-細道を訪ね描くや古希の旅-
白河越え 奥の細道“殺生石・白河越え・飯坂”描き
(栃木県那須町/福島県白河市・須賀川市・福島市)
2017.06.016(金) 晴
 「各地で記録的な集中豪雨」「北海道で最高気温」そして「九州で梅雨明け」「須賀川で警報」、さて「白河越え」はどうすべきか・・・・出発直前まで悩み、出した答えは「30分遅らせ、足尾経由でなく佐野・藤岡から矢板まで高速、殺生石と白河関・乙字ヶ滝を中止」で他は現地での判断・・・・とした。
 那須温泉神社・殺生石;栃木県那須町
 家を3時に出て足尾・日光経由で殺生石に向かう(?)・・・・矢板・那須塩原で霧雨、一応雨傘わ持ち「温泉神社・殺生石」へ・・・・毎度のことながら「100を超える寺社参詣の御利益」で・・・・高速を使わず足尾経由、「那須温泉郷」に着いたのは7:5020遅れ)、霧雨も上がり陽射しが、心配なので雨傘持参で「那須温泉神社」「殺生石」へ。
 
 参道を登り詰め、「那須温泉神社」本殿手前に芭蕉句碑がある。句碑01「湯をむすふ誓いも同じ石清水」、「奥の細道」旅中「殺生石」での作。
 
 「那須温泉神社」の展望台より見下ろす「殺生石」「教伝地蔵」「千体地蔵」、硫化水素ガスの匂いが・・・・。
 
 「殺生石」の脇に芭蕉句碑がある。句碑02「石の香や夏草赤く露暑し」、「奥の細道」旅中「殺生石」での作。
砂炎ゆて殺生石に蝶眩む(殺生石)36.2017.sum
 殺生石手前の「石の香橋」を渡った左手の笹薮から「ゼフィルス」が飛び出した。撮影しようとしたら千鳥足ならぬ千鳥飛びで「殺生石」の前を横切り姿を消した。砂炎ゆ(熱砂の子季語)(晩夏の季語)。
 
 頭巾の色が「赤から薄桃」へのグラデーション・・・・硫化で色褪せ脆くなっていくのか・・・・定期的に新調してもらっているのか色とりどりで綺麗だ。
 
 前回は殺生石から一般道を駐車場へと戻った。今回は、初めて「湯本温泉源」(那須町指定天然記念物)の脇を下り「鹿の湯」の前を抜け「湯の素採取場」駐車場に戻った。
 
 芭蕉・曽良の湯本での止宿先は「和泉屋」だったと伝えられる。55代に渡り湯宿を営んできた老舗だったが、昭和61に廃業し、現在はその隣りの旅館「清水屋」(江戸期から続く湯宿)の一部になっている。この二つの宿屋の号をとり、芭蕉は「湯をむすぶ誓も同じ石清水」と詠んだ「当時の清水に由来する」とも言われている。
 お菓子の城那須ハートランド;栃木県那須町
 「お菓子の城」の開店時刻は「8:30」、今回の出発時刻2:30は、これに合せたもの・・・・夫婦そろって両刀使い。
 高福寺;栃木県那須町
 
 「高福寺」に、「奥の細道」(高久)で詠んだ芭蕉・曽良の「付合」の句碑がある。句碑03落くるやたかくの宿の時鳥」翁、04「木の間をのぞく短夜の雨」(誤刻)曽良、「奥の細道」旅中「高久」での作。
 芭蕉二宿の地(高久家)/芭蕉翁塚(杜鵑の墓);栃木県那須町
 
 「芭蕉二宿の地」(高久家)に芭蕉・素良の「付合」の句碑がある。撮影目的で遠方より訪れた旨を告げると快くご説明して下さった。
 
 「みちのく一見の桑門、同行二人、なすの篠原を尋て、猶、殺生石みんと急侍るほどに、あめ降り出ければ、先、此処にとゞまり候。句碑05落くるやたかくの宿の時鳥」翁、06「木の間をのぞく短夜の雨」曽良、「奥の細道」旅中「高久」での作。
 
 「高久家」の隣りに「芭蕉翁塚/杜鵑の墓」があり、同句碑がある。句碑07落くるやたかくの宿の時鳥」翁、08「木の間をのぞく短夜の雨」曽良。向って左面に刻まれているが、(以前は多少判読できたとか)今では訪問者が手のひらで撫でた故完全に摺り消えたとおっしゃられていた。
 白河関跡;栃木県白河市
 
 「白河関跡」は何度も来ている。全体像を示すものが欲しかったが見当たらなかった。隣に新しい「社務所」があり、新しく芭蕉の句碑が建てられていた。説明板「白河関跡」「全体図」「句碑」。句碑09「関守の宿を水鶏に問はふもの」、「奥の細道」旅中「須賀川」で「何云」への書簡に書き留めた句。
 
 「白河関跡」の北並びに芭蕉の句碑がある。句碑10、「西か東か先早苗にも風の音」、元禄244日、「奥の細道」(白河の関)での作。
 「白河関の森公園」に芭蕉と曽良の句碑がある。句碑11、「風流の初やおくの田植うた」芭蕉、句碑12、「卯の花をかざしに関の晴着かな」曽良。元禄24「奥の細道」、芭蕉は「須賀川」、曽良は「白河の関」での作。
 
 「白河関跡」の杜に文学碑(奥の細道白川の関)がある。曽良の句が刻まれている。句碑13、「卯の花をかざしに関の晴着かな」曽良。(建立;1968.10.27)。左の小画像は「古歌碑」(右より平兼盛、能因法師、梶原景季)
 古歌碑  便りあらば/いかで都へ/告げやらむ/今日白河の/関は越えぬと 平兼盛(拾遺和歌集)
      都をば/霞とともに/立ちしかど/秋風ぞふく/白川の関     能因法師(後拾遺和歌集)
      秋風に/草木の露を/はらわせて/君が越ゆれば/関守もなし   梶原景季(吾妻鏡) 
 「白河神社」本殿と参道の石段。
 
 「白河関」は古く、その位置についても江戸時代後期頃まで不明となっていたが、白河藩主松平定信の考証により、この地が白河関跡であると断定された。
 寛政
12年(1800)には考証の経緯を記した「古関跡」の碑が建てられ、今日に至っている。(説明板
 ちなみに「奥の細道」は元禄2年(1689)と、1世紀以上遡るが・・・・曽良の事前調査と地元での尋ねにて特定したのだろう。→「白河関 下野・奥州ま境。並て両国の境明神両社有。前は茶屋なり。古の関は東の方二リ半程に旗の宿と云所なり。今も両国の境なり。」(名勝備忘録)
 関山(せきさん)満願寺;福島県白河市

 「関山満願寺」昇り口に「奥の細道」文学碑がある。それには曽良の句が刻まれている。句碑14、「卯の花をかざしに関の晴着かな」曽良。(建立;1998.6)。
 宗祇戻し;福島県白河市
 
 「御斉所街道」の白河市起点近くに「宗祇戻し」の碑と芭蕉の句碑がある。句碑15、「早苗にも我色くろき日数かな」、「奥の細道」(白河の関)元禄24月の作。(建立;1843)。「説明板」「宗祇戻しの碑」。
 聯芳寺 ;福島県白河市
 
 「聯芳寺」に芭蕉の句碑がある。句碑16、「關守の宿を水鶏にとはふもの」、元禄24月「奥の細道」(須賀川)で「何云」への書簡に書き留めた句。
 乙字ヶ滝 ;福島県玉川村
 昨日、須賀川に大雨警報が出たのに・・・・増水を心配し取り止めを考えたのに・・・・滝の下流で川床に降り撮影出来るとは夢にも思っていなかった。このぶんなら、この後の「八流の滝」も行けそうだ。
 
 「乙字ヶ滝」(阿武隈川本流の段差)に芭蕉の句碑がある。句碑17、「五月雨の瀧降うつむ水かさ哉」、元禄2427日「奥の細道」(須賀川)滞在中「乙字ヶ滝」(石河の滝)を見物しての作。現在の句碑は新しく、最初に建立されたのは「五月雨耳飛泉梨う川む水可佐哉」(建立;1805)で、増水時に川床に落ち流されたものを土地の人が発見し自宅に修造、後に須賀川市に寄贈(1978.1)したとのこと。
 
 「須賀川」を発った芭蕉と曽良は、「石河の滝」(乙字ヶ滝)→「八流の滝」を訪ね「芭蕉の辻」を通り「守山宿」(郡山)へと向かっている。
 八流の滝(網ノ輪滝) ;福島県須賀川市
 
 「八流の滝」は幅約10m、落差約6mという小さな何処にでもあるような滝です。「網ノ輪滝」とも呼ばれ、宇津峰を源とする塩田川と小倉川とが合流した下流にあり、磨いた砥石のような岩壁から八条に分れて流れ落ちることから名づけられたという。芭蕉・曽良が奥の細道の旅で小作田からこの地を訪れたと伝えられている。
 
 紫陽花が咲く土手道(農道/畦道)の奥にあり、良い季節に見れたと満足。昨夜に確認した須賀川地域の大雨注意報で「中止」と判断したら、こんな涼しげな風景を二度と眺める(あえて再考する必要もなかろうと判断したと思う)ことは出来なかっただろう。
 
 芭蕉・曽良が訪れた「芹沢の滝」は、今日においては(再整備されたと言えども)様変わりし見る影もなくなっている。比較すべきものではないが、「八流の滝」は「芹沢の滝」の8倍ものスペースで綴っている。
 
涼気よぶ滝の飛沫は八條かな(八流の滝)37.2017.sum
 鏡の如き川面(かわづら)が静寂を生みだし蒸し暑さを高める。たった6mの落差の滝でも、その飛沫(しぶき)は八條(やすじ)に流れ落ち涼気(涼し;三夏の季語で涼気は子季語)を生むとともに心和ましてくれた。
 80mほど遡ると手掘りの隧洞で行き止まりになる。グーグルの航空写真で見ると、阿武隈川右岸流域の水田地帯の盛り地に貯水池があり、そこから流れ出しているようにも見える。
 芭蕉の辻 ;福島県須賀川市
 
 「八流の滝」の北側に車で回り込んだ。何処にでもある休耕地脇の農道といった感じだが「俳聖松尾芭蕉」が歩けば史跡名所になる。凡人と芭蕉の違いを此処でも知ることになった。ここから芭蕉・曽良は「守山」に向かう。そこでは「田村神社」に参詣している。句碑「風流の初やおくの田植うた」がある。
 可伸庵跡 ;福島県須賀川市
 「可伸庵跡」に芭蕉の句碑がある。句碑18、「世の人の見付ぬ花や軒の栗」、「奥の細道」(白河の関)元禄2422-29日、「須賀川」での作。(建立;1959.4.22)。(文学碑
 結の辻 ;福島県須賀川市
 
 「結の辻」に芭蕉と曽良の像がある。夏祭りが行われるのか歩行者天国で交通規制でナビも役立たず。
 芭蕉記念館 ;福島県須賀川市
 「結の辻」向かいに「芭蕉記念館」があったので立ち寄ってみた。「可伸庵跡」の句碑「世の人の」の拓本があった。「軒の栗庭園」への道順を尋ね先を急いだ。
 軒の栗庭園 ;福島県須賀川市
 
 「軒の栗庭園」に、「芭蕉と空良」それに「相良等窮」の像がある。漫画チックな像・・・・何故かアチコチで見掛たが・・・・「奥の細道300年記念」で何処かの会社がまとめて請けたのかな?。等窮の菩提寺である「長松院」に立ち寄ろうかと思ったが取り止めた。
 神炊館神社 ;福島県須賀川市
 
 「神炊館神社」に曽良の句碑がある。元禄242日、「奥の細道」(日光)の「裏見の滝」で詠んだ句。須賀川逗留中の428日に「諏訪明神」を参詣、曽良は句碑18、「うらみせて涼しき瀧の心哉」(建立;2006.12)、芭蕉は「ほとゝぎすへだつか瀧の裏表」を奉納と曽良書留。「説明」とは異なる。
 
 須賀川市立博物館 ;福島県須賀川市
 「須賀川市立博物館」に芭蕉の句碑がある。「乙字ヶ滝」で説明した句碑で寄贈され再建したもの。句碑19「五月雨耳飛泉梨う川む水可佐哉」(建立/移設;1805/1978)。
 十念寺;福島県須賀川市
 
 「十念寺」に芭蕉の句碑がある。元禄24、「奥の細道」(須賀川)の「等窮」への挨拶吟。句碑20「風流のはしめや奥の田うゑ唄」(建立;1855.3)。
 ここで、1430分、日没までにたっぷり時間があるね。高速を使う予定だったが一般道を行こう。その分、お土産にタップリ回せる。(前回、二本松(福島県)に高額な故郷納税を納めたので・・・・急がずに行こう)
 飯坂温泉;福島県福島市
 「飯坂温泉駅」に車を止め「芭蕉像」と「文学碑」を撮り、「滝ノ湯跡」に向かう。文学碑には、句21「笈も太刀も五月にかざれ紙幟」が刻まれていた。
 狭い一方通行路ゆえ、行き過ぎれば戻れない・・・・2回りし辿り着く。「滝ノ湯跡」に「俳聖松尾芭蕉ゆかりの地」なる文学碑がある。「其夜、飯坂に留まる。・・・・馬借りて桑折の駅に出づる」と刻まれている。(文学碑)(碑面拡大)。寂れ行く温泉街、「滝ノ湯跡」に下りる石段の小路、浴衣姿で涼をとる散策、宴会の盛り上がりでなく身心の疲れを癒す点に着目し再興策を考えたらどうだろうか?
 初期予定を全てクリアし、仙台のホテルに着いたのは1920分、走行距離481km、未知草40km程、「一ノ蔵」と「カニスープ」(フカヒレと同じ製造者)等買い込み満足・・・・今日は余り疲れなかった。翌日の復路を合せると、総走行距離は923km。さて、8月は何処にしようかな?・・・・「越後路だろ」と誰かが囁く・・・・。