金鳳山(長野県丸子町) ; 木曽義仲挙兵の山城

− 2005.04.23(土) 晴れ −

 ひょんなことで少し前に知った金鳳山に行ってみることになりました。そこは、郷里の隣町(丸子町)の御岳堂にある宗龍寺の裏山です。
宗龍寺 正面からの参道 寺を後に依田城跡へ
 御岳堂の宗龍寺に着いたのは11時、桜吹雪舞う参道を抜け本堂脇の住職宅で依田城跡への登山道を尋ね、墓地に続く簡易舗装道から沢筋に入る場所を教わりました。
沢筋に設けられている登山道 依田城跡への分岐点
 荒れた沢筋の道を20分程登ると依田城跡登山口という標識があり登山道は右に折れます。この辺りから勾配はかなりきつくなります。
急坂を這い上がる妻 山頂 = 依田城跡
 登山道は金鳳山の南側に回りこみます。足元の山裾に宗龍寺、その先に依田川が見下ろせます。木が茂り怖さを緩和してくれていますが足を踏み外すと大変なことになりそうです。
南の方角には蓼科山が 東の方角には烏帽子岳から浅間山が
 山城である依田城は居城としてではなく見張り目的のものだったでしょう。依田城が築かれた金鳳山の山頂は30坪足らずですが平地になっています。麓から40分強でした。
北の方角には塩田平から坂城(葛尾城方角) 山頂は30坪弱の山城(依田城)跡
 山頂は見張りには絶好地です。金鳳山には二等三角点の標識があるのに地図やインターネットで調べても標高が分かりません。付近の状況からして900m前後ではないかと推測しました。
 依田城は長野県丸子町御岳堂の宗龍寺裏山、金鳳山頂にある山城です。1180年の冬、木曽谷で平家追討の兵を挙げた木曽義仲の拠点となった。依田川の流れに沿った城は渓谷に抱えられた山城で、見張りの砦や狼煙台といった目的だったと考えられている。
金鳳山 左のピークに依田城跡が 依田川沿いの桜並木は満開でした
 下山は30分足らず。この後、丸子町の依田川の満開桜を見ながら昼食を済ませ、カタクリを見に立科町の津金寺に行ったものの最盛期を一週間ほど過ぎ色あせていました。
 蓼科牧場から白樺湖、茅野市に降りて諏訪湖畔を通り松本市へ、明科町から聖高原を抜け姨捨の田毎の月(今日は満月?)を眺め千曲市に降り19時過ぎに帰宅しました。