-細道を訪ね描くや古希の旅/細道や一碑一会の旅日記-
希望 奥の細道“越後路”描き
(新潟県上越市→新潟市)
2017.09.015(金) 晴
 8月の「細道や一碑一会の旅日記」は「越後路」を計画していたが、天気予報が「終日雨」ということで今回ばかりはご利益なしの旅になるかと落胆した。それでもと、押さえの計画は作っておいたので「「栃木・福島」の通常コースで仙台出張の「旅の未知草」を終えた。
 そして
9月、台湾近くで直角に右折した大型台風18号が週末に九州に接近との天気予報、またかと思ったが金曜日は「晴マーク」がついたので・・・・「越後路」でしょうと2:30に家を出た。上越手前で小雨が、そして最初の「名立浜SA」に着く頃(5:13)には本降りになった。晴の予報に雨傘持参は縁起でもないと持ってこなかったので、車中で雨宿りの朝食を摂り、小降りになったところで撮影開始。出足で躓いた観もあったが以降は気分爽快で楽しい「奥の細道“越後路”描き」になった。
 名立浜SA(北陸自動車道下り);新潟県上越市
 小降りになり句碑を探していると「日本海の夜明け」というお気に入りの「テーマ」の一枚が撮れた。
 「細道や一碑一会の越後路(えちごみち)」のプロローグは、暁の米山(柏崎市;標高993m)を望むことより。右手方向から朝日が射し始め、直江津港のプラント(中電上越火力発電所の煙突)が時の経過につれ浮き上がってくる。この朝日の光線も「薄明光線」(天使の梯子)と呼んでいいのだろうか?
秋暁や天使の梯子今日一会 39.2017.aut
 「奥の細道」(越後路)は、曾良は別として芭蕉にとっては決して楽しい「一期一会」ではなかったようだ。「追っかけの私」としては、思い出に残る「一碑一会」をつくりたいものだ。秋暁(しゅうぎょう)は三秋の季語。
 
 右画像は撮り流し(クリックで大口径φ67mm、焦点距離28-75mmF1:2.8 撮影画像)。句碑01「文月や六日も常の夜には似ず」(ふみづきや むいかもつねの よにはにず)。(建立;1988)。元禄2625日~712日、「奥の細道」旅中、「越後路」での作。→記念碑(この名称で良いか?)
 国道8号ビューポイントで・・・・何を?
 「名立浜SA」で「ある画像」が脳裏を横切る。「描いた景色」を求め、次の「五智国分寺」への途次に期待した。プロローグの「直江津港のプラント」を「蜃気楼風」に撮影したかったのである。→拡大画像
 五智国分寺;新潟県上越市
 
三重塔(1865年整備/未完成)    国分寺本堂
 聖武天皇勅願で建立された越後国分寺(740年代)の所在地は不詳。後の上杉謙信によって現在の場所に再建(1562年)されるも幾度となく災興を繰り返し、現在のものは平成9年の再建と新しい。
 
 句碑02薬蘭にいつれの花かくさ枕」(やくらんに いづれのはなか くさまくら)(建立;1770.5.11)。元禄278日、「奥の細道」旅中、越後高田の医師細川春庵亭に一泊した折りの作。→句部拡大説明板
 
 句碑03「古いけや蛙飛こむ水の音」(ふるいけや かわずとびこむ みずのおと)、(建立;1844)。貞享3年の作。芭蕉作品中最も人口に膾炙(かいしゃ)された俳句中の俳句。
 親鸞聖人上陸の地;新潟県上越市
 
 早朝散歩のご夫婦が「佐渡が見えますよ」と声を掛けて来られた。5分足らずだがお話をさせて頂いた。ご主人が「声を掛けて良かった」「今日は良い一日のスタートになる」と・・・・
 「一瞬にして一瞬の感動」は、ご夫婦にとってのみならず私の心も希望の光が照らす。今回のタイトルに悩んでいたが、「秋暁や天使の梯子今日一会」→「天使の梯子」(薄明光線)は「希望」への架け橋、早起きをして「薄明光線」に合掌・・・・ということで「希望」をタイトル語にした。
 安寿姫と厨子王丸の供養塔;新潟県上越市
 
 小学校に上がる前、母から「安寿と厨子王」の話をしてもらった思い出がある。→[山椒大夫」の碑由来
 琴平神社;新潟県上越市
 
 「琴平神社」の境内には「安寿姫と厨子王丸の供養塔」と芭蕉句碑がある。句碑04「文月や六日も常の夜には似す」(ふみづきや むいかもつねの よにはにず)、元禄2625日~712日、「奥の細道」旅中「越後路」での作。(建立;1867)。句面拡大説明板新句碑05(建立2009.8.8)。
 聴信寺;新潟県上越市
 
 「聴信寺」の撮影中に突然「Jアラート」(拡声器)で「北朝鮮がミサイル発射」との警戒警報が・・・・NHKのラジオを点ける。前回と、ほぼ同じコースを飛んだようだ。
 金谷山対米館;新潟県上越市
 対米館隣りの芭蕉句碑。句碑06「薬蘭にいつれの花かくさ枕」(やくらんに いずれのはなを くさまくら)、元禄278日「奥の細道」旅中「越後高田」の医師「細川春庵亭」での作。(建立1806.10)→句面拡大説明板
 北城神明宮;新潟県上越市
 
 芭蕉の句碑。句碑06「薬蘭にいづれの花をくさ枕」(やくらんに いずれのはなを くさまくら)、句碑07「文月や六日も常の夜には似ず」(ふみづきや むいかもつねの よにはにず)。→句面拡大、(建立1806.10)。
 たわら屋跡;新潟県柏崎市
 「たわら屋跡」は、元禄275日「奥の細道」(越後路)、「柏崎、米山峠を経て鉢崎着、泊」とある「芭蕉逗留の地」(たわらや六良兵衛すなわち代々庄屋の旧家)である。
 鉢崎関所跡と鉢崎宿;新潟県柏崎市
 
 「たわら屋跡」が街中にある「鉢崎宿」と「鉢崎関所跡」。→「鉢崎関所跡」碑、説明板
 休憩での撮り鉄;「柏崎~出雲崎」の国道8号某所
 JR信越本線(富山管区)で運行中の貨物列車(下り)「EF510-14」(レッドサンダーの仲間)、川崎重工製(2009.2)。別に珍しいものというのでなく通りがかりに撮影した風景写真です。
 妻入りの街並み(徒歩風景);新潟県出雲崎町
 「北国街道出雲崎駅」の特徴は「妻入りの街並み」、「妻入り会館」で知ることが出来る。(掲載済み;省略)
 妙福寺;新潟県出雲崎町
 
 「妙福寺」山門ならびに右手から出雲崎の「妻入りの街並み」を陸側から通しで見下ろすことが出来る。
 俳諧伝灯塚(旧句碑);妙福寺境内
 「俳諧伝灯塚」は「旧句碑」と「新句碑」があり3句のうち中央が芭蕉である。旧句碑08「荒海や佐渡によこたふ天の川」(あらうみや さどによこたう あまのがわ)、元禄277日、「奥の細道」旅中「越後路」、直江津の「佐藤元仙宅」で句会での発句とされるが、74日「出雲崎」での構想という説がある。(建立1755.3.21
 旧句碑では判読出来ないが右側より
  「雪に波の花やさそうて出雲崎」 盧元坊
  「荒海や佐渡によこたふ天の川」 芭蕉
  「五月雨の夕日や見せて出雲崎」 東華坊(各務敷支考)
 →説明板
 俳諧伝灯塚(新句碑);妙福寺境内
 
 新句碑09「荒海や佐渡によこたふ天の川」(あらうみや さどによこたう あまのがわ)、(建立1922.3)。→向って右面に句あり。句面拡大
 芭蕉園;新潟県出雲崎町
 
 「芭蕉園」に「銀河の序」という文学碑がある。句碑10「荒海や佐渡によこたふ天河」(あらうみや さどによこたう あまのがわ)、元禄277日、「奥の細道」旅中「越後路」、74日「出雲崎」での構想。(真蹟懐紙)(建立1954.7.4)。→「刻字部拡大」「句部拡大」。
 「銀河の序」とは、芭蕉は「おくのほそ道」では「鼠の関を越ゆれば、越後の地に歩行を改めて、越中の国市振の関に到る。この間九日、暑湿の労に神を悩まし、病おこりて事をしるさず」と省筆している。そのためか「銀河の序」という一文を残している。
 妻入りの街並み(展望風景);新潟県出雲崎町
 「妻入り会館」に掲示されているポスター、何処から撮影したのだろうと・・・・高台に登ってみた。ビンゴ!
 石油産業発祥地記念公園;新潟県出雲崎町
 出雲崎(尼瀬油田;最盛期1889-1898)は、日本石油(株)が日本において石油掘削の機械方式を最初に用い成功した地。石油産業発祥地⇔世界初の海底油田掘削地
 佐渡の眺め;新潟県出雲崎町
 「金の道」は「出雲崎⇔佐渡」であった。その「佐渡」を眺めるには「出雲崎海岸」でなきゃ・・・・ってことはないけど、台風18号の影響なのか波は高いけど秋晴れの空。休憩を兼ね、しばし佐渡を眺めリラックス!
 西生寺;新潟県長岡市
 
 「日本海の鎌倉」と称され弥彦山中腹に位置する越後屈指の古刹「西生寺」(弘智法印即身仏)は芭蕉・曾良も参詣している。
 左画像が「弘智堂」(即身仏霊堂)、右画像は「金毘羅堂」。今日は住職様が外出されておられ「即身仏」の拝観は出来ませんでした。
 
 境内に「芭蕉参詣の碑」(曾良随行日記では74日に参詣されている)がある。芭蕉の句と伝承されるも「存疑の部」「誤伝の部」にも掲載されていない。句碑11「文月や加羅さけ拝む乃寿三山」(ふみづきや からさけおがむ のすみやま)、元禄274日、「奥の細道」旅中「越後路」、「西生寺」にての作と伝承。
 北陸随一大展望台「西生寺」からのパノラマ、日本海に浮かぶ佐渡島、夕日も綺麗でしょうね。
 弥彦山スカイライン
 
 出雲崎から国道402号で「西生寺」に来た。この後の「宝光院」へは別ルートでナビが誘導・・・・弥彦スカイラインは通行止、仕方なく「弥彦山山頂」経由での迂回になり倍以上のロスタイム。(弥彦スカイライン;左回り9.2km、右回り17.9km宝光院をパスし佐潟公園直行だと最短ルートだが宝光院は抜けない・・・・決断に迷う!)すでに20分も遅延していることを考慮し「宗現寺」(芭蕉蓑塚)は中止に決めた。負け惜しみではないが・・・・「芭蕉箕塚」より「陸・海の扇状大パノラマ」が望めた方が良かったと思う。爽快な秋空・・・・いっそのこと弥彦山登山をしたら良い思い出になったかも?
 宝光院;新潟県弥彦村
 
 「宝光院」の境内に芭蕉句碑がある。句碑12「荒海や佐渡に横たふ天乃河」(あらうみや さどによこたう あまのがわ)、元禄273日、「奥の細道」旅中「越後路」、「弥彦神社」に詣でて当地に宿泊し「荘厳にして緑深き美しい自然の中での着想が後にこの句を生んだといわれている。(建立不詳だが歴史は浅いと思われる)
 佐潟公園;新潟県新潟市
 「佐潟」は、「ラムサール条約登録湿地」で「白鳥の飛来地」になっている。彼方に見えるは「弥彦山」。
 
 句碑12「安果安果と日盤川礼難久毛秋乃可世」(あかあかと ひはくれなくも あきのかぜ)、元禄2715日~23日、「奥の細道」旅中「金沢」、ただし「途中吟」とあり「金沢~小松」間との説ならびに異説あり。私としては、難面ない「越後路」での構想として欲しい。→句面拡大、「説明板」。(建立1843
 護国神社;新潟県新潟市
 「護国神社」に「芭蕉堂」(吉原芳仙;旧白根市/新潟市南区、日本画家 1896-1983 制作寄贈)があり、その壁面にパネルが埋め込まれている。句碑13「海降る雨や恋しきうきみ宿」(うみにふる あめやこいしき うきみやど)、元禄26月、「奥の細道」旅中「越後路」で一夜を過ごしたとされる芭蕉を偲び芭蕉肖像画・由来書等を密封保管した石室。(建立1966.5.15)。→説明板
 合祀船江神社;新潟県新潟市
 
 句碑13「海降る雨や恋しきうきみ宿」(うみにふる あめやこいしき うきみやど)。かつては「存疑の部」であったが、元禄年間北越路へ旅行せられ「新潟」(出雲崎)において詠まれし松尾芭蕉の「泊船集付録」に納められた名句。(合祀船江神社の説明板)
 林徳寺;新潟県新潟市
 「林徳寺」に芭蕉句碑(新旧2碑)がある。旧句碑(左)14「稲つまや顔のところか薄の穂」(いなづまや かおのところが すすきのほ)、新句碑(右)15「稲妻や顔の處か芒の穂」(建立1989.6.4)。元禄76月、「骸骨の絵賛」句。→旧句碑
 「林徳寺」を後にしたのは1535分。国道7号を北上し村上市の「十文字」交差点を右折し国道113号(小国街道)で南陽・高畠で宮城県に入り七が宿・白石、国道4号を北上し仙台の宿に20時過着。走行距離578km。翌日は三連休というところもあるのか通常より30分ほど遅れ夜半17日の1時前に帰宅、総走行距離1,020km
 来月(
10月)は、「酒田・新庄・天童・立石寺」or「羽黒山・湯殿山・大石田・山形」のいずれかになろう。季節の移り変わりが早ければ「雪」も考慮しないといけない時期になる。