晩秋の味覚;山の幸“差切峡・信州蕎麦”紀行
2016年11月16日(水)晴
 「晩秋の味覚」、第1弾は「海の幸“上越・糸魚川”紀行」(10月31日)であった。妻と「もう一つ」の約束があり仙台出張の前に実行した。その第2弾は「山の幸“差切峡・信州蕎麦”紀行」である。
 メインイベントの昼食「新蕎麦」を考え9時半に家を出た。青木→麻績→筑北(差切峡)→会田宿(芭蕉句碑)→松本(月の蕎麦)→(三才山トンネル)鹿教湯(温泉まんじゅう)→帰宅、というコースだ。
 火の見櫓;長野県麻績村・筑北村・四賀村(現松本市)
 12月1日~25日まで、第7回写真展を開く。そこに展示する兄が「火の見櫓を撮っておけ、そのうちに貴重な歴史資産になる」と言っていたことを思い出し、麻績・筑北村・会田宿(四賀村/現松本市)といった「中山間地域」の火の見櫓を7つ撮った。最後の2枚は同一、その大きさを表したく2枚にした。
 差切峡(さしきりきょう);長野県筑北村
 差切峡は、小川累層の硬い礫岩や砂岩の地層に麻績川が流れ込んだために出来た渓谷で、奇岩が多く洞穴や滝も見られる。春の山躑躅や秋の紅葉が映える絶景の地。
 
 「差切峡」近くに着くと「落石による橋梁破損で通行止」という表示があり、「徒歩」なら「差切峡」まで行けるとのことだった。→「差切峡
 
 「鳥立鉱泉」前に駐車し、遊歩道で「麻績川」に降りてみた。
 「差切峡」に向け通行止になっている車道を徒歩で進む。左端写真は「ドの渕」上の洞門、中央写真は「大滝八譚」(おおたきはったん)、右端写真は「大滝八譚上部」。(大滝八譚はドの渕より手前にある)
 
 「洞門」手前に麻績川に降りる遊歩道があり川床に降りてみた。左写真は上流側、右写真は下流側で一気に急流になる。上部に麻績川に架かる「猿橋つり橋」が見えるも通行禁止になっている。
 
 川床で記念撮影をした。紅葉は「ドの渕」より下流に綺麗な場所があるも行かなかった。(麻績川づたいに山清路(さんせいじ)まで下り国道19号で松本方面に行く予定だった。)
 
 「会田宿」の芭蕉句碑を撮影したく「らしき方向」へと車を走らす。途中で道を尋ねると、そこは「筑北村乱橋」という地区だった。左写真に「乱橋上町」という標識がある。この小路が旧乱橋宿通りで、この先に街道きっての難所と言われる「立峠」がある。その峠を下った先に芭蕉句碑があると教えられた。避け違いも出来ない細い林道を車で抜けた。右写真は「芭蕉の小路」として立峠を抜ける遊歩道が整備されていた。
 「乱橋」は、江戸時代の北国西街道・善光寺街道が通り、宿場と宿場を結ぶ「間(あい)の宿」として栄えた。この「乱橋」は松本方面から善光寺に向かう通りで「会田宿」と「青柳宿」の中間地点、「西条」とともに小休止の場所として利用された。
 弁天島(厳島神社);新潟県糸魚川市
 
 「立峠」を越え降りてきた「芭蕉の小路」と林道が交差する所に「岩井堂の馬頭観音」があった。
 「馬頭観音」から下り里に降りると「会田宿」に入る。その入口に朽ちかかる「岩井堂の観音堂」があり、そこに芭蕉句碑がある。
 
 
 句碑「身丹志み亭大根からし秋乃風/身にしみて大根からし秋の風」(みにしみて だいこんからし あきのかぜ)、貞享5年「更級紀行」での作。→「句碑面」「説明



天ぷらそば(妻)



ざるそば大盛り(私)

 妻にとっては「芭蕉句碑」はもとより「差切峡」以上の楽しみであった「メインイベント」の「新蕎麦」を、あづみ野に行った帰りに寄る「つきの蕎麦六助」(松本市)で食べ、鹿教湯温泉で「温泉まんじゅう」を土産に帰宅した。