黒髪山 (栃木県塩谷町) 黒髪山に誓う
2016.12.23(金) 晴
 12月1日から25日まで、芭蕉「奥の細道」句碑の写真展を道の駅「雷電くるみの里」(東御市)で開催中だ。この間に、兄と認知症で入院中の姉を見舞った。末期癌との診察で余命わずかだが、私の顔を見て笑顔で反応してくれた。また、今月の仙台出張は顧問先の創業者である会長様が出張の前日に亡くなられたので会議は無くなった。
   
 葬儀は社葬で執り行われ、本通夜が21日、火葬・告別式が22日とのことで21日と22日の二泊三日で仙台まで車で行ってきた。

 出張時と同じ「茂庭荘」(仙台市)で泊まった。お世辞でも綺麗な宿泊施設とは言えないが、宮城在住時に研修で利用したことがあり懐かしさだけはある。

 天然温泉(カルシウム硫酸塩泉/低張性中性鉱泉)だが、沸かし湯のため熱かったり温かったり日によって異なる。
 部屋から「旧伊達伯爵邸“鍾景閣”」が眺められ、ロータリーには「鍾景の松」が植えられている。
 
 芭蕉と曾良、「奥の細道」の旅路で「日光」から「黒羽」まで「日光北街道」(江戸時代に奥州街道大田原宿と日光街道今市宿を結ぶ脇街道)として、現在の国道461号にほぼ沿って整備された。
 
 日光連山の「黒髪山」(男体山/写真左側コニーデ型の火山)、「剃捨て黒髪山に衣替」と曾良が詠んだ山だが眺める方向は異なる。しかし、芭蕉・曾良は「玉生宿」に一泊している。その前後に来た道を振り返ればこんな山容だったであろうと玉生宿の南外れより撮影してみた。
日光市と塩谷町の境を流れる鬼怒川に架かる「大渡橋」上から撮影した日光連山

 姉の見舞いと会長様の葬儀を終え、自分の生き方を見直すことを決めた。

 今までは、私が妻より先に死ぬと決めていた。しかし、妻を悲しめないためにも妻より先に死ぬことは出来ない。

 勿論、そんなことは決められるものではないが、少なくとも健康に留意し生き抜くという意志は持たねばと心に決めた次第だ。



 
  日光街道の杉並木(国道119号)
 仙台から戻り、妻にこのことを告げると、黙って頷くだけだった。疲れもあり、今日24日は13時に写真展の会場を後にした。明日は、朝から搬出に取り掛かる。実質、今日が「第7回写真展」の最終日になった。
 追加;今秋、地元の句碑を撮影したものを「旅の未知草“碑撮り旅”」として登録しておきたい。
 9月25日、「風景取材“信州の趣探し”」で安曇野に行った。その時「穂高神社」(安曇野市)で撮影した。
 
 句碑「雪散や穂屋野芒の苅のこし」(ゆきちるや ほやのすすきの かりのこし)、元禄4年信濃路を通るに、の作。(句面は向かって左側
 10月31日、「晩秋の味覚;山の幸“差切峡・信州蕎麦”紀行」で松本市/四賀村会田宿で撮影した。
 
 句碑「身丹志み亭大根からし秋乃風/身にしみて大根からし秋の風」(みにしみて だいこんからし あきのかぜ)、貞享5年「更級紀行」での作。