足尾銅山(栃木県足尾町) ; いにしえの鉱都

− 2004.03.01(月) 晴れ −

 新居を確定すべく長野に行ってきました。国道4号を矢板まで南下し、日光北街道で今市から日光へ。ここまでは何度も通っている道です。今回は、日光から国道122号(銅山街道)を通り赤堀で国道50号に合流するコースを選びました。

 今回の浪漫紀行は、「いにしえの鉱都;足尾銅山」です。その足尾銅山は慶長15年(1610年)に2人の農民によって発見されたのが始まりで、江戸幕府直轄の銅山として栄えたものの、その後明治の初めまで廃山同様になっていました。

 明治10年(1877年)に古河市兵衛が復活させ、国内消費の半分まで生産するようになりました。最盛期(大正5年)には宇都宮に次ぐ人口38428人の鉱都として大いに栄えました。そして今は、精錬部門のみが稼動する「いにしえの鉱都」に化しています。
 
古河掛水倶楽部 足尾鉱業所事務所付属倉庫
 日光東照宮を通過したのは昼を回っていました。細尾峠の日足トンネル手前まで本降りの雪です。東照宮入口の土産店で「ゆば」を買ったときに確認したので、国道122号(銅山街道)は問題なく走れました。

 足尾バイパスを避け市街地へ、まもなく左手に、約100年前に銅山の迎賓館として建設された「古河掛水倶楽部」がありました。月曜休館なので外部撮影にとどめ、コンビニで調達したおにぎりで昼食をとりました
 
古河掛水倶楽部から松木川上流を眺める 粗銅を運び出した「わたらせ渓谷鉄道」
 渡良瀬川上流の松木川沿いにある鉱都足尾の中心部へ、周辺の山は地肌が現れいかにも鉱山地帯という様相です。
 
足尾銅山の中心部「本山鉱山神社入口」 廃墟と化した「本山地区銅山社宅」
 本山地区に、銀山平と松木渓谷に行く分岐点があります。古河橋を渡り少し行くと本山坑山跡があります。そこが農民が発見した銅山のルーツで、備前楯山(海抜1272m)です。反対側の山裾に鉱山神社跡や銅山社宅跡が並んでいました。

 備前楯山には、6つの登山コース(尾根コース、沢登りコース等)があります。歴史を踏みしめ歩くのも良いかもしれません。入山カードを入れる箱が設置されていました。詳しくは足尾町商工会ホームページを見てください。
 
古河橋 精錬事業部のみが稼動している
 一見してゴーストタウン化した本山地区ですが、輸入鉱石からの精錬作業を行っているので新しい住宅もありました。足尾鉱山観光に行くと、トロッコで坑道見学も出来ますが一路長野に向け鉱都をあとにしました。前回の足利学校を見たコースより距離的には短いものの、所要時間は11時間程度で少し長かったようです。

 翌日の2日は、新潟周りで全行程高速でした。妙高高原では前が見えないほどの雪降りでした。北陸道から磐越道に移る分岐点、考え事をしていたためか見落として直進、豊栄ICまで行ってしまいました。いつも利用する阿賀野川P辺りで再び雪が降ってきました。長野を14時過ぎに出て、帰宅したのは21時でした。