風景取材 (安曇野) 信州の趣探し
2016.09.25(日) 晴
 今年の秋雨は梅雨を上回るもの・・・・日照時間の長さを誇る我が台地も青空の見えない日が続いている。9月は楽しみにしている「アサギマダラの渡り」も例年の三分の一程度と閑散としたものだ。
 今年から市が開催する「生涯学習講座」に参加、それも「絵手紙」「川柳」「芭蕉研究」と3つもだ。10月の講座のテーマは、「絵手紙は風景画」(時間の関係で写真等を用意し教室で行う)そして「川柳」は私の出題「秋らしく“ふける”」と、もう一方の「信州の山がある風景」(テーマは“使う言葉”のはず)。
 「絵手紙」は、講師から「あなたは“道祖神”がいいね」とのご提案を・・・・、そこに書くのは「川柳」にしようと取材前に作句してある。→「あづみ野で絵掻く手紙は道祖神」、中七に“絵手紙”を入れたことと、安曇野の道祖神は私の概念から外れるので“道ソ神”とした。有明山(信濃富士)+道祖神+水車+茅葺農家の構成か・・・・。
 「川柳」のお題(宿題)は、①「“よ”で始まる」→「読み書きに耽る余りに眼鏡屋へ」(同時に「ふける;耽る」も入れてみた)。②「ふける;深ける」→「秋深けて心侘びしき我が六十路」。③「信州の山がある風景」→「あづみ野で絵掻く手紙は道祖神」。④「自由テーマ」→結婚以来、私を揉み続けた妻、新婚当初は3時間/日も揉んでくれたが今では“触る程度で風の如く姿をくらます”様を詠んでみた。「出腹のエクササイズと足を踏む」(自身の為と思って揉んでよと妻が座る椅子の前に横たわる)、これに対し妻が詠み返す(付合)句は「何だろう私の人生もみ続け」(字余り)・・・・「何だろな我が人生は揉み続け」(直し)。
 久し振りの晴れ間、往路は青木峠越え、復路は三才山トンネルという取材兼試乗(新タイヤへの履替)だ。
 
 青木峠を越え、最初の集落は「四賀村」(現、松本市に編入)の「会田宿」、北国西街道(善光寺街道)の宿場町である。「会田宿」の中心地に小さな水車のオブジェを見つけたのでパチリ。参考になるかな?
 会田宿には芭蕉の句碑「見にしみて大根からし秋の風」がある。その「岩井堂」は、グーグルやナビに聞いても「判らない」という。ナビの「周辺」機能でチェックすると「岩井堂沢」なるものがあり、水車の撮影で脇に止めた進行方向を示している。
 
 それらしき「雰囲気」も無く、代わりに大きな「廣田寺」という曹洞宗のお寺さんがあり山門の奥に多くの仏像が見えたのでパチリ。結局、句碑の場所に辿り着かず先を急ぐことにした。
 「水車」と「道祖神」があると言えば「大王わさび農場」、それに「有明山」も見えるはず。先ず行ってみよ。
 
 「水車」および「水車小屋」の全体が撮影出来ない。万水川の左岸からだと良いが渡ることは出来ない。カヌーに乗れば撮影出来るだろうが、流れが速く漕ぎ手がいないと撮影できない。
 「絵手紙」には縦長がいい。これは参考になると思う。撮影していたら、背後から「絵手紙にイイヨ、撮っておこうよ」という声が・・・・ドキッ。左上は「酒器像」と言って「ひょうたん徳利と盃」でしょうか。
 
 左上の道祖神は「わさび田」側の遊歩道にあるもの、他は一連のものだが一つは撮影しなかった。左上は「手を握り肩寄せ像」(抱肩握手像)でしょうか。右上は「合掌」ですね。安曇野で道祖神といえば「双体像」、中には「彩色像」といったものもあります。「彩色」は邪道と思っていましたが、道祖神祭りの時に子供たちが祈りを込めて塗るとか・・・・。
 右上は「祝言像」(酒器像)で「土瓶と盃」、左上は「握手像」でしょうか。「大王わさび農場」の駐車場から「有明山」が眺められたが、駐車場越しのため「山容」には参考になるが全体画としてはイメージづくりに役立たないので掲載は省略した。
 高瀬川右岸に「早春譜の歌碑」がある。その近くに「“水色の時”道祖神」がある。「手を握り肩を抱き寄せる」微笑ましい道祖神だ。NHK連続テレビ小説「水色の時」(1975年4月~10月放送)に製作されたもの。半年シリーズになっての第1号だとか・・・・。右上は、左上画像にある左側の小さな方の道祖神です。
 「“水色の時”道祖神」右側の大きい方の道祖神と、この場所から眺めた「有明山」(信濃富士)です。そば畑が広がり「あづみ野」の風景だと感じます。カラオケに行けばもっぱら聞き手、それでも歌えと言われれば「安曇野」(原田悠里)と「千曲川」(五木ひろし)それに「青葉城恋唄」(さとう宗幸)かな・・・・。
 次のナビ設定地は「東光寺」、その途中に2ヶ所ある。いずれも設定に要す詳細情報がなく「当たって砕けろ」ってところ。その為、撮影出来たのは1ヶ所だけ。
 避け違いの出来ない細い道、少し先にスペースがあったので止めた。最も多い「握手像」です。
 東光寺には素晴らしい庭園があったので見せて頂いた。ハイコントラストの被写体は、明るく撮れるコンデジでは白飛びが激しい。やはり一眼レフカメラ向きだ。近くに「子育て道祖神」(彩色)があるはずだが・・・・。
 次のナビ設定地は「穂高神社」、道祖神は交差点にある。そもそも道祖神は「塞(さえ)の神」と言われるが、「幸いの神」とか「歳の神」とも言われている。「塞」は「さえぎる」の意で、悪霊や疫病など邪悪なものが集落に入り込んでこないよう「辻村境」や「峠」等に祀ったのが始まり。そして「道祖神」には「縁結び」「疫病退散」「五穀豊穣」「家内安全」「子孫繁栄」等の願いが込められている。
 上記と同じ場所、道祖神(双体像と文字像)と区切られた像があった。多分「庚申塔」(三叉路に造立され悪疫などの侵入を防ぐと信じられていた)と呼ばれるものだろう。「道祖神」と「庚申塔」「二十三夜塔」が同じ場所に祀られている。設置されるのは「猿田彦」崇拝からか・・・・詳しくは略。
 「双体像」と「文字像」が一対になっている。どちらが右でどちらが左という定位置はなさそうだ。私の故郷では「文字像」のみだが・・・・。「酒器像」(祝言像)は、男神が盃を持ち、女神が瓢(ふくべ;ひょうたん・ゆうがお・とうがん等の総称)や提(ひさげ;つるのある小鍋形の銚子)を持ち祝言を表している。
 「あずみ野」は、全国一の「最多道祖神」地域らしい。その為か官民一体になって、お店の前(右上)とか穂高町役場(現安曇野市穂高支所)/(左上)に設置されている。・・・・ということもあって比較的新しいものもある。
 「穂高神社」は「穂高見命」を御祭神に仰ぎ、奥宮は上高地・嶺宮は奥穂高岳山頂に祀られている。当然の如く境内に「道祖神」はあろうはずがない。
 「穂高神社」に「芭蕉句碑」のあることを記億している。そこで探す・・・・建立される場所は何処も同じ、さほど時を要せぬうちに見つけた。句碑01「雪散や穂屋野芒の苅のこし」(ゆきちるや ほやのすすきの かりのこし)、元禄4年信濃路を通るに、の作。(句面は向かって左側
 「穂高駅」(大糸線)に、2つの道祖神があった。右上は駅舎、左上はロータリーだ。(説明
 「道祖神祭」といえば、「どんど焼き」(1月15日、松飾り・書初めなどを燃す行事)、大人の飲酒に代わるもので子供は「甘茶」を飲む。信州特有なのか「やしょうま」「繭玉」も懐かしい。私が小学校低学年の頃までは行われていた。何時頃からなくなったのだろう。
 「火の見櫓」も取り入れたい要素の一つ、これは新し過ぎる。右後遠方の有明山が見える。
 左より「恵比寿」「大黒天」「双体道祖神」、いずれも綺麗に彩色されている。
 「碑撮り旅」で見てきた句碑に用いられる石材に比べ道祖神はいずれもずっしりと重みを感ずる。道祖神の姿に比べアンバランスさえ感ずる。まして、彩色道祖神は、道祖神祭で子供たちが塗り替えるためか「幼さ」さえ感じ田園風景に溶け込んでいる。
 文化は時代とともに変わっていく、いずれの世には蛍光カラーで彩色されないとも限らない。形式に捉われることなく末永く引き継がれていって欲しいものだ。ここで、ひとつ詠んでみよう。「彩色や童の祭り道祖神」・・・・季語「道祖神祭」(冬)
 道祖神の撮影、最終ポイントは「NHK朝ドラ“おひさま”ロケ地」(2011年4月~10月)、「大庄屋山口家」の隣りにあった道祖神。
 本日の取材でのハイライト「おひさま」ロケ地、「茅葺農家」+「水車小屋」+「道祖神」のセットが残る「国営アルプスあづみの公園」・・・・入場券410円のところシルバー料金210円を支払い撮影。
 
 右画像は、現在のロケ地を実写したもの。小画像は「ドラマ映像」を画像で紹介している「園内案内板」を撮影したもの。

 「水車小屋」はさておき、「水車」を描く参考にと「回転画」「構造画」を撮影した。

 ドラマで使った「道祖神」、国立公園内ということもあり「彩色」補修はされていないようだ。
 3つ前の小画像(下)を原画に、今や使うことがなく廃棄待ちの「WinXP-PC」を持ち出し「Photoshop」でイタズラしてみた。
 

 「絵手紙」で「6B」を使う。すなわち「エンピツデッサン」(鉛筆画)であろう。下絵描きの参考図として使える。(風景画を描くので写真とか切り抜き持参とのことなので)
 安曇野を後に、途中でビックリドンキーを見付けたので昼食、三才山トンネルを越えた所で時間に余裕があり鹿教湯温泉に立ち寄る。
 
 温泉街から文殊堂に行くには内村川を渡。その川に架かっているが「五台橋」であり、「屋根付き橋」として知られている。かつて、兄の写真展(オハイオの橋)の地元紹介で取材撮影をしたことがある。
 立ち寄った目的は、その「五台橋」(屋根付き橋)の袂にある芭蕉句碑の撮影だ。句碑02「憂きわれを寂しがらせよ閑古鳥」(うきわれを さびしがらせよ かんこどり)、元禄2年9月「奥の細道」の旅を終え、大垣から伊勢遷宮参拝途中、長島大智陰で詠んだ「憂きわれを寂しがらせよ秋の寺」を推敲し、「嵯峨日記」で発表した句。
 鹿教湯温泉街より国道254に出て間もなく「自家用米のはぜかけ風景」を撮影し、約束した妻の迎え時刻15分前に着いた。