴良 當毛東迦那」(かたられぬ ゆどのにぬらす たもとかな)句碑14「雲の峰いくつ崩れて月の山」(くものみね いくつくずれて つきのやま)。元禄263-10日、「奥の細道」旅中「出羽三山順礼」(羽黒山-月山-湯殿山)にて詠まれた句。余計な事だが、碑面と説明板の並びと文字が異なる。(順礼は説明板の方)。→句部拡大
 三山大愛教会(宿坊);山形県鶴岡市
 
 大進坊の向かいに三山大愛教会があり、同向かい合うように句碑がある。天佑法院を偲んで詠んだ句碑15「無玉や羽黒にかへす法の月」(そのたまや はぐろにかえす のりのつき)句集では「其玉や」(真蹟懐紙では「無玉」を「其玉」と見せ消ちにし)と、芭蕉「出羽三山句」、句碑16「凉風やほのミか月の羽黒山」(すずかぜや ほのみかづきの はぐろやま)(「凉しさや」→真蹟短冊では「掠風や→涼風や)、句碑17「雲の峯いくつ崩れて月の山」(くものみね いくつくずれて つきのやま)、句碑18「かたられぬゆどのにぬらす袂かな」(かたられぬ ゆどのにぬらす たもとかな)、元禄263-10日、「奥の細道」旅中「出羽三山順礼」で詠まれた句。(順礼の並びになっている)。拡大画像[全体」「天佑法院」「出羽三山句
 いでは文化記念館(羽黒山碑の杜);山形県鶴岡市
   「羽黒山碑の杜」には、芭蕉以外の句碑が5基ほどある。また、羽黒山の参道等にも幾つかあるが、それらについては趣を異とするため撮影はしていない。
 
 芭蕉「出羽三山句」、句碑19「凉風やほの三か月の羽黒山」(すずかぜや ほのみかづきの はぐろやま)、句碑20「雲の峯いくつくつれて月の山」(くものみね いくつくずれて つきのやま)、句碑21「かたられぬゆどのにぬらす袂かな」(かたられぬ ゆどのにぬらす たもとかな)、元禄263-10日、「奥の細道」旅中「出羽三山順礼」で詠まれた句。(順礼の並びになっている)。
 羽黒山(山麓随身門-南谷別院跡);山形県鶴岡市
 今回の「碑撮り旅」最大の難関、計画を兄に話したところ「自分も行く」とのことだった。前日、体調を考え取り止めたいと連絡、残念だが「この難関」を考えたら・・・・ほっと胸を撫で下ろした。
 前回は、「随身門-五重塔」「山頂羽黒山神社-南谷別院」であった。
 今回は、二の坂茶屋付近に「三日月塚」があることを知っての碑撮り、片道
2kmの中間点、悩んだ結果に決めたコースだ。「随身門」から入ったのは「11:35」、再び潜ったのは「13:20」であった。
 
 
須賀の滝 五重塔(国宝) 一の坂
二の坂 三の坂までの平坦道 芭蕉翁三日月塚
 芭蕉翁三日月塚(二の坂御坊平若王寺跡前);山形県鶴岡市 
 
 「芭蕉翁三日月塚」とは、芭蕉翁羽黒山留杖の折、羽黒山の句「涼しさや」の発句の処・・・・というもの。「凉風やほの三か月の羽黒山」と思いきや・・・・何と句碑22「五月雨やほの三か月の羽黒山」(さみだれや ほのみかづきの はぐろやま)、芭蕉全句集にも掲載されていない超レアな・・・・。
 
 羽黒山南谷別院跡を再訪、句碑23「有難や雪をかほらす南谷」(ありがたや ゆきをかおらす みなみたに)、元禄263-10日、「奥の細道」旅中「出羽三山順礼」で詠まれた句。ここ南谷(羽黒山南谷の蘚苔と杉並木)は、環境省認定の「かおり風景100選」に選ばれている。「かおり」→月山の残雪、羽黒杉、霊山の空気が独特の雰囲気を感じさせる。(芭蕉は300年以上前に詠んでいる)
 二の坂茶屋で昼食代わりの力餅を食べながら芭蕉の話をする。
 青空が広がる。急ぎ足で石段を登り汗だく、「五月雨や」でなく「凉風や」の方、そして「雪をかほらす」を心行くまで語り急坂の石段を下り・・・・湯殿山に向かう。
 
 
 湯殿山神社(出羽三山奥の院);山形県鶴岡市
 「語られぬ」・・・・先月の参詣時は「句碑は雪の中」だった。何とか持ちこたえて欲しい天気、湯殿山に到着し1分後のバスに飛び乗り、句碑のみ撮影して蜻蛉返り、売店で参詣記念に日本酒を購入。
 
 句碑24「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」(かたられぬ ゆどのにぬらす たもとかな)芭蕉句碑25「湯殿山銭ふむ道の泪かな」(ゆどのさん ぜにふむみちの なみだかな)曽良、元禄263-10日、「奥の細道」旅中「出羽三山」にて詠まれた句。→句碑拡大「芭蕉句碑」「曽良句碑
  口之宮湯殿山神社;山形県西川町
 
 芭蕉26「語られぬ湯殿にぬらす袂哉」(かたられぬ ゆどのにぬらす たもとかな)、元禄263-10日、「奥の細道」旅中「出羽三山順礼」で詠まれた句。通り道にある由緒あるお寺さん、駐車場で一休みさせて頂いた。
 将棋むら天童タワー「芭蕉庭園」;山形県天童市
 
 ドライブイン(土産・特産品販売、食事処等)で、松尾芭蕉が辿った山形県の名勝を一ヶ所に再現した「芭蕉庭園」を併設している。(少し荒れていると感じた)・・・・立石寺の「閑さや岩にしみ入蝉の聲」を見逃した。
「奥の細道」俳文碑
高山森々として一鳥聲き・・・・
句碑27
眉はきを俤にして紅粉の花
まゆはきを おもかげにして べにのはな
句碑28
さみたれをあつめて涼しもかみ川
さみだれを あつめてすずし もがみがわ
句碑29
水の奥氷室尋ぬる柳かな
みずのおく ひむろたずねる やなぎかな
句碑30
五月雨をあつめて早し最上川
さみだれを あつめてはやし もがみがわ
句碑31
凉しさやほの三日月の羽黒山
すずしさや ほのみかづきのはぐろやま
句碑32
あり難や雪をかほらす南谷
ありがたや ゆきをかおらす みなみたに
句碑33
雲の峰いくつ崩れて月の山
くものみね いくつくずれて つきのやま
句碑34
語られぬ湯殿にぬらす袂かな
かたられぬ ゆどのにぬらす たもとかな
句碑35
温海山や吹浦かけて夕涼み
あつみやまや ふくうらかけて ゆうすずみ
句碑36
暑き日を海にいれたり最上川
あつきひを うみにいれたり もがみがわ
句碑37
象潟や雨に西施かねふの花
きさかたやあめにせいしがねぶのはな
 出発時刻を1時間間違え23時に家を出た。雨の中、越後路をひたすら北上、新潟・山形の県境を越える頃には薄っすらと・・・・。移動途次は雨降りであったが「十六羅漢岩」「三崎公園」は雨も上がり、「象潟」では雲の切れ間から青空が覗き、「羽黒山」では陽射しも眩しく汗だく・・・・、終日、雨具を使うことはなかった。秋田県まで足を伸ばしたので17日(金)は719kmも走ってしまった。500を超える寺社参詣の御利益があったのか・・・・。