史跡探訪 (長野県) 佐久の史跡・句碑めぐり
2016.09.07-08 (水-木) 晴/曇時々雨
 義姉(長男/亡の伴侶)と姉(次女)の見舞いに兄(次男)が東京から来た。佐久平駅まで迎えに行き軽井沢の芭蕉句碑を撮影し、姉(長女)宅へ。翌日の午前に姉、午後に義姉を見舞い、夕方に実家へ兄と両親の墓参り(お盆は兄共々失礼したので)をした。
 このところ続けざまにプリンターが故障した。私の時代と異なり海外進出後の家電は品質が著しく低下し「安かろう悪かろう」で「使い捨て時代」だ。それでもいいが、インク等の消耗品の備蓄分まで処分の対象とは・・・・。
 14時半前に佐久平駅に着く兄を迎えに・・・・プリンター購入のため早めに家を出た。台風が接近しているので兄が一日繰り上げてのことだ。
 佐久平で兄をピックアップ、姉宅での夕食までには大分時間があるので、何時か撮らねばと思っていた軽井沢の芭蕉句碑を撮りに行くことにした。
 軽井沢町追分の浅間神社境内にある芭蕉句碑01「吹き飛ばす石は浅間の野分哉」(ふきとばす いしはあさまの のわけかな)/貞享5年8月、「更級紀行」最後の句。「更級紀行」は「美濃」を出立、木曽路-善光寺街道-(姨捨の月見)-北国街道(軽井沢)経由で「江戸」へ。(横画像)。「浅間神社」には「追分節発祥の地」碑もある。
 
 軽井沢町軽井沢(旧軽)のショー記念礼拝堂近くにある芭蕉句碑02「馬をさへながむる雪の朝哉」(うまをさえ ながむるゆきの あしたかな)/「野ざらし紀行」の句。一方通行かつ歩行者天国(旧軽銀座の奥)にあり辿り着くのに苦労した。(説明
 翌日は、小諸の医療施設に入院し3年半の姉を見舞った。熱が出たというので施設から病院に一次的に転院していた。会話は出来ないが兄弟の顔を見ると笑顔で反応してくれた。帰り際には寂しい顔をするので、何となく感じてくれるような気がした。
 姉の見舞いを終え、佐久の医療センターへ、総合受付で部屋を聞くと「まだICU」とのこと・・・・面会は14時から、少し遅らせると部屋に移るので面会可能。時間調整のため昼食そして喫茶とはしごをした。
 時間調整時に、医療センターからさほど離れていない「旧中込学校」を見た。「旧中込学校」は明治8年に完成した国内最古級の擬洋風建築物(地元出身で渡米し建築学を研究した市川代治郎氏の設計)。大正8年に新校舎画建築されてからは、中込町役場・中込町公民館・中込支館・佐久市役所分室・佐久市開発公社と再利用され、昭和44年以降は文化財として今日に至る。
 
 この前を通ったのは何時だろうか・・・・その時は補修の為か覆われていた。
 佐久市野沢地区に「ぴんころ地蔵尊」がある。長野県は長寿で知られ、なおさら佐久市の90歳以上の平均余命は3.9歳で活動余命は2.2歳です。→健康で長生きし(ピンピン)、楽に大往生(コロリ)する。いわば「ピンピン・コロリ」(ピンコロ)というわけです。(説明)。駐車場で声を掛けてこられたご夫婦(車は岐阜ナンバー)のように県外からもお参りに来られます。
 この後、実家まで墓参り(兄の命日、そして両親の)をしました。