おもいつき (長野県) 麻績・諏訪の句碑撮り
2016.08.25(木) 晴
 安曇野に行く用事があった。青木峠の途中から右折し、いつもとは違う県道277号(河鹿沢西条停車場線/かじかさわにしじょうていしゃじょうせん)で修那羅峠越えで麻績に向かった。野暮用を済ませ、松本・塩尻・岡谷を抜け諏訪へ、曽良の辞世の句碑の撮り直しのためだ。(むしろ、これが本日の外出目的かも)
   麻績宿;長野県麻績村
 麻績宿は善光寺街道の宿場町、貞享5年8月、芭蕉は「更級紀行」で通過している。大画像は句碑がある「花屋跡」、小画像は向かいの「本陣跡」(瀬戸屋)。
 →麻績宿古地図
 
 句碑01「ひょろひょろと猶露けしや女郎花」(ひょろひょろと なおつゆけしや おみなえし)
 句碑
02「身にしみて大根からし秋の風」(みにしみて だいこんからし あきのかぜ)
いずれも「更級紀行」での発句。
 
   信濃観月苑;長野県麻績村
 
 句碑03「しばらくは花の上なる月夜かな」(しばらくは はなのうえなる つきよかな)、元禄4年の作。
 お仙の茶屋跡;長野県麻績村  
 国道403号の脇に「善光寺街道の旧道入口」がある。旧道両側には地元の俳人や同好会等の句碑が乱立(失礼)している。しばらく山に入ると「弘法清水とお仙の茶屋跡」があり芭蕉句碑が建っている。
表面 裏面 句面拡大(裏面)
 句碑04「さゞれ蠏足はひのぼる清水哉」(さざれがに あしはいのぼる しみずかな)、貞享4年夏の作。
 正願寺;長野県諏訪市  
 河合曽良は長野県諏訪の出身、菩提寺の「正願寺」には分骨墓地がある。本堂左手に「曽良像」と「文学碑」それに「句碑」がある。「文学碑」には二つの句が書かれている。句05「松島や鶴に身を借れほととぎす」(まつしまや つるにみをかれ ほととぎす)/「おくのほそ道」松島の序段。句06「春にわれ乞食やめても筑紫かな」(はるにわれ こじきやめても つくしかな)/辞世の句。そして、句碑07「ゑりわ里て古き住家の月見かな」(えりわりて ふるきすみかの つきみかな)。元禄15年、信州での作。
表面 裏面 句面拡大(裏面)
 曽良の墓に、「辞世の句」が墓刻されていた。句碑04「春にわれ乞食やめても筑紫かな」(はるにわれ こじきやめても つくしかな)/辞世の句。宝永7年の歳旦吟。
 文学の道公園;長野県諏訪市  
 散策路公園には諏訪出身の歌人・小説家の歌碑・文学碑が19碑ほど建てられている。句碑07「袂か羅春者出多り松葉銭」(たもとから はるはいでたり まつばぜに)
 地元故、そのうちにと後回しになっている「更級紀行」の句碑撮りも計画しようと思っています。青文字は撮影済みです。
「あの中に蒔絵書きたし宿の月」   ひよろひよろと尚露けしや女郎花
「桟橋や命をからむ蔦葛」   身にしみて大根からし秋の風
「桟橋や先ず思い出づ駒迎え」   「木曾の橡浮世の人の土産かな」
「霧晴れて桟橋は目もふさがれず」(越人)   「送られつ別れつ果ては木曽の秋」
俤や姥ひとり泣く月の友   「月影や四門四宗もただ一つ」
十六夜もまだ更級の郡かな   「吹き飛ばす石は浅間の野分かな」
「更科や三夜さの月見雲もなし」(越人)